2037.
03.
03
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■ようこそRolfingFrankfurtへ
ロルフィングとは何か、この特徴、効果、ほかの様式との違いを、できるだけわかりやすくかつ詳しくお伝えしていきます。
■ロルフィングとは
ロルフィングとは、約50年前にアメリカ人生化学者Ida Rolfによって編み出されたボディワークです。ボディワークというのは、心身の包括的改善をめざす様々なセラピーのなかでも、特に身体への働きかけを重視したものです。一般の整体、マッサージとの違いは、受け手の「意識」・「気づき」を重視している点で、その意味で、受け手参加型の整体とも言えます。
ロルフィングはアレクサンダーテクニーク、フェルデンクライスと並び、世界の3大ボディワークの1つです。その中でもロルフィングは、この効果と持続性において、世界中からほかの追従を許さない高い評価を得ています。他の様式で見落とされてきた筋膜と重力に重点を置いていること、ロルフィングタッチと呼ばれる独特のタッチを特に重要視していて、他方面に渡る知識の他に実技を加え、すべての習得に最低700時間という突出したトレーニング期間を要する事なども、この評価を裏付けています。
ロルフィングは解剖生理学を基礎にしていますが、身体は心の器(心身一如)ですので、施術側には認知行動学、現象学、心理学や精神医学などの分野に対する理解も求められます。近年の傾向としては、サトルボディと呼ばれる皮膚の外側のエネルギーの領域も含めたワークをする施術者が増えている事で、私もその一人です。
このロルフィングは基本的に10シリーズで完結します。1セッションは60分-75分、セッションとセッションの間には平均2週間をおいて、自分の体が新たなポジションに適合するのを待ちます。
一回ごとのセッションには明確なテーマがあって、大きな流れでいうと、呼吸を深め、体の表層を解放したあとは、コアの部分(骨盤ー脊椎ー頭蓋骨のライン)を解放します。次に体の可動性を高め、最後に統合します。7セッション目までは個々の楽器の不具合を取り除いて磨き、8−10の統合セッションで、磨いた楽器による新たなシンフォニーを奏でるよう調整して行くようなもの、と捉えてください。
10シリーズを受け終わったら、これからの生涯をかけて、自分の体の最大限の可能性をめざして生きていくことになります。その後の維持にあたっては、トレーニングメニューや「してはいけない」リストを与えられる事はありませんが、自分の最も楽で最もなじむ姿勢と動き方になじんでいくための、日常の気づきを研ぎすます姿勢が大事になってきます。この気づきの感覚は10シリーズ中でも養っていきますが、10シリーズに続いてロルフムーブメントを数セッション受けていただくか、定期的なフォローアップセッションを受けていただく事をお勧めします。

Ida P Rolf
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2023.
04.
13
というのは2021年のベルリン映画の邦題で、
本当のドイツ語のタイトルは
Fabian oder Der Gang vor die Hunde
(ファビアン、あるいは落ちぶれた男)
その原作は1931年に出版されたエーリッヒケストナーの
Fabian. Die Geschichte eines Moralisten
(ファビアン、ある道徳主義者の話)
まあいずれのドイツ語のタイトルにしたって
あら素敵、見てみたいと思う人はまずいないでしょうから
この邦題はよく考えてつけてくれたと思います。
100年前と昨今の符号を感じてきた人は私だけじゃくて
go to the dogs(落ちぶれる、ダメになる)
というのは今のヨーロッパを覆う空気を象徴している気がします。
このファビアン演じるトムシリングという男優は
サイズも童顔で繊細な雰囲気も東洋人ぽくて
私は大好きですが、まるきり今まで人気を集めたドイツ人と違う。
以前ゲルマン系有名人と言えば
アーノルドシュワルツネッガーにオリバーカーン
・・・時代の移り変わりを感じます。
ナイーブな人というのは
本来は世間知らずといった割と否定的なニュアンスで使われますが
現代社会では人生の落伍者という扱いなんだな
度重なる世界大戦やその背景にある資本主義社会を生きた私たちは
倫理とか愛というものを追求しつづける人を
落伍者とか落ちぶれたナイーブなやつ
みたいに解釈するようになったのかな、と思いました。
トムは映画の設定通り本当にベルリン人で
セリフもコテコテのベルリン訛り
主人公だけじゃなくこの映画を見るほとんどのドイツ人が
それぞれの人生を回顧したんじゃないかと思えるくらい
当時の政治の潮流や文化、思想が織り込まれていて
それが全く古くなくて、
