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2012. 08. 29  
今日は満月。
満月の祭壇を作ってお香をたいて、感謝の儀式なるものをやってみました。
満月の祭壇
満月の夜は大抵ギンギンなのですが、今日は眠くてしかたがない。そして頭痛。どうやら明日は雨が降りそう。(と書いたら雷が鳴った)昼間は晴れていたのにすでに頭痛。雨の日の前日に頭痛がする歩く天気予報体質は、単に低気圧に反応しているせいで珍しくはないと、同じ体質のクライアントさんに教えてもらいました。この国の人は(私の周りだけか?)天候や季節、月の満ち欠けといった自然と身体が同調している人が多い。それを当たり前のように口にする。え~そんな風な表現があるの?そんなつながりがあるの?と私はいつも教えていただいています。本当は人間だってこの一部なのだから、分けて考える方がどうかしているのかもしれません。娯楽が少なく不便な国とも言えるけれど、このプリミティブなところがやっぱり私は大好きです。

満月を見ようと窓を見たけど見えず、外に出たけどやっぱり見えず、教会まで行ったけど見えず、やっぱり厚い雲の向こう側に押しやられている様子です。最近は光と闇がもみ合って交互に現れているみたい。明日は雨のようですが、皆様にとって満月のパワーが満ちたよい一日になりますように。

ところでそのクライアントさん、アントロポゾフ(シュタイナーの説いた人智学を実践している人)だったとわかりました。う~ん、やっぱりラインがつながっている・・
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2012. 08. 28  
来週から一週間ミュンヘンで研修。今回はあの歩くレントゲンDr.Peter Schwindにプライベートに習う2回目の大チャンスなので準備も怠りなく、、していなければいけないところを、どうしてもいろいろ気にかかることがあって手につかず・・。いやこのところ意思に反して気がつくと本当にぼーっとしていて、はっと我に返ってここはどこ、私は誰状態・・。

マルタ島。これについていろいろ口にするのはやめたほうがいいとはわかっているのですが、これを飲み込んでさあ次に行こうとするとぐいっと引き戻される。どうしても次に行けない。わかったわかった、わかりやした、と観念しました。

その後Fさんからグラハムハンコック著「神々の世界」という本を貸していただいたのです。マルタ島のことについて書いてあるから、と。日本でもベストセラーになった「神々の指紋」をご存知の方もいらっしゃるかもしれません。エジプト他の超古代文明について証拠を集め、失われた文明の存在という古代史を塗り替える衝撃的な問題提起をした本です。彼はジャーナリストとして、巷のスピリチュアルなインチキ本とは一線を画した書き方をしています。私は以前読んだときに彼の直感と分析力に感動しました。

今回は世界中にあふれる洪水伝説を元に、神話や水没地図に照らしながら海底世界をダイブしてまた新たな古代文明の存在の可能性を提起しています。マルタのことについて書いてあることもあって相当期待して食いついて読んだのですが、今回はじつは前回ほどは感動しませんでした。どうやら前著で多方面からバコバコにされたようで、以前より舌鋒がやわというか、直感より証拠集めに奔走していてつまらない(失礼)。要するに大昔大洪水があって沈んだ文明があるはずだ、ということがいいたいのですが、どうでもいい分析で退屈な部分がある。ただ、何気ないふうを装ってさらっと書かれている部分はやはり衝撃的で、この人の分析能力はすごいなとやっぱり感動しました。今回面白かったのは最後に日本が取り上げられているところです。(まだ読み切っていませんが。)日本はこの世界では王手だとする嗅覚はさすが。

さて期待のマルタ島。夢中で読んでまずわかったのが、この島には血塗られた歴史があるということでした。むしろその方がうんと長いようです。私が今回の旅行であまり外に出たくなかったのは、そして巷に語られている歴史を知りたくなかったのは(地球の歩き方さえ見なかった)こちらにフォーカスしたくなくて避けたんだとわかりました。本当にコンタクトしたいものから逸れたくなかったから。

私が知りたかったイムナイドラ神殿とジュガンティーヤ神殿についてわかったことがいくつか。

まず遺跡泥棒や暴漢によって、この遺跡がものすごく破壊されてきたということです。それに発掘されたものが消えたりすり替えられる事件が相次いだそうで、謎が多いということでした。

↑ここには分析されると「不都合な」ものが色々あって、それが公になってはやばいので表向き不自然な隠され方がされてきたのでしょう。私から見たら、隠している(少なくともグラハムハンコックに対しては)としか思えない。

