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2015. 02. 21  
今日から、フォーサイスカンパニーでの日野先生のワークショップに参加させていただいています。そもそもお願いをする段取りがなっていなくて、この世界ではもっとも嫌われる礼を欠いたいきさつにより尚更立場を悪くし、よって日野先生の恐ろしさも倍増でしたが*、もう怖いなどというこちらの小さな都合は吹き飛ばすくらい、ワークショップそのものはもの凄く面白いものでした。ここにいてこの空気を一緒に吸わせてもらっただけで、もうあとは何もいらない!

*考えすぎるとろくなことがない。全てが裏目に出る。

安藤洋子さんという人をいろんなシーンで見てきましたが、この人ほどいつどこにいても変わらない人も珍しい。一人に対する時でも、500人に対する時でも、本当に彼女は彼女なんだな、と改めて思いました。彼女が臆するのを見たことがない。大きな舞台や、普通の人ならすくみ上がるような状況ほど彼女は際立ってよくなる印象です。改めて彼女は本当に、本番と大きな舞台が似合う人なんだと思います。まわすエネルギーのスケールが違うので、それを受け止める器を探すとなると、普通のものじゃ間に合わないのです。でも彼女はいつでもどこでも出し惜しみというものを全然しない。本当にいつもありったけ与える人。

フォーサイスカンパニーでの日野先生のワークショップは、洋子さんが通訳をし、先生の解釈をし、そして先生の相手としてお手本を見せられるのも洋子さんなので、実質2人でやっているような感じです。そしてこの2人は、このワークショップで意識というものを教えようとしている。母国語でだって難しいから、べつに英語だって難度は同じなのです。むしろ言語の壁がほとんど問題になっていないことに驚きました。問題になるのは、自分たちがなにを受け取っているのかが解る感性が、受け取る側にあるかどうかということ。

フォーサイスカンパニーのダンサーたちを見て、彼らの受け取る側の器にとにかく驚きました。全然とぎれない集中力。もう、この練習の一コマを切り取っただけで、そのまま本番になれそうな美しさ。彼らは即興舞台をやる人たちなので、当然といえば当然なのですが。エネルギーの密度が高くなったときのひとのつながりを見るのってこんなに素晴らしいのか。この凄さを知ってほしい、と大声で言ってまわりたいくらい。

あまりにも素敵なので思わずぼーっと見とれてしまって、それだけでもよかったのですが、優しい彼らが色々相手になってくれました。どんなペアリングでも上手な人とやると本当に自分がすごくうまくなったのかと錯覚するくらいやりやすいのですが、彼らと組む時もそうです。人と繋がるってなんて幸せ。ダンサーってなんて素敵な仕事。今日は彼らが創り上げる空間のその濃密さと優しさを共有出来て、本当に満たされて幸せな気持ちで帰ってきました。ああやっぱりもっとちゃんと段取りしておくんだった・・。いや、今日ここにいられただけで充分。明日もとても楽しみです。
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2015. 02. 15  
明日から日野先生のフォーサイスカンパニーでの最後のワークショップが始まります。コンテンポラリーダンス界を常にリードして来たウィリアムフォーサイスが体調不良を理由に今年6月にカンパニーを解散をするにあたり、フォーサイスのダンサーたちとのワークショップもこれが最後になります。

日野先生との出会いは2年前になります。日本のサムライが来るから稽古見においでよ、とダンサーに誘われ、サムライ〜?と冷やかし半分で気軽に行ったあの日。その日の興奮とその後のヴァレンシアでの体験は、今でも生々しく思い出します。知らぬが仏とはこういうことを言う。未だに日野先生についてなにか言おうとすると硬直する。子供が転んで泣き出すまでにしばらく固まるのを見たことがある方は多いでしょう。まるで今の刺激をどう解釈すればいいかの回路を大忙しで構築しているみたいな、あの様子。あれに似ているかもしれない。

