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2015. 09. 13  
プレゼントにいただいた「ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人!」という本を読みました。人気ブロガーねずさんのブログ記事をもとに本にしたもので、メッセージは一貫して日本の心を伝えたい、自信を失っている私たちに、日本人としての誇りを取り戻そう、と呼びかけているものです。

日本の歴史をまともなぞると日本の心は全く学べないどころか学んだ人に真逆の印象を与える、ということを、「正史」とメディアから日本像を推測する外人がこんなふうに日本を捉えていたのかと見せつけられショックを受けていたところでした。見方によって歴史がこんなに変わるのか、と本当にびっくりしました。

この本では書かれていませんが、日本の心は正史には書かれません。なぜなら正史は権力者が自分の行いを正当化するために作るもの、そして日本の心は権力欲と真逆のところにあるからです。

正史では侵略と謀略、簒奪にまみれた日本の歴史ですが、こういうのはもともと外来の概念です。この本でも書いてありますが、日本の「征服」は話し合いによる統治で、日本の植民地支配は、他国の植民地支配と根本的に違います。日本は搾取、強奪によって侵略するというより、相手を取り込み同化することを目的にします。教育制度を設け、治水灌漑設備を整え、人々が暮らしやすいように配慮します。その結果、日本の「侵略」をうけた当事国がその後どうなったかは、すこし調べるとすぐわかります。

太平洋戦争で東南アジアに「侵略」を繰り返していた日本軍は、敵國と現地住民にそのモラルの高さを印象付けました。本当に極限まで追い詰められたときには、人間普通なら理性がとんで隠していた鬼の心が顔を出すはず。でも敗戦の色が日々濃くなる中で日本軍人はパニックになって戦線を離脱したり、支給物資が途絶えても現地住民の強奪に走ったりしない。神風特攻隊の存在は列強を震撼させました。なんでこんなことができるのか。

没自我。日本人のこの要素は過去に外国人を何度も驚愕させてきました。日本の植民地化を狙う外国人が、日本に足を踏み入れて驚いたのが市民の善良さと治安の良さでした。そして普通ならとびつくはずの飴をちらつかせても取引に乗らない一部の日本人の存在が恐怖でした。そこになにか自分たちの価値観を上回るものを垣間見る気がして。御し易いものを取り込んでバックアップし、この恐怖の種を陰謀で抹殺する。抹殺されたものたちの依っていた価値観が、すなわち日本の心です。だから日本の心は表には出てこない。戦後GHQが廃止した修身は、日本人の底知れぬ強さはそこにあると踏んでいたから。

日本の心は、冤罪を着せられて失脚させられたり非業の死を遂げた人々に現れています。そして死んでもなお私たちが慕う人たち。たぶん私だったら真っ先にとりあげるのは西郷隆盛ですが。


ねずさんは菅原道真の遣唐使を廃止した背景を、もうかる外国交易を道真公が廃止したのは「民の生活の安穏」にある、つまり交易によって入り込んだ外人が社会悪をもたらして人民が迷惑していて、引き続きもうけにあやかりたい施政者の金満主義と、民意をくむ施政者の道徳主義が対立していた、そして道真公の勇断により鎖国をすることにより道徳主義が勝利した、としています。そして儲かる商売を奪われた者による術策で中央を追われてしまったが、金満でなく天満を選んだから人民から天満天神様と呼ばれるようになった、としています。

私は菅原道真の遣唐使廃止の理由は滅亡間近のすでに衰えている唐にわざわざ公船を使っていく必要がなかったからだと思っていました。あと、鎖国は道真公でなくて江戸幕府によるものだと。遣唐使以外にも当時は民間船でさかんに交易は行われていて、遣唐使を廃止しても鎖国にはなっていなかったはずです。そして菅原道真の左遷は藤原時平との個人的+政治的な確執によるもので、品行も頭も悪い時平が、頭がよく宇多天皇の信頼をしっかり得ている道真に嫉妬して無実の罪を着せたから、と。この罪状は曖昧ですが、本人がその後あれほど怨念を持つというのは冤罪だったはずです。