3時間があっという間に思えてしまうくらいでした。
この映画はストーリー的には絶望的かもしれないけれど
不思議と見終わると晴れ晴れしていることに気づきます。
コロナ前までは毎月通っていたベルリンが懐かしく
最近撮ったとは思えないベルリンの古い街並みが素敵で
多分俳優たちがそれぞれ本当に当たり役というか適材適所で
ことのほかトムシリングが繊細に表現するものが素敵で
ストーリーを超えたところにある深い愛を感じました。
人生に目的を持って、その達成のためには手段を厭わない
勝ち組になる
政治的、経済的に影響力を持つ
こんな人生のスローガンが、すでに陳腐化したんじゃないか。
ファビアンの生き方が、落ちぶれものには全く思えませんでした。
本当のドイツ語のタイトルは
Fabian oder Der Gang vor die Hunde
(ファビアン、あるいは落ちぶれた男)
その原作は1931年に出版されたエーリッヒケストナーの
Fabian. Die Geschichte eines Moralisten
(ファビアン、ある道徳主義者の話)
まあいずれのドイツ語のタイトルにしたって
あら素敵、見てみたいと思う人はまずいないでしょうから
この邦題はよく考えてつけてくれたと思います。
100年前と昨今の符号を感じてきた人は私だけじゃくて
go to the dogs(落ちぶれる、ダメになる)
というのは今のヨーロッパを覆う空気を象徴している気がします。
このファビアン演じるトムシリングという男優は
サイズも童顔で繊細な雰囲気も東洋人ぽくて
私は大好きですが、まるきり今まで人気を集めたドイツ人と違う。
以前ゲルマン系有名人と言えば
アーノルドシュワルツネッガーにオリバーカーン
・・・時代の移り変わりを感じます。
ナイーブな人というのは
本来は世間知らずといった割と否定的なニュアンスで使われますが
現代社会では人生の落伍者という扱いなんだな
度重なる世界大戦やその背景にある資本主義社会を生きた私たちは
倫理とか愛というものを追求しつづける人を
落伍者とか落ちぶれたナイーブなやつ
みたいに解釈するようになったのかな、と思いました。
トムは映画の設定通り本当にベルリン人で
セリフもコテコテのベルリン訛り
主人公だけじゃなくこの映画を見るほとんどのドイツ人が
それぞれの人生を回顧したんじゃないかと思えるくらい
当時の政治の潮流や文化、思想が織り込まれていて
それが全く古くなくて、
3時間があっという間に思えてしまうくらいでした。
この映画はストーリー的には絶望的かもしれないけれど
不思議と見終わると晴れ晴れしていることに気づきます。
コロナ前までは毎月通っていたベルリンが懐かしく
最近撮ったとは思えないベルリンの古い街並みが素敵で
多分俳優たちがそれぞれ本当に当たり役というか適材適所で
ことのほかトムシリングが繊細に表現するものが素敵で
ストーリーを超えたところにある深い愛を感じました。
人生に目的を持って、その達成のためには手段を厭わない
勝ち組になる
政治的、経済的に影響力を持つ
こんな人生のスローガンが、すでに陳腐化したんじゃないか。
ファビアンの生き方が、落ちぶれものには全く思えませんでした。
2023.
03.
15
思いがけず4ヶ月もいた今回の日本ですが、
今月末の帰国を前に
取り組んできたことが現象界に現れるにつけ
この身に起こっていること、
逡巡を重ねながら確かめてきたことを集めて検証して
改めて感じ入るものがあります。
奇跡というのは思い込みが外れること
思い通りにしよう、としてもがきながら
思い通りにしようという試みこそがジョーカーだった
また自力モードになっていた、と気づいて訂正すること
願いが思い通りと全く違う形で現れることが奇跡
現世(うつしよ)に必死に適応しようとする過程で
悲喜交々を関わる方々と経験し、もう十分経験値を積んだから
ここから先はもうここから降りて本体に戻る
頑張って新しい技術を身につけることで褒めてもらおうという試み
こういったものは勘違いの迷宮をさらに奥深くする試み
当たり前にできていたことができなくなることだったから
もう十分、卒業
繊細であることは
関係の中にしか発生しないもので
別に内も外も元々なかった中でのストーリー
あなたと私を分ける必要はない
外からの影響を受ける必要はない
自分を守ることも
孤独であることも
そうである必要はない
こんな感じのノートがたくさんできました。
今回は、本当に私のルーツである家族のことに
私なりにコミットできたことが何よりでした。
やっぱりこの方々があっての私です。
これだけの人たちにお世話になっている人生
改めて頭が下がります・・
そして、本当に母の子であってよかった。
早川さんに本当にお世話になって
本当にたくさん学ばせていただきました。
今日は我が家の崩壊寸前の椅子を直しにわざわざ来てくださって