今回カンパニーのダンサーであるファブリースが、フォーサイスに代わって新作のために日野先生をお呼びしたと伺ったのは去年だったのですが、普段なら即断即決即行動そして玉砕、構わず学ばずこれを繰り返す私がお伺いを立てるまで今回は本当に直前までグズグズしました。この硬直を溶く時が来たんだろうか。でもあれから全く進歩のない私を先生は一目で見抜くだろうし、それを見た私は平気でいられるだろうか。正直に言います。日野先生には根源的な恐怖を感じるのです。あんなに怖い人いない。安藤洋子さんも怖いけど、日野先生の怖さは一桁違う。もう、どんなにみっともなくても構わない、尻尾を巻いて一目散に逃げ出したい衝動に駆られる。

2年前にヴァレンシアの武道の稽古に出て以降、私はインチキだ、という悪夢にうなされてきました。泣きたいくらい悔しい、いや、悔しいんじゃなくて悲しいのか、いや、悲しいんじゃなくて怒りか、いや怒りじゃなくて、じゃあ何なんだ、ないと思ってたプライドか。結局アホなエゴに振り回されているだけなのですが、理屈でなく実地で体験したあれは苦しかった。洋子さんからもインチキだと面と向かって言われますが、洋子さんからはまだ一分の慈悲が感じられる。日野先生はもう全存在そのものが、お前はインチキだ、と言うのです。ふだんある程度以上になるとケロっと立ち治ってしまう私ですが、これはもう、絶望的に私のありかたそのものへの挑戦でした。笑い飛ばせない、ごまかせない。待ったなしで向かい合わないといけない。

今でも施術中に日野先生が現れては言うのです。
「そんないい加減でええんか」
意図なく触る、ということができなくなって、一時はもう頭は思考でいっぱい、軸はガタガタ、もう日野体験は悪夢として全部忘れたい、葬りたい、と思ったほどでした。

やっと日野先生がセッション中に現れても軸がとれるようになり、気持ち悪いインチキな触り方かもしれませんが私はこれで結果出すんでこれでいいんです、と開き直っていられるようになりましたが、またお会いしたらまたガタガタになるかもしれない。暴走するエゴの催眠術にかかってるとは頭では理解しているのですが、身体はガタガタ震える。仕方ない。


2年前のこと、まだつい昨日のことのように覚えているのです。
ヴァレンシアでの稽古に一緒に行った同僚の中村かおりは、日野先生にロルフィングって結局何や、と聞かれたとき、重力を利用するんです、重力と調和する身体を作るんです、と答えました。即座に返って来たのは

「そんなの当たり前やん。」

翌日
先生:「昨晩よく考えたんだが、じゃなんだ、ロルフィングつうもんは、飽きたから服を変える、みたいな感じで姿勢を変えることか?」
かおり:「ま、そんなもんです。」

それで話は終わってしまいました。ロルフィングというのは全くつまらんもの、という烙印を先生に与えた私は心の中でロルファーのみなさんすみませんと思いつつ、同時に日野先生に面と向かってこういうことを言い放てるかおりを改めて尊敬しました。

今回私はロルファーなどという看板は持たず、本当に箸にも棒にもひっかからない1ど素人として、世界の一流ダンサーの稽古の末席を汚させていただくことを許されました。本当は明日から8日全部参加できれば良かったのですが、ギリギリまでジタバタと迷っていたおかげでセッションの調整がつかず、後半だけの参加です。空気がもう出来上がったときに途中参加して場を乱す迷惑と不利を知りながら、エゴの言い訳を封じ、やっぱりどうしても参加したいというハートに従いました。

女は開き直ると強い。もうすでに失うものなんて何もないのだから、悩むだけ時間の無駄だった。書いてしまったら、なんだかどうでもいいことを大げさに騒いでいただけだった気もしてきました。久しぶりに、根源に立ち返ってカツを入れて来ます。今は純粋に、先生に久しぶりにお会いするのを楽しみにしています。


2012. 07. 20  
何からはじめようか。

解体。粉々。になりました。日野武道でのっけから自分の嘘くささに直面してしまい、自分を信じられなくなって、なんとか乗り切ったような気もしたけれどその後しばらくして言葉を失っていることに気づきました。私の発する言葉は言葉だけが踊っていてそこに私はいない。誰かに触れているそこに、私はいない。人に言葉を届けるって、どういうこと。人に触るって、どういうこと。人とつながるって、どういうこと。