ねずさんは道真公が天皇の皇民を預かっているという立場を徹底した、と言っていますが、道真は律令制を提案した人です。律令制は外来のシステムで、実際史書ではむしろ天皇制廃止を企てたと糾弾されています。それに道真公の政策は極めて理知的で、その後怨霊となって時平本人だけでなく関係者全員根こそぎにしようと朝廷を呪い続ける念の強さからいっても、人民から慕われるような人だったか疑問を感じます。北野天神天満というのは、祟りがあまりにも強烈なことに慄え上がった朝廷が鎮魂のために次々に復位、贈位を続け、死後80年以上たって与えた称号です。道真を知る人々はその頃もれなく鬼籍に入っています。誰がお慕いする気持ちで天満天神様と呼べるのでしょう。ちなみに天満宮は3回姿を変えていて、いまの太宰府天満宮になったのはそれからさらに時がたって幕末の廃仏毀釈のときに神社になってからです。歴史の裏側を司る太宰府が、解釈によっては日本人の心を代表するものになるんだ・・と思いました。

ちなみにねずさんによると、後醍醐天皇も「とっても責任感がお強く、また男気の強い(ということはある意味、お人好しな)、人間味豊かなお方であったろう」とのことです。

この本を読んでやっぱり感じたのは、日本人が心の拠り所として大切にしているのが道義心だということでした。そして神を、天皇を、敬うことに理由も、条件もつけない。これが 「当たり前だ」ということが世界的にものすごく特異なのです。私たちはなにか偉大な存在を敬う姿勢が根底にあって、それが長くは目に見えない存在だったから、「現人神であられる天皇」にも西洋人のする服従とか崇拝とかではない、条件なしの畏敬をもつことができる。そして民意の低い国では絶対的に有効な「罰せられるから」という恐怖心を煽られなくても、自然に、道義心から、秩序をもった行動をとることができる。日本人にとっては相手を思いやる、ということが、当たり前の行動基準なのです。

日本人にとってあたりまえの信仰心と、道義心とかおもいやりは、西洋人にとっては一瞬考えてしまう理念です。conscience, good will, bon sens, sympathy・・・彼らにとってはどれもなにか今ひとつとってつけた感じで、命を落としてまで追求したい魅力的なものではない。たぶん日本人がこれから発信していくべき日本の心は、この部分にあるような気がします。
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2013. 06. 17  
カミの話の続きです。

神のご加護、神による救済について。

私たちはどん底にいる時救ってくれた存在には感謝して恩義を感じます。私はその感謝の心そのものを否定しているのではありません。救いの手を差し伸べるものを疑えと言っているのではありません。

洪水に流され、今にも流されそうな水草にしがみつきながら必死で神に祈るある敬虔な信者がいました。まもなく壊れそうなボートにのった人が現れ、彼に一緒にそのボートに乗るよう促しましたが、彼は神を待っているからと断りました。次に川岸からいまにも切れそうな紐を投げ入れ、それにしがみつくように促す人が現れましたが、彼はまたも神を待っているからと断りました。いよいようねりの中に沈もうという時、彼は絶望して言いました。「神よ、何故あなたは私を救ってくれなかったのですか?」そのときはじめて神が現れて言いました。「私は何度もあなたを救いに行ったではないか。その度にあなたは私を断ったではないか。」

信じる事によって邪神と契約を結ぶ事より、信じない事によって神からの声を無視する方が日常では実は遥かに多い。信じることには勇気がいります。誘惑の存在を知りつつ、あえて「信仰心」を持ち続けるのは勇気がいる。

信じるということ、奇跡にたいして開かれているということは、智慧と強さが土台になっているのです。

この私の現実、というのは、私の思考が創り上げています。今絶望している自分がいたら、この絶望状況は自分の意識の反映だということをまず知らないといけない。この自覚が何より大事。スイッチをひとつ切り替えるだけで本当は瞬時に現実は変わる。

一旦契約した悪魔と契約を切るのがなにより辛いのは、もっとも見たくない自分と向き合わないといけないから。この現実を創り上げた私をいうものを、見ないといけないから。

引き寄せの法則、というのは、思考の現実化を卑近な例で焼き直したものです。もちろん関係にも応用できます。弱っているときに繋がった存在とは、弱い部分で繋がっている。愛と感謝をもって開かれた心でいるときには、愛をもった存在と繋がる。結局は自分の意識の反映です。