・イムナイドラ神殿の神殿の楕円形は、ほかと共通した巨石建設の計測ユニット(巨石ヤード)が使われている。

・夏至の時、神殿の壁に一瞬あたる光が古代エジプトの絵文字ネテル(旗竿にはためく旗)を連想させる。

・アントン・ミスフッドによるとマルタ島はプラトンの書いたアトランティスだ。

色々ありましたがこの辺で十分でした。アトランティスがやっぱり関わっていそうだとわかったことで。あとはイムナイドラ神殿から見えた島は昔は陸路でつながっていて、まっすぐのびる水路があったとわかりました。あの島はこの神殿の続きの気がしていたので、なるほどと思いました。

グラハムハンコックは神殿は天文学の計測のために使っていたように思っているようですが、私はそうは思いません。古代の人は計測作業でなく、あくまでも宇宙(源=ソース)とのコンタクトとリチュアルのために使っていたと思います。そういう知識はもう元からあったので。私たちからみたら単に歌ったり踊ったりしているだけのわけのわからない様子が、彼らの用途そのものだったはずです。

コンタクトする。故郷に、太陽に祈る。農業を、月の満ち引きに照らして祈りながら行う。そして農作物の収穫に感謝する。そういうことをやっていたように思います。生贄の儀式はもっとあとになってから行われたはずです。最初は、私たちの知らないある物質を祀っていて、それに祈りを捧げていたと思います。神官は男性も女性もいたはずですが、私にはどうしても女性のイメージしかわきません。不思議なくらい、男性の存在感がありません(笑)

そしてこれが、ルドルフシュタイナーの提案したシュタイナー教育を思い起こさせるのです。はっきり言って、シュタイナーはアトランティスの黄金時代にルーツを持つと思っています。娘がシュタイナー幼稚園を卒業したこと、娘の親友はその後もシュタイナー学校に進み、私の友達もシュタイナー教育の教員候補、そして住んでいるこの界隈がシュタイナー村ということがあって、私はシュタイナーに縁があります。このシュタイナー教育は卒業生(と親)を現代社会にはなじまない、適応力のない、弱い人か変人にさせる、と今では否定的に受け取られることが多いのですが(いや実際かなりそうですが・・笑)私はこのシュタイナー教育はやっぱり、捨てても捨てても捨てきれない、私たちの失った大事な本質を取り戻そうとする試みの気がして仕方ない。

女性、農業、祈り、感謝、サークル(エネルギーを落とすにはサークルが必要)、シュタイナー

このあたりがキーなのかもしれません。

ちなみにアトランティスでは、青緑は子供が生まれるときに守ってくれる色。Fさんはその色を、死んだら帰りたい場所、と表現されていましたが、生まれ変わりの儀式で守っていただいた色とも言えるかもしれません。

マルタの方々は私にこのイメージを人に伝えてほしい、と言っておられるのでしょうか。このイメージが頭から離れなくて、これを書くまでほかのことさせないと言われているようで。自分自身のルーツについての整理も必要なのかもしれない。これでどうだ、Peterに進めるか。
2012. 08. 26  
セッション6後の夜、Fさんは突然不安と恐怖に襲われました。翌朝は足の着地がうまくいくようになりました。着地の感覚を確かめるかのように、Fさんは不安と向き合います。以下往復書簡です。ご本人の了承のもと転載させていただきます。


そう言えば、身体の様子がわかるということは、傷みなども実は他の人よりも強く感じるのでしょうか?

Fさんは肉体的な痛みより、精神的な痛みの方に敏感かもしれませんね。前もお話したかもしれませんが、この2つが体の組織に与えるダメージは同じなのです。心が傷ついたことは、身体のもともと弱い部分に蓄積されています。痛みそのものは主観なのですが、たぶん感性が発達しているということは痛みにも敏感なはずで、でもご自分の身体だけはそれを感じることを禁じるように今までとても辛くあたっていましたよね。。どこか罰をあたえるようなことをしていたかもしれないと、そしてこれからは身体をいたわろうと約束されたのは本当に大きなことだったと思います。

今まで何度も痛い目にあってきたためだと思うのですが身体の痛さの感じ方を調節して、というか感じないようにしているのは事実です。痛くなければ悲しくならないのです。私にとって「傷み」=「悲しい」なので身体以上に心が痛くて耐えられないからそうしているのだと思うのです。私には身体に受ける傷みによって身体に刻みつけられた「恐怖」があります。この「恐怖」があるのでとても臆病で用心深い(石橋をたたき割っても渡らない人と言われています^^;)目だたないように暮らしていきたいと感じています。それは自分自身を守るために多分必要なことなので、これまでの傷みの経験は必要なこととして納得しています。