今言えるのは、まるでわかっていないということが今わかってよかった。わかっていないことがわかっても、それはできるようになったことではないのですが。。日野先生のいう、日常を丁寧に、のところに根源的な恐怖を感じていたのは、それが私が目をつぶって通り過ぎたい部分だったから(かもしれない)。グラウンディングが嫌いなのも幼少期のトラウマから(かもしれない)。そう、日野先生いわく、自分のいまの気づきは全部仮説。何か思ったら、・・かもしれない、とまとめるようにしなさいとのこと。先生は何か書くのはいかに自分がアホだかを知るためで、2,3日たって読み返して自分のアホさを確かめるためだそうです。書きっぱなしで分かった気になっていた私は、だから達成感満々の割には何も成長していなかったという、すごいアホでした・・。話の相手になっていただいた時も、お前はすぐに分かった!というけれど本当にそんなにすぐに分かるのか?と言われて、がーん。落着きがなくて話がすぐ飛ぶし、いろいろ言ってるわりには結局何が言いたいかよくわからない、というのが私。浅すぎる。

日野先生はものすごく書く人のようです。単純明快な結論だけがパパっといえるのは、そしてそこに至る道をとてもクリアに言えるのは、それまでにすごく試行錯誤されたからのはず、とは思っていたけれど、そんなあたりまえのところにはいなかった。とにかく、守備範囲が広いにも関わらず、コアに到達する速度が速すぎる。真実をかぎ分ける嗅覚をとことん磨く、ぶれないここが日野先生を達人日野晃にしている・・のかもしれない。

日野先生は、もうとことん実体でした。私がついつい面喰っていつもの実体のない言葉遊びにそれると、自分で考えなきゃいけないことをなんで俺に聞くんだ、と即座に帰って来る。(いやこれはあまりにもあけすけな素振りですぐそれとわかる)

実体、ここにいること、いまこの瞬間やることをきちんとやること、これをしっかりやれい、とずっと言われている気がします。彼らを前にヨガをやっているなんてとても言えなくて隠してましたが(結局ばれたが・・)どのグルからも得られなかったこの部分を、この人はそのままやっている、実体で教えてくれている、とわかったときは衝撃でした。あまりにもふつう。あまりにも日常。

大事なことは日常に、あまりにも普通にある、というのが引き続き私がずっと受け取っているメッセージです。ヴァレンシアのワークショップはあまりにも強烈で、そしてその後もあまりにも大きな事が続いて山ほど書きたいことがあるのですがまだリハビリ中なので続きはまた今度。
2012. 04. 24  
弟子入りを希望する人から日野先生へあてた質問への、日野先生の回答。

質問は、
何年か前に試合中怪我をして以来、どうしても身体が怪我を怖がって前のような動きを取り戻せない。トラウマになった痛みがいつも繰り返しぶり返し、それを越えられない。メンタル面で強さを取り戻す訓練をずっと重ねてきて、それに対しては自信がついてきたが
まだ精神と肉体が別の音楽を奏でているように統合できない。
こういう状態で弟子入りできるでしょうか、というものでした。

先生の回答は思いがけないものでした。

彼は大きな間違いをしています。
それは「強い」という価値観、あるいは、概念の使い方の間違いです。
身体そのものは常に強いものです。
それは生命力という力、種の保存、存続という本能が働いているからです。
しかし、「人」というのは勝手な「強い」という概念を持ちます。
それは人と対立することで、そして、相手を制圧することでその強さを確認する、
自分の強さを自らが認める、という幼い自意識のものです。
その勝手な強いが、誤った方向に進めるのです。
つまり、身体とのバランスを失う、現在の彼の状態です。
武道は決して人と対立しません。
対立しないようにどうすれば良いのか、そこが稽古なのです。
とはいうものの、幼い自意識は誰にでもあり、また防衛本能も誰にでもあります。
それが働いた時に、相手との対立が生じるのです。
そこを取ってしまう、というのが武道の稽古です。
ですから、瞑想も何も必要ではなく、真摯に幼い自意識や単純な防衛本能と向き合うということが武道の稽古です。テッコンドウや空手、柔道と呼ばれる競技は、それを著しく壊しています。それらはスポーツであり競技ですから、もとから人と競うことを前提としています。
武道は自らを成長させることが目的です。
ですので、彼のワークショップ参加は、全く問題はありません。武道は決して相手を投げ飛ばして、突き飛ばして喜ぶもの、強さを評価するものではありませんから。