前職での隠れCIAぶり発揮の恐ろしいエピソードを語ってくださり
やっぱりこの方は愛だ
早川さんと遊んで私たちが受け取るものは
全存在を肯定してもらえる感覚だ、と感じます。
いや耳に痛い図星と、
ニーディな要求には決して応えない厳しさがあるので
依存はない。でもそこが愛と思える。
本当にありがたい学びをさせていただきました。
洋子さんにも本当にお世話になりました。
お世話する人が100人いたって
今目の前にいる人に100%コミットする
この在り方には本当に頭が下がります。
会えなかった1年の間でのすごい変容、その神々しさに
何か軽々しく言葉にしてはいけないものを感じます。
一緒に歩ませていただけることに感謝しています。
21日の春分に10シリーズを卒業する方が
仕上げに向かって奇跡的な変容を見せてくださっています。
やっぱりロルフィングは天職
何もしなくても本当に得意
厚かましさ承知で言い放つと本当にこれがあってよかった・・
日本人らしく奥ゆかしく締め直します。
今年会ってくださった皆様、おかげさまで
本当に充実した時間を過ごさせていただいています。
改めまして本当にありがとうございます。
今月末の帰国を前に
取り組んできたことが現象界に現れるにつけ
この身に起こっていること、
逡巡を重ねながら確かめてきたことを集めて検証して
改めて感じ入るものがあります。
奇跡というのは思い込みが外れること
思い通りにしよう、としてもがきながら
思い通りにしようという試みこそがジョーカーだった
また自力モードになっていた、と気づいて訂正すること
願いが思い通りと全く違う形で現れることが奇跡
現世(うつしよ)に必死に適応しようとする過程で
悲喜交々を関わる方々と経験し、もう十分経験値を積んだから
ここから先はもうここから降りて本体に戻る
頑張って新しい技術を身につけることで褒めてもらおうという試み
こういったものは勘違いの迷宮をさらに奥深くする試み
当たり前にできていたことができなくなることだったから
もう十分、卒業
繊細であることは
関係の中にしか発生しないもので
別に内も外も元々なかった中でのストーリー
あなたと私を分ける必要はない
外からの影響を受ける必要はない
自分を守ることも
孤独であることも
そうである必要はない
こんな感じのノートがたくさんできました。
今回は、本当に私のルーツである家族のことに
私なりにコミットできたことが何よりでした。
やっぱりこの方々があっての私です。
これだけの人たちにお世話になっている人生
改めて頭が下がります・・
そして、本当に母の子であってよかった。
早川さんに本当にお世話になって
本当にたくさん学ばせていただきました。
今日は我が家の崩壊寸前の椅子を直しにわざわざ来てくださって
前職での隠れCIAぶり発揮の恐ろしいエピソードを語ってくださり
やっぱりこの方は愛だ
早川さんと遊んで私たちが受け取るものは
全存在を肯定してもらえる感覚だ、と感じます。
いや耳に痛い図星と、
ニーディな要求には決して応えない厳しさがあるので
依存はない。でもそこが愛と思える。
本当にありがたい学びをさせていただきました。
洋子さんにも本当にお世話になりました。
お世話する人が100人いたって
今目の前にいる人に100%コミットする
この在り方には本当に頭が下がります。
会えなかった1年の間でのすごい変容、その神々しさに
何か軽々しく言葉にしてはいけないものを感じます。
一緒に歩ませていただけることに感謝しています。
21日の春分に10シリーズを卒業する方が
仕上げに向かって奇跡的な変容を見せてくださっています。
やっぱりロルフィングは天職
何もしなくても本当に得意
厚かましさ承知で言い放つと本当にこれがあってよかった・・
日本人らしく奥ゆかしく締め直します。
今年会ってくださった皆様、おかげさまで
本当に充実した時間を過ごさせていただいています。
改めまして本当にありがとうございます。
2023.
03.
15
京都・東京で活躍されるロルファーの谷神裕樹さんとの貴重なセッション体験、日常に紛れないうちに書いておきます。
谷神さんというのは静かな佇まいの人で、
本当は言葉を持っているけれど
余計なことやいい加減なことは言わない
だから安心して開いていい
そんな印象を与える人でしょうか。
触ってもらってすぐわかったのは
言葉の全然いらない世界
初めて出会った子供同士が目を合わせてニコッと笑って
遊ぼ!と手をつないでかけ出すみたいな
そうだった、こんなふうに存在と存在で会いたかった
そんな本当に懐かしい感覚でした。
繊細な印象と違って意外にも全く躊躇のない触り方って
ご本人曰く犬と遊んでて養ったものか
ブラジリアン柔術の寝技の賜物か
解剖と機能をきちんとベースにしているからなのか
いやそれより何より
何かめんどくさいメソッドとかストーリーを一旦傍に置いて
直接、からだ全部で素直に出会うってこういうことだったよね!