日常には奇跡がちりばめられています。それを受け取るか受け取らないかの選択は、完全に私たちに任されています。

私個人のことを話すと、私は無防備で脇が甘く、すぐにだまされます。呆れるような数々の失敗を重ねて、危険な橋を渡りまくって、まっとうな方々からは危ないからやめろ、といわれつつそれでも助言を聞かずに転びまくって穴に落ちまくって、でも不思議なくらい無傷で今に至ります。

私はまず、奇跡を信じます。奇跡を信じ、人を信じ、その一方で、クリシュナムルティのように「私は何も信じない。」自己チェックはかなり厳しいつもりです。自分が何より怪しいのが分かっているから。(笑)

光と闇の渾然一体となった今を生きるのには、万物に対する愛と信頼、そして自分に対する厳しい洞察が必要だと思っています。

"Love all,
trust a few,
do wrong to none."

- William Shakespeare
2013. 06. 17  
日本は世界の雛型として色々な事が先行して起こります。日(霊)の出ずる国、というのは、文字通り捉えていい。この世は顕界=現世(うつしよ)と幽界=隠り世(かくりよ)が渾然一体となっていて、神(霊)と人間がここまで近く絡み合っている日本は、幽界での現象が顕界に現れやすい。

今年は伊勢神宮と出雲大社の同時遷宮のある歴史的な年です。これが何を意味するかわかりますか?とくに10月に遷宮のある伊勢神宮にご縁があり、お参りを予定されている方、これはよく知っておかれた方がいいと思います。

天皇家にゆかりのある伊勢神宮は、日本の神社の総社で、文字通り「神宮」です。祀られている天照大神は、昔話のあまのいわどでおなじみのアマテラスで、これは女神で太陽神だと、小さい頃から教えられてきました。何かと謎の多い神様で、実際は卑弥呼だった、とする説も多い。でもすこし調べるとすぐわかりますが、天照大神は元々男神で蛇神です。なぜ歴史の途中で男神が女神にすり替わったのでしょう?

「現人神」である天皇家の初代天皇の神武天皇は龍だったという記述があります。その龍神(蛇神)をなぜ女神に、太陽神に変えたのでしょう?そもそもアマテラスは本当に太陽神でしょうか?

ヘビは古代から神の使い。
ヘビはヨガにおいてはクンダリーニエネルギーの象徴で、最高の到達点。
ヘビはヒーリングの世界においてはトランスフォーメーションと癒しの象徴。宇宙意識とつながるまるごとの私。
(直傳 靈氣は白龍とゆかりが深いと言われています。)
自然神を「祀る」日本ですが、巳(ヘビ)はこの祀りという字に含まれているように、自然神の代表。

古代では、日本は生きた龍に守られていたと説かれています。霊山にいったりパワースポットに行くと、縁のある方は龍の姿で現れる神に出会ったりします。直傳 靈氣も、龍神から降りたエネルギーだと言う人は多い。

その一方で

蛇神といえば堕天使ルシファー.
ヘビはアダムとイブの物語で言えば、知恵の象徴。狡猾で、誘惑するもの。

私は以前ホメオパシーのレメディであるアナカーディアム(2重人格、統合失調症に使う)を、天使と悪魔の側面をもつ堕天使ルシファーと結びつけて書いた事があります。まさに蛇神。邪神。

ヘビのような、と口にするとき、私たちが連想するのは狡猾さ、執念深さ、いやらしさ、といったむしろネガティブな側面ではないでしょうか?何故私たちはこういう感覚を持っているのでしょう?