びっくりしました。
武道は人と対立しない。。
彼もそうですが、私も、ほかの多くの人も間違った方向で一生懸命頑張っていると思わざるを得ません。

強さ、というものは人と競って図るものでない。人と競って確かめたい強さは幼い自意識の現れ。

私も愕然としましたが、この返答を受け取った本人はさらに愕然としたようで、絶句しています。これは核心をついているから洗礼をうけるだろうな、とは思いましたが。男性はとてもデリケートです。。。

私がなによりはっとしたのは、身体は本来強いものだという一言。
そのとおりだと思います。いつからこんなに不安や恐れにとらわれるようになったのだろう。持って生まれた本来の生きる力が、いつからこんなに退化してしまったのだろう、と改めて思います。

ホメオパシーを私が真実だと思うのは、創始者ハーネマンが、人間には本来生きる力がある、病気になるのは病原菌や病因物質があるからでなくて、そういうものに感応する感受性があるからだ(そういうものを惹きつける内側の弱さがあるからだ)と喝破しているからです。人間は本来強い。病気の原因は外でなくて内にある。古くから疫病、伝染病、昨今ではインフルエンザに花粉症、(そして極論で今後の放射性物質汚染)に至るまで、私たちは何かが流行るとそれを恐れてその病因物質を排除しようとするけれど、それらが悪いのではない。それに感応する自分の弱さがいけない、ということになります。同じ状況下でも、助かる人と助からない人になぜ分かれるのかを考えると、納得いくでしょう。医者嫌いの日野先生は、同じことを言っておられる。一方当然のことを、当然と思えない私たち。日野先生語録には毎回本当に食らっています。


2012. 04. 19  
熊でなく日野先生ご本人から、自分のプリムーブメント(予備運動)をどう消して、逆に相手のプリムーブメントをどう読んでいるかの回答をいただきました。あまりにも圧倒的な叡智です。予想できたのはほんの一部で、大部分は私の小さな頭の想像の及ぶ範囲を完全に超える内容でした。日野先生のご了承のもと、この秘伝を公開させていただきます。以下ブルーの部分が日野先生のご回答。(五光のさす色にしたかったのですが見当たらず青で失礼)
注)後にこれは秘伝でも奥義でもなく当たり前のことだったとわかりました。。

1 予備運動をどうやって消しているのですか?無意識に出てしまう筋反射や重心の移動を意識的に押さえるだけでないのだと思います。無意識を意識に変えて、さらにそれを再度無意識にやるというとんでもない作業に思えてしまうのですが。

鎌田様始め多くの人、いや大方の人、そして色々な身体理論は、「自分が動く」という観点から全てを見ています。
だから、予備動作という問題が付きまとうのです。
つまり、何か対象のものがあり、それに対して「自分が」動く、単純には100メートル競走の如く、ヨーイ、ドンという形になります。
しかし、人の動作を観察すると、欲求そのもので働いた時は、動いたになり予備動作は起こっていません。
例えば、喉が渇いた、と身体が欲した時、何の躊躇も無く身体は冷蔵庫の方へ、あるいは、飲み物の方に向かって動作を起こしています。
また、武道では自分勝手にヨーイドンで動けば、直ちに相手に知られて迎え撃ち、返り打ちに会います。
だから、ここでのポイントは「相手に動かされる」なのです。
主役が自己ではなく、他者なのです。
だから、予備動作が起こることはありません。
しかし、もちろん、これの完成系は大変難しいものです。
人は意識を使ってしまうし、準備をしてしまうからです。
ここが修行であり、稽古なのです。
それは精神の修行といっても差し支えありません。
そして、相手の意識の変化を完全に感じ取る、自分の意識にそれを映し出すという稽古もあります。
その事で、つまり、相手の意識の変化に動かされるということになるのです。


自分から動く、から、相手に動かされる、へのベクトルの180度転換。びっくりしました。私は「自己」ありきの西洋人から色々習ってきてしまったのでこういう不自由な解釈をしていたのかと思います。