しかし、確かに私には自分を痛めつけても良い、痛めつけた方が自分自身で納得がいく部分があり乱暴な身体の使い方をしてきました。心が痛い、悲しい時に身体も一緒に痛くなって欲しかったのだと思います。そんなことは良くないのですが…。強くなった自分はきっと心の奥底まで傷まない、悲しくならない強さを身に付け自分自身を大切にできると思います。先ずは自分を信じる練習です。


心が痛いときに身体も痛くなって欲しかった、というのは大きな発見ですね。悲しくならない強さを身につけることで、体もいたわることができる、というのはベクトルの180度転換です。すばらしい気づきです。これからの生き方につながるはずです。優しいけれど強いFさん、素敵です!!!


腎臓は五臓六腑のエネルギーの根源で「不安」を司る臓器なのですね。なるほど。。。「不安」によって心臓がドキドキしたりお腹が痛くなったり呼吸が荒くなったりしますから納得です。自分にとって「ヤバイ」ことがあった時に腎臓のフィルターに「ヤバイ」=「危険」がひっかかり「不安」になるのでしょうか?そして大きな「不安」は五臓六腑がきちんと働かなくなるので人体生命の危機となり「恐怖」に繋がるのでしょうか?

不安は、やばいことが起きるから感じるのではないのです。
不安が何よりも先にくるのです。やばいことが来る前に。
不安があるからやばいことを想定して、それを回避するためにありとあらゆる手立てを画策するのです。今世紀の陰謀の歴史は自分の完全性と人を信頼することを忘れた一部の人間の不安に突き動かされて築き上げた砂上の楼閣です。不安は実体ではないのに、これが先にあるから、あとに恐怖のシナリオを全部つくりあげました。何が何でも自分だけが・・、というこの衝動は、逃げても逃げても追いかけてくる不安から逃れられないからです。

今、いろいろなことが明るみになってきていますよね。たとえば実体経済から離れた金融システムの黒幕や今の表に出ている歴史を作り上げてきたほんの一部の人間たちを突き動かしてきたものは「不安」にほかならないと思います。今この瞬間にいつも不安があるから、自分の一生に使い切れない莫大なお金や資産を欲しがります。周りの人を信じられないから利用価値だけで物事を判断します。もとは自分の小さな不安から来ているということを見ていない。

不安が何よりも先に来るんですね。前回セッションをしていただいた晩に突然の大きな不安に襲われたので、この不安はいったいどこから来たのだろう?と疑問に思ったのでした。ゴルフトーナメントの前にどうして不安になるのか?心臓はドキドキするし空気は薄い気がするし腕も足も力が抜けなくてまともにスウィングできなくなるし、酷いとお腹が痛くなったりします。「ヤバイ、上手に打てない!」と思うからだと分析したのですが、これって練習した自分を信じてないことと自分の実力以上でラウンドしたいという欲望からくるのですよね。^;;;;;「分にあったことをしないといけない」という曾祖父の教えをいつも肝に銘じているつもりなのですがなかなか難しいです。ゴルフトーナメントで「自分を信じること」「背伸びをせずに自分としてグットプレイができたらそれで満足してから更に次のステップに進むよう努力すること」自分を信じて疑心暗鬼にならないように難しいですが頑張って練習します。

自分を信じないことと実力以上のことをしたいという欲望って、これも本当に根源的なテーマですよね。自分のなかにこれがあるということをしっかり見つめられるようになって初めて次に進めると思います。


着地が上手にできなかった足がどのような足だったのか分かりましたー!!!それは土踏まずが膨らんでいて起き上がりこぼうしのように不安定でグラグラしていたので足の指が安定を求めて丸まってしまっていたのでした。指が丸まってつっかえ棒になれば少しは安定するので^^;本当は全く安定しないのですが、起き上がりこぼうしに必死に対抗していた足の指が可愛く思えましたー「ストップーすとっぷ」って^^;;;身体の中心に身がいっていて蛹に栄養をあげていたので手足の先々が疎かにされていたのですかねー?思いついて面白かったです。

土踏まずが膨らんでいた感覚がなくなったのは前回のセッションをしていただいた次の日の朝に感じました。足の裏が平らになって着地し易かったので滑り落ちた階段も楽に降りられました。今はその膨らみはもうない感じですが当初よりは着地の楽さは感じていません。セッション翌日は目から鱗のごとく身体ってこんなに安定して楽に大地に接することができるんだーと思ったのですが、きっとその感覚に慣れてしまったのか最近は「すごい!この安定した着地」という感動はなくなっています。以前よりも地に足がついている感じで楽ではありますが。