これは谷神さんの言葉で私はなんと言ったか忘れましたが
思わずこんなことを言ってしまったのは
たぶんお互いにここを確かめたい切実なニーズがあったからで
喜びが弾けました。
相手の本体のいのちの部分に出会うと
そこで律動が起こって、共振共鳴が起こる。
ただ起こることが起こる。
私たちにできることはただ会いに行く
会うまで待つ
そして同調が起こってからはただ委ねて遊ぶ
その後に運ばれてくるものは奇跡かもしれない
でも私たちはただここに一緒にいる
これこそが私たちがロルフィングというものを通してやっていること
それだけを見ていたい
あとは本当に何もいらない
本当にそれだけを切実に祈ってきた昨今でした。
この感覚を失っていなかったこと
この感覚と共にいることがセッションをするということ
ああやっぱり起こるときは起こるね
これでいいんだったね
と共有できる仲間がいたことは
私にとっては全存在を肯定してもらえたような
かけがえのない体験になりました。
谷神さんというのは静かな佇まいの人で、
本当は言葉を持っているけれど
余計なことやいい加減なことは言わない
だから安心して開いていい
そんな印象を与える人でしょうか。
触ってもらってすぐわかったのは
言葉の全然いらない世界
初めて出会った子供同士が目を合わせてニコッと笑って
遊ぼ!と手をつないでかけ出すみたいな
そうだった、こんなふうに存在と存在で会いたかった
そんな本当に懐かしい感覚でした。
繊細な印象と違って意外にも全く躊躇のない触り方って
ご本人曰く犬と遊んでて養ったものか
ブラジリアン柔術の寝技の賜物か
解剖と機能をきちんとベースにしているからなのか
いやそれより何より
何かめんどくさいメソッドとかストーリーを一旦傍に置いて
直接、からだ全部で素直に出会うってこういうことだったよね!
これは谷神さんの言葉で私はなんと言ったか忘れましたが
思わずこんなことを言ってしまったのは
たぶんお互いにここを確かめたい切実なニーズがあったからで
喜びが弾けました。
相手の本体のいのちの部分に出会うと
そこで律動が起こって、共振共鳴が起こる。
ただ起こることが起こる。
私たちにできることはただ会いに行く
会うまで待つ
そして同調が起こってからはただ委ねて遊ぶ
その後に運ばれてくるものは奇跡かもしれない
でも私たちはただここに一緒にいる
これこそが私たちがロルフィングというものを通してやっていること
それだけを見ていたい
あとは本当に何もいらない
本当にそれだけを切実に祈ってきた昨今でした。
この感覚を失っていなかったこと
この感覚と共にいることがセッションをするということ
ああやっぱり起こるときは起こるね
これでいいんだったね
と共有できる仲間がいたことは
私にとっては全存在を肯定してもらえたような
かけがえのない体験になりました。
2023.
03.
14
ロルフィングは私にとって聖地みたいなもので
全てを許し統合してくれる母体、帰還の場所
言葉にならない本体でいられる場所
神の意思と共にいられる場所
ロルフィングは含みが大きくて
どこまでも広がっていけるからこそ
ロルファーである私は
中心から逸れずにいること
中心というのはいのちというか
神の意思というか采配
私はいのちであるあなたに出会う
あなたが開かれるのを待つ
そこから先は奇跡の采配
ここにいる限り大丈夫
私にはこれしかやれることはない
何をしても(してしまっても)
何をしなくても(し忘れても)
完璧なあなたが立ち現れる
それを見届ける
私はあなたと一緒にここにいます
全てを許し統合してくれる母体、帰還の場所
言葉にならない本体でいられる場所
神の意思と共にいられる場所
ロルフィングは含みが大きくて
どこまでも広がっていけるからこそ
ロルファーである私は
中心から逸れずにいること
中心というのはいのちというか
神の意思というか采配
私はいのちであるあなたに出会う
あなたが開かれるのを待つ
そこから先は奇跡の采配
ここにいる限り大丈夫
私にはこれしかやれることはない
何をしても(してしまっても)
何をしなくても(し忘れても)
完璧なあなたが立ち現れる
それを見届ける
私はあなたと一緒にここにいます