自己ありき、は考え方としは決して間違ってはいません。ただ、その自己をどう処理するのかが、西洋には無いのです。自己をどう成長させるのか、成長させるとはどういうことか、というような事には一切ふれずに、未成長の自己の上に知識を乗せていくというのが、日本以外の文化です。日本でも、特に「道」と名の付くものは、その自己に徹底的に拘り、そこに直接働きかけるということをしていきます。簡単に言えば「自己否定」です。その事で、表面に現れる言葉であれ、行動であれを自動的に成長させるということになります。

注)この自己否定についてはさらにうんと長くなるので別の項にさせていただきます。

自分から向かうのでない、予備運動のない動きには
先生のおっしゃる 思わず、の動きや
とっさの反射的な動きがあると思いますが

無意識の癖 はどうでしょう。

無意識の癖というのはやっかいですが、無意識で行う日常的行為を、意識的に行うというトレーニングをすることで修正させていけば良いだけです。

私は無意識の癖については予備運動が見えると思っていたのですが、それは私が人の癖のパターンを把握して、その人の意識の変化を見ていたのかもしれません。

きっとそうでしょうね。
そして、相手の意識の変化を完全に感じ取る、自分の意識にそれを映し出すという稽古もあります。その事で、つまり、相手の意識の変化に動かされるということになるのです。


これはフォーサイスカンパニーとやっていることですか?バレンシアWSでもやりますか?

というよりも、これは武道の稽古の定番なのです。
それをすることで、自分自身が意識的に動いたのか、動かされたのかに気付いていけるのです。
武道の全ての動きはこれで成り立っており、それが武道の稽古と呼ぶのであって、
それが無い稽古は武道とは呼ばないと、私は定義付けています。




2 相手の予備運動を見抜くとき(本気の付きとフェイントを見分ける時)先生は相手の何を見ているのでしょうか。

これは、ズバリ相手の意識の変化です。
フェイントの時は意識はわずかしか動きません。
本気で来る時は、意識が変化します。
そこの反応です。
しかし、武道では相手のフェイントも利用して攻め込みます。
その意味でも、フェイントは通用しないのです。

もちろん、これらは体験の科学のようなものですから、理解できても使用する事が出来ません。その意味でも実際の稽古が必要なのです。


意識の変化は相手の目に映りますか?それとも先生は別のところを見ていますか?

まず、目に映ります。
ですから、最初は目の変化を知るところから始めます。
それが熟練してくると、場に何かしらの変化があり、こちらの身体に影響が出て動いてしまっているになります。
もちろん、ここは結構長い道のりです。


注)やはりケビンフランクの解釈は浅かった。相手のプリムーブメントの見抜き方、というのは無意識の筋反射や重心の移動を見分ける哺乳類特有の能力などではなく、相手の意識の変化を見抜く力だったのです。YouTubeでは先生は相手の目からそれを読み取っているように見えたのでそう伺ったら、それはその後場に現れる、自分が動くのでなく、相手に動かされる、という、武道の基本で奥義で、そして私にとっては全く未知の世界の説明になりました。話がここに及ぶと毎回私はスタック状態です。ここはこれ以上聞いても無駄。体験しないと絶対につかめない。

また意識というのは相手の自我ですか?それとも魂、エネルギー、そういったものですか?・・おそらくこういう質問自体が西洋かぶれなんでしょうね。。西洋人にはあうんの呼吸、間、気配を消す、などという感覚は理解できないですものね。私もついつい西洋に毒されています。。

ここでいう意識の変化というのは、「今、攻撃してやろう」というような、欲であり、意思であり、思い等の集合体です。

これを武禅の合宿でやるのですよね。

もちろんやります。
ここで難しいのは、「思う」ということと、「意思」ということの分別です。
もちろん、自分自身のことです。
簡単に言いますと、「私に向って下さい」というと「あなたに向っていると『思う』」になるのか、本当に「あなたに向うのか」の違いです。大方の人は、「思う」になってしまって、本当には向いません。だから、「あなたは私の前にはいない」という言葉になるのです。こういった究極の否定は、残念ながら西洋人に対しては出来ません。そんな考え方植えつけられていないので、すぐに壊れてしまうからです。だから、論理武装するのです。