足の裏の着地、そうでしたか。感動は薄れて当然なのです。そうなのです、慣れるのです。一般的にはまた元に戻った、と「不安」がります。。(笑)

足元を確かめるということは、無意識も含めた今の自分の感覚に正直になることです。私たちは根源に不安と恐怖があるから悲観的予測をしてそれを回避しようといろいろな画策をしている、ここに気づくこと。この不安と恐怖も含めていまここにいる、究極にはウドの大木になり路傍の石になるという生き方をする、という決意が次の一歩へつながります。
2012. 08. 22  
セッション6を終えたFさんの様子です。

昨日のセッションの終わり頃「私の身体はどこ?」との頭の問いにMRIのように頭方向から断面でどんどん身体を見ていきつま先に到達したときに「どうやらこれは私の身体のようね。でもあまりにも変わってしまって分からなかったわ。この身体に慣れるまでには時間がかかるわ。」の後に身体がエメラルドグリーンの水底に沈められたイメージがありました。実はこの水底はモンテネグロの湖のイメージでした。私はこの湖を見た時にあまりにも美しくて「私が死んだらこの湖に身体を沈めて欲しい。」と思った湖だったのです。その後水底から浮かび上がった身体は、新しく生まれ変わった身体でした。身体の中心部、胸の辺りから美しい光り輝くアゲハ蝶が羽化したイメージがありました。縮まっていた羽がピンと伸び羽の先までエネルギーが満たされて新しい成人の身体が出来上がったイメージです。

身体の細胞一つ一つはまだまだお互いに馴染みがなくお互いに自己紹介している感じなのですが、旧知の仲のようにすぐに意気投合しまとまってひとつとなる相談をしているようです。ゆっくりゆっくり一つ一つの細胞がひとつの身体を形成していく感じがしています。手足の先までびっちりきっちり身体を形成している肉がつまったので足がしっかりし大地をきっちりと掴み歩けるようになった気がします。着地に自分の身体の重みを感じられるというか、きちんと地面を踏みしめられている感じです。

昨日の夜は今までに出て来なかった感情「恐怖」がありました。「不安」が原因で「恐怖」が出てきた感じです。大きな恐怖の感情に押しつぶされそうになっていたのですが、何度も何度も「あなたは強くなったのよ。大丈夫。自分を信じて。」とのメッセージがあり今日は繰り返し「強い自分」を感じて「恐怖」のイメージはなくなりました。今の精神状態は安定しています。

今回は不快症状がでてくるのですね。今朝は背中が1枚岩のように固くなり痛かったです。なんだか懐かしい傷みでした。それと一時膝が傷んだのですが、これも今はなんともありません。


このセッション後、Fさんの以前のパタンがとても生な形で顔を出したのがわかりましたので、またここでひとつプロセスがあるかなと思い、不快症状が出てくるかもしれないとちらっとお伝えしておいたのでした。

その通りなのです。

身体全体が骨の方向と言ったらいいのでしょうか、中に中にと凝縮されていっています。身が締まって行く感じです。その身が締まる段階で細胞の間に入り込んだ悪い部分がもやもやっと黒い煙のようになって外に押し出されている感じです。黒い煙が出てくる時にその部分が傷むような感じです。でも身体にとっては細胞一つ一つが再生されたひとつの身体として完成されてくるのは大きな喜びです。嬉しくてウキウキしています。私は今まで乱暴に身体を使って傷だらけにしてしまったにも拘らずきちんと整え直して新しくしていただけることをとてもとても感謝しています。今までの乱暴な身体の使い方に深く懺悔をしながらこれからは自分を大切にしますと約束しました。

(この約束を待っていました!!!ブラボー!!!!)

セッション6は2,4に続く着地のセッションの仕上げです。足の着地に関してはここで全方向からバランスがとれた状態になるので、多くの方はここで両足が地面をしっかり踏みしめる感覚をつかみます。どんなに鈍いとおっしゃる方でもこのくらいの回になると気づきがおきはじめ、もちろんFさんもこの感覚はしっかり感じてらっしゃいます。

セッション6は身体の背面をワークするのですが、これは腎臓・膀胱の経絡にあたります。そしてこの経絡の司るのが不安なのです。腎臓は腰椎の内側に左右あるわずか握りこぶし大の臓器で普段はほとんど私たちの関心外ですが、東洋医学ではこの腎臓はものすごく重要な位置づけです。腎臓は祖先から受けつぐ先天の精(命門の火)、つまり生きる力を貯蔵していて、ほかの五臓六腑の活動の原動力になるからです。この腎臓の司る感情が不安、というのはとても面白いといつも思ってきました。