ヘビをたどると、伊勢神宮の別の側面が見えてくるかもしれません。
2013. 06. 15  
私は仏縁を頂いていますが、無宗教です。私が神(創造主)というときに連想しているものは、エネルギーの源、あるいは宇宙の仕組み、といったもので、特定のイコンを指していません。この認識は私にとってすべての根拠の前提で、この感覚は大事にしています。

私にとって神とは無条件の愛です。そして、ワンネス、共存、というキーワードを、人生において繰り返し繰り返し、私に確認させてくれています。ある時は身の引き裂かれるようなショックとともに。ある時は茶目っ気たっぷりに。

ある宗教に属して、日々精進なさっている信徒の方々の敬虔な信仰心を否定しているのではありません。真理が知りたい、涅槃の境地に到達したい、と道に精進なさっている方々を否定しているのでは決してありません。

私はcore belief(信念)というものを疑っているのです。信仰心が疑問もなくcore beliefにすり替わっていないか、と疑っているのです。心理学でいうcore beliefは人を制限し、コントロールするもので、邪魔なものです。そしてこのcore beliefは恐れと強く結びつきやすい。恐れ→コントロール。色々な宗教が、人の恐れを利用しコントロールするためのツールとして、利用されている。人のcore beliefは、こういう操作によって作られている事がとても多い。いまどれだけこの構図があふれているか。

ご自分の信仰心というのを、冷静に外から眺めてみた事がありますか?あなたの祈りの奥にある感覚は、何でしょうか?あなたの信仰は、恐れに基づくものではないでしょうか?

〜しないと罰が当たる、恐ろしい事が起こる=恐れ=コントロール
〜すれば救われる=条件付きの愛=コントロール


これは敬虔な信仰心ではなくて、コントロールです。神は罰を与えるのでしょうか?審判を下すのでしょうか。私たちを戒律で縛り、コントロールするのでしょうか。

「神は私を救ってくれる存在」だとしたら。
人は弱っているときに何かにすがりたくなります。
救済を求めて祈ります。そのとき最初に来るのは誘惑です。誘惑は邪神です。
邪神は、最初に鮮やかな夢を見せてくれます。そして力を与えてくれる。
とても無防備な時なので、心の底から救われたと思い感謝します。

後から、パワーが与えられているというより奪われている、
要求されることが多くなっている、
どうも何かおかしい、
と思うことがあっても、その「覚醒体験」があるから
そこは疑う事をしない。
なぜならそれは都合が悪いから。辛すぎるから。
「強さ」を奪われてしまうから。
弱かった自分が向き合わずに済んだその部分をもう一度えぐられることになるから。

あなたを救ってくれたその存在は、あなたに本当に力を与えてくれていますか?要求されることが多くないですか?何かがちがう、という感覚がないでしょうか?

「神は私の願いを叶えてくれる存在」だとしたら。その願いを一度自問してください。その願いは誰かとの競争に勝つためのもの、誰かの犠牲の上に成り立つものではないでしょうか?あなたの願いが叶う事によって、みんなも幸せになるでしょうか?

神は私のエゴの充足をかなえてくれるのでしょうか?私利私欲を満たしてくれる存在でしょうか?エゴから出る願いというのは、自分の願いが、誰かの犠牲のうえに成り立つもの、人との競争によって得られるものです。神は、そういったものを叶える存在なのでしょうか?もし神がそのような願いを聞き届ける存在なら、神の優劣を競い、神を巡って戦争は続き、この地球から奪い合いはなくならない。神とはそういう存在でしょうか。

「これが単に日常の儀式だから」だとしたら。あなたがそれをしている今、あなたはそこにいない、心がそこにはないというなら。そのあなたに対して、神はともにそこにいることができるでしょうか。

今はとても見つけにくくなってしまったのですが、日本には風の匂いがあって、季節の音があって、そこかしこに創造主としての神の奇跡を感じやすい。岩や木に神が宿っている、というのは本当で、古代から万物に神宿る、とし、岩や木を神として祀っていました。私の母の実家のすぐ脇に樹齢500年のご神木があって、それはそれはすごい存在です。その前に立つだけで、両手を広げて包み込んでくれるような慈愛を感じる木です。もう登れないほど大きいので、単にべったりひっつけるだけですが。単なるど田舎なのでおそらく切り倒される心配はないでしょう。私にとっての神は、そういう存在です。ただただ暖かくて、包み込む優しさがあって、すべてを受け入れてくれる存在。そこに条件はなく、どこまでもどこまでも堕落する私に、それでも自由を与える存在。

一方、恐れを増長させる神がいます。畏れ(敬い)ではなく、懼れ、怖れです。(全然意味の違うこれが同じ音、というのが日本の神事情を物語っている。)神の祟り、といいますが、物の怪と同じように、人にとり憑いたり、たたったりして、苦しめる存在。条件付きの愛(〜すれば救われる、〜すればいいことがある)で愛を取引にする存在。