ついでに論理武装というところで言うと、西洋人の論理武装は単に重箱の隅を突っついているにすぎず、大局的な論理にはなっていないのが殆どです。
例えば、

> また意識というのは相手の自我ですか?それとも魂、エネルギー、そういったものですか

というように、簡単に魂であるとかエネルギーという言葉を使いますでしょう。それは全く合理的ではありません。意識とは何か、は、未だ人類が解決していない言葉ですし、魂というのも、エネルギーというのも、正体不明です。つまり、論理を組み立てようとした時、その正体不明のものも、正体不明でないものと同等に扱うことは出来ません。それは論理の飛躍だからです。意識も魂もエネルギーも否定するものではありませんが、その言葉を用いる前にもっともっと具体的なことを積み重ね、解決していかなければなりません。


注)ここはガツンとやられるだろうなと半分予測していました(笑)。実体のない言葉をいい加減に使って議論した気になるのが西洋流で、私もわかっていない時には西洋人並みにこういうことを並べ立ててフリをする癖がついていますが、全くこのとおりです(笑)。

私は日本人の方が西洋人よりも遥かに論理的だと思っています。それは根底に自己否定が出来る民族、というのがあるからです。つまり、護らなければならないものは、最終的には無いという思想が根ざしているからです。

注)これ以降は、私が常々格闘しつつ敗退を繰り返す禅への領域。もう自分の底の浅さは丸見えです。どうせわかっていないのだからフリをすることもやめて、正直に、このわからなさ加減をさらけ出して、いずれこの続きを公開させていただきます。

これらは膨大な日野身体理論のほんの一部です。これでわかるのは、この理論を頭でわかった気になるのと修得するのは全く別だということで、これは今後寝ても覚めても24時間稽古が必要だろうということです。おそらく先生のおっしゃることを肌で感じて合点するのは来世の課題になるでしょう。「自己否定」を心理学用語と解釈してしまうとまた勘違いしてあさっての方向に迷い込むはず。いつも私が途方にくれる無あるいは空の境地のことを言っているのだと思います。ちなみに神風に代表される決死の姿勢をいうなら、それは得意でいつもやっています。武道に関して全くのど素人の私が礼もわきまえずこういう質問をしまくり、黒帯の方々の間にひとり混ざって道場破りをするのもその一つ。
プロフィール

rolfertakami

Author:rolfertakami
鎌田孝美(Takami Kamata)

http://www.takamirolfing.com

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ヨーロッパロルフィング協会に所属する、
ヨーロッパで第2号の日本人ロルファーです。
英国スクールオブホメオパシー
アドバンスプラクティショナーコースに在籍し
現在臨床を行っています。

・・・・・・・・

内側に深くしまいこんだこだわりを、抱きとめ、見つめ、解放し、
かわりに内側で眠る可能性に光を与える。
身体が目覚め、失ったものを取り戻していく過程を
みなさまと楽しんでいきたいです。

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・ヨーロッパロルフィング協会認定
公式ロルファー
・同ロルフムーブメントプラクティショナー
・直傳靈氣師範
・全米ヨガアライアンス認定
ヨガインストラクター
・陰ヨガインストラクター
・ソースポイントセラピー認定施術者

・・・・・・・・

<セッションのお申し込み&お問い合わせ>

rolfertakami@gmail.com


・・・・・・・・・
2017年夏 東京セッション
6月27日(火)〜7月9日(日)


2017年 直傳靈氣講習会(東京):

前期6月30日(金)18:00〜21:00(日中への変更可)
  7月1日(土) 9:30〜12:30
       14:00〜17:00 
後期7月2日(日)9:30〜12:30
       14:00〜17:00 
      

直傳靈氣交流会(フランクフルト)

3月11日(土)16:00〜18:00


直傳靈氣交流会(東京)
7月9日(日) (予定)

参加お申し込みを受け付けております。
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Profile:

Takami Kamata

Certified Rolfer®
Certified Rolf Movement®Practitioner
Jikiden Reiki® Shihan
Registered Yoga Teacher
SourcePoint Therapy® Practitioner

Contact me at:

rolfertakami@gmail.com


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