2012.
07.
20
何からはじめようか。
解体。粉々。になりました。日野武道でのっけから自分の嘘くささに直面してしまい、自分を信じられなくなって、なんとか乗り切ったような気もしたけれどその後しばらくして言葉を失っていることに気づきました。私の発する言葉は言葉だけが踊っていてそこに私はいない。誰かに触れているそこに、私はいない。人に言葉を届けるって、どういうこと。人に触るって、どういうこと。人とつながるって、どういうこと。
今言えるのは、まるでわかっていないということが今わかってよかった。わかっていないことがわかっても、それはできるようになったことではないのですが。。日野先生のいう、日常を丁寧に、のところに根源的な恐怖を感じていたのは、それが私が目をつぶって通り過ぎたい部分だったから(かもしれない)。グラウンディングが嫌いなのも幼少期のトラウマから(かもしれない)。そう、日野先生いわく、自分のいまの気づきは全部仮説。何か思ったら、・・かもしれない、とまとめるようにしなさいとのこと。先生は何か書くのはいかに自分がアホだかを知るためで、2,3日たって読み返して自分のアホさを確かめるためだそうです。書きっぱなしで分かった気になっていた私は、だから達成感満々の割には何も成長していなかったという、すごいアホでした・・。話の相手になっていただいた時も、お前はすぐに分かった!というけれど本当にそんなにすぐに分かるのか?と言われて、がーん。落着きがなくて話がすぐ飛ぶし、いろいろ言ってるわりには結局何が言いたいかよくわからない、というのが私。浅すぎる。
日野先生はものすごく書く人のようです。単純明快な結論だけがパパっといえるのは、そしてそこに至る道をとてもクリアに言えるのは、それまでにすごく試行錯誤されたからのはず、とは思っていたけれど、そんなあたりまえのところにはいなかった。とにかく、守備範囲が広いにも関わらず、コアに到達する速度が速すぎる。真実をかぎ分ける嗅覚をとことん磨く、ぶれないここが日野先生を達人日野晃にしている・・のかもしれない。
日野先生は、もうとことん実体でした。私がついつい面喰っていつもの実体のない言葉遊びにそれると、自分で考えなきゃいけないことをなんで俺に聞くんだ、と即座に帰って来る。(いやこれはあまりにもあけすけな素振りですぐそれとわかる)
実体、ここにいること、いまこの瞬間やることをきちんとやること、これをしっかりやれい、とずっと言われている気がします。彼らを前にヨガをやっているなんてとても言えなくて隠してましたが(結局ばれたが・・)どのグルからも得られなかったこの部分を、この人はそのままやっている、実体で教えてくれている、とわかったときは衝撃でした。あまりにもふつう。あまりにも日常。
大事なことは日常に、あまりにも普通にある、というのが引き続き私がずっと受け取っているメッセージです。ヴァレンシアのワークショップはあまりにも強烈で、そしてその後もあまりにも大きな事が続いて山ほど書きたいことがあるのですがまだリハビリ中なので続きはまた今度。
解体。粉々。になりました。日野武道でのっけから自分の嘘くささに直面してしまい、自分を信じられなくなって、なんとか乗り切ったような気もしたけれどその後しばらくして言葉を失っていることに気づきました。私の発する言葉は言葉だけが踊っていてそこに私はいない。誰かに触れているそこに、私はいない。人に言葉を届けるって、どういうこと。人に触るって、どういうこと。人とつながるって、どういうこと。
今言えるのは、まるでわかっていないということが今わかってよかった。わかっていないことがわかっても、それはできるようになったことではないのですが。。日野先生のいう、日常を丁寧に、のところに根源的な恐怖を感じていたのは、それが私が目をつぶって通り過ぎたい部分だったから(かもしれない)。グラウンディングが嫌いなのも幼少期のトラウマから(かもしれない)。そう、日野先生いわく、自分のいまの気づきは全部仮説。何か思ったら、・・かもしれない、とまとめるようにしなさいとのこと。先生は何か書くのはいかに自分がアホだかを知るためで、2,3日たって読み返して自分のアホさを確かめるためだそうです。書きっぱなしで分かった気になっていた私は、だから達成感満々の割には何も成長していなかったという、すごいアホでした・・。話の相手になっていただいた時も、お前はすぐに分かった!というけれど本当にそんなにすぐに分かるのか?と言われて、がーん。落着きがなくて話がすぐ飛ぶし、いろいろ言ってるわりには結局何が言いたいかよくわからない、というのが私。浅すぎる。
日野先生はものすごく書く人のようです。単純明快な結論だけがパパっといえるのは、そしてそこに至る道をとてもクリアに言えるのは、それまでにすごく試行錯誤されたからのはず、とは思っていたけれど、そんなあたりまえのところにはいなかった。とにかく、守備範囲が広いにも関わらず、コアに到達する速度が速すぎる。真実をかぎ分ける嗅覚をとことん磨く、ぶれないここが日野先生を達人日野晃にしている・・のかもしれない。
日野先生は、もうとことん実体でした。私がついつい面喰っていつもの実体のない言葉遊びにそれると、自分で考えなきゃいけないことをなんで俺に聞くんだ、と即座に帰って来る。(いやこれはあまりにもあけすけな素振りですぐそれとわかる)
実体、ここにいること、いまこの瞬間やることをきちんとやること、これをしっかりやれい、とずっと言われている気がします。彼らを前にヨガをやっているなんてとても言えなくて隠してましたが(結局ばれたが・・)どのグルからも得られなかったこの部分を、この人はそのままやっている、実体で教えてくれている、とわかったときは衝撃でした。あまりにもふつう。あまりにも日常。
大事なことは日常に、あまりにも普通にある、というのが引き続き私がずっと受け取っているメッセージです。ヴァレンシアのワークショップはあまりにも強烈で、そしてその後もあまりにも大きな事が続いて山ほど書きたいことがあるのですがまだリハビリ中なので続きはまた今度。
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