私はこの2つは別の存在だと思っています。後者は人間のクリエーションです。人をコントロールする為に作られた、創造物です。

集合意識というのは現実化するのです。思考が現実化するのと同じように、集合意識によって物質化を起こせる。(たった一人で物質化できる人もいますが。)だから、ある神は実在した人物だけれど、ある神は集合意識による創造物、ということも起こりうる。現実にはもう現存の人物でない神がほとんどなので、どれが実在してどれが創造物だったかなど、いくらでも操作可能です。

この操作は、神にみせかけた、別の存在がやっています。この存在は、信仰する人に権力を与え、引き換えにコントロールします。ゲーテのファウストは、魂と引き換えに悪魔に願いを叶えてもらう話ですが、まさにその「悪魔」。おもしろいことに、人は悪魔の方に惹かれる。なにもかも受け入れ、どこまでも自由を与える神を信仰するより、条件付きの愛でコントロールする悪魔のほうに惹かれる。

ひとつは、悪魔の方が現実的な願いを叶えてくれるのです。私利私欲にまみれた願いを、叶えてくれる。そして、権力を与えてくれる。その背景には魔界からのコントロールがあって、「魂を売る」ことになるのですが、それに何の不都合があるかは最初は全然わからない。でもこれはコントロールであるので、権力をつかんだように見える自分は、逆に権力をその悪魔に与えたことになり、いずれ悪魔にコントロールされます。これはのちにものすごい不平等条約だとわかったとしても、もう契約破棄はほとんど不可能なところまで行っている。

都合が悪いのは、集合意識で物質化した創造物というのは、必要がなくなったからといって、消す事が出来ない点です。リセットボタンがあればこんなに都合がいいことはないのですが、これが物質化のもっとも厄介なところです。仕方がないので「封じ込め」ます。祟りを怖れ、封じ込めます。

封じ込めを行ったり、「悪魔」とのコンタクトのある神社仏閣や教会は、雰囲気が違うので分かります。霊山でもそうです。子供はエネルギーに敏感なので、教会やシナゴーグで泣くお子さんをお持ちの方、お子さんのまっとうな感性を是非誇ってください。

神は金銀財宝を必要としないし、イコンを必要としません。むしろあなたは誰、と尋ねても、名乗りません。こちらの願いに応じて形をとることもしますが、むしろ姿を隠したがります。かくれんぼをたのしむように、姿を変え形を変え、色々なところに自由自在に現れて、いろいろなキーをちりばめてくれている。自分を崇めるようには決して要求しません。私が神を感じるのは、日常にちりばめられた小さな奇跡を通して。自然の中に、いまこのタイミングでおこる人との出会いの中に。
2013. 02. 03  
ここ数日暖かい日がつづいてすっかり雪も溶け、まるで春になったかのような気がします。今日は節分。明日からが本当の巳年です。

節分といえば「福は内、鬼は外」の豆まき。これ、ちょっと曰くつきの風習です。鬼は西洋にはいないのでいつも説明に困るのですが、中国と日本に伝えられる、想像上の産物といわれています。悪、妖怪、強くて怖い存在。祖霊や地霊、天狗や夜叉なども含めます。

中国では鬼は死者の亡霊。魂が身体を離れてさまよう姿を表します。日本でも同じ意味にとらえていましたが、読み方が違いました。魔物や怨霊のことは、もの(物)やしこ(醜)と呼んでいたので、奈良時代に使われだしたこの鬼という漢語も最初は「もの」とか「しこ」と読んでいました。この漢字がおにと読まれるようになったのは平安時代以降で、和名抄には姿の見えないものを意味する漢語「隠」が転じておにと読まれるようになったとあります。怨霊の世界を描いている源氏物語では、まだ鬼をものとよんでいます。

おにが隠からきているとすれば、これは神と同じ語源です。幽世の幽身(かくりよのかくりみ)の神です。姿を見せない大きな存在としての神です。日本の古代の文献では、おにと呼んだものはむしろこの神をさすようです。

私たちは日本は島国で単一民族だと信じていますが、古代では中国と陸続きだったし、世界との貿易もさかんでうんとコスモポリタンだったようです。神の出ずる国であった日本は、他国からの憧れが強く、そして侵略も多かった。古代文献を紐解くと、代表的なのが、弥生人とよばれる大和民族が、土着民族である縄文人(旧モンゴロイド)を追い払うときに、自分たちを天津神々と自称し、縄文人を国津神々として国譲りするよう強制した逸話。国を追われた縄文人たちは散り散りになって東北や北海道あたりに逃れていきました。そして身を潜め、山伏や天狗、そしてオニと呼ばれるようになっていきました。要するに、鬼とは、侵略され国を奪われ身を伏せる事を余儀なくされた日本の土着民族(神出づる国の神の遺伝子をうけついでいるもの)を指します。鬼は外、福は内、というのは、だからガイジンの弥生人が土着の縄文人を追い払っている姿ととらえることもできる。それを毎年恒例の儀式としてやる私たち。なんだか昨今の日本の情勢が重なってきませんか?

日本人は遺伝子でいえば弥生人と縄文人のミックスですが、縄文人の遺伝子は朝鮮半島にも中国にも見られない独特の遺伝子だそうです。縄文人、つまり日本の土着民の血をもっとも濃く受けつくのはアイヌ人で88パーセントほど、本土ではその半分くらいの遺伝子が受け継がれています。アイヌ人は昔から追われ続け、差別にあってきました。

今年は出雲大社が60年に一度の遷宮をします。大国主大神の復活です。大国主命は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)ー素戔男尊(すさなおのみこと)ーと続く日本の国づくりをした神の直系で、医療を人々に教えましたが、国を追われて幽界に逃れました。また伊勢神宮式年遷都も行われます。岩戸の後ろに隠れている天照大神の復活です。天照大神については説明はいらないでしょう。この2つが同時に行われるというのは大きな意味がある。今年は、幽界(見えない世界)にひそみ、隠れていた光がその姿を現す年、と言えるかもしれません。そう、おにの復活。復活された神々は我々をどう見るでしょう。私たちはひとりひとりが、再生を選ぶかどうかの選択肢を与えられています。

歴史というのは勝者が作るもの。本当に起こっている事を忠実に残す訳ではありません。私たちに知らされている事は誰が作っているのかを知る必要がある、ということ。私たちは望めば知る事ができるし、選ぶ事もできるということ。
プロフィール

rolfertakami

Author:rolfertakami
鎌田孝美(Takami Kamata)

http://www.takamirolfing.com

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ヨーロッパロルフィング協会に所属する、
ヨーロッパで第2号の日本人ロルファーです。
英国スクールオブホメオパシー
アドバンスプラクティショナーコースに在籍し
現在臨床を行っています。

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内側に深くしまいこんだこだわりを、抱きとめ、見つめ、解放し、
かわりに内側で眠る可能性に光を与える。
身体が目覚め、失ったものを取り戻していく過程を
みなさまと楽しんでいきたいです。

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・ヨーロッパロルフィング協会認定
公式ロルファー
・同ロルフムーブメントプラクティショナー
・直傳靈氣師範
・全米ヨガアライアンス認定
ヨガインストラクター
・陰ヨガインストラクター
・ソースポイントセラピー認定施術者

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<セッションのお申し込み&お問い合わせ>

rolfertakami@gmail.com


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2017年夏 東京セッション
6月27日(火)〜7月9日(日)


2017年 直傳靈氣講習会(東京):

前期6月30日(金)18:00〜21:00(日中への変更可)
  7月1日(土) 9:30〜12:30
       14:00〜17:00 
後期7月2日(日)9:30〜12:30
       14:00〜17:00 
      

直傳靈氣交流会(フランクフルト)

3月11日(土)16:00〜18:00


直傳靈氣交流会(東京)
7月9日(日) (予定)

参加お申し込みを受け付けております。
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Profile:

Takami Kamata

Certified Rolfer®
Certified Rolf Movement®Practitioner
Jikiden Reiki® Shihan
Registered Yoga Teacher
SourcePoint Therapy® Practitioner

Contact me at:

rolfertakami@gmail.com


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