「不安」とそれに続く「恐怖」というのはとても根源的な部分です。私たちの争いの歴史はこの不安から始まるといってもいい。私たちがこの地球で人間やっているのも、これとの折り合いの付け方を学ぶためといってもいいくらいだと私は思っています。コアセッションの終わりセッション7は、違う世界への幕開けの意味合いもあって、その扉をひらく前のここでもっとも根源的な部分にアクセスするのはいつもなるほどなあと思ってきました。Ida Rolfの考え出したこのレシピはつくづく奥が深い。

Fさんは自分はもう強くなったから大丈夫、という気づきでこのプロセスを進んていくようです。これは似た感情に押しつぶされている私たちにも届くメッセージだと思います。不安を不安がっても何も解決しない。不安に続く恐怖に駆られて生きてきたのが有史以後の私たちの歴史です。

ちなみにある瞬間からふーっと沈んで再び浮き上がっこられた様子は私にもとてもリアルにわかりました。確かに青緑の天国のような気配が立ち込めて、めまぐるしく対話してらっしゃる様子でした。この水底での出来事は、Fさんにとってものすごく大事なことだと思えました。

ところで内臓にぎっしりあったさなぎは、アゲハ蝶のさなぎだったのか!と妙に嬉しくなったのは、私はアゲハ蝶にはちょっと詳しいからです。子供の頃アゲハ蝶の幼虫をたくさん飼っていて、この観察日記が作文コンクールでの入選5作の1つとして4センチくらいある文集の巻頭を飾ったのでした。題名は「あおむしのつるちゃん」。小学校6年生のことでした。最高学年として難しい題材を選んだ立派な志のつらなる作品群の中にあって審査員の度肝をぬいたであろうこの作品に対する書評は「みずみずしい感性」(笑)。全然違う話になってしまいました。。。
2012. 08. 16  
帰ってきてしまって、今更になってマルタ島の魅力がすこしわかってきました。Fさんが教えてくださったのですが、「初日に選んだ遺跡は「聖なる石」「崇拝の石」と言う意味のハイジャー・イム神殿と「最も神聖な場所」と称されるイムナイドラ神殿で、ゴゾ島は巨人女性崇拝の発祥地でジュガンティーヤ神殿はこの巨人女性が建造したと言われているようです。意味を知っていて選ばれたのかと思っていました」とのことでした。。

何も知りませんでした。初日はパンフレットにある遺跡らしきものでその日開いてるのがそこしかなかったからで、2日目はホテルのコンシェルジュの「一番古い」という言葉に反応し、その後サウナの「神の使者」に背中を押されたからで。。。発音できないし読めない場所なので、自分の訪れたところが果たしてそれだったのかさえ怪しくなり慌てていろいろネットで検索してみたら、ほかの方の撮った写真には私が見ていないものがたくさん写っている。蒼白。え、私たちどこ見てたんだろう。。。なにかいろいろなものをものすごく見過ごしてしまったのが分かってしまいました。いやでも今更焦っても仕方ない。最初の5日間で部屋から一歩も出ずにぼーっとしていたのは、あれは必要な時間だったのだろうと思えます。とにかく何もしたくなかった。最近脱構築作業でいっぱいいっぱいで、一度まっさらになりたかったのかもしれない。

おそらく私に必要な最低限の2つを、選んでいただいたのでしょう。最初に訪れたのが「最も神聖な場所」だったとわかって納得しました。あそこに降りていたエネルギーは強烈で、私でもマジシャンになれるくらいクリアでダイレクトで、その広がり方はすごかったから。そしてゴゾ島は巨人女性崇拝の発祥地でおそらく母神が祀られているというのも納得しました。巨人女性崇拝の発祥地!!どおりで女性性を強く感じたのだった。。私のイメージではあそこにいたのは複数のわりと色の黒い女性たち。巨人かどうかはわかりませんが。昔は3mくらいの人間がいたとも言われているので巨人だったかもしれません。彼女たちはゆったりと、本当にゆったりと、時間を紡いでいました。農業をしていたようですが、農作業の辛さがあまり伝わってこない。農作業の大変さを知っているゆえ、これからの時代は農業なんだよなと思いつつ正直気が重かったのですが、彼女たちのあのゆったりとした農作業のイメージをもらって、今までの「辛く苦しく余裕のない農業」に別の光が当たった気がしました。もしかして本当はもっとうんと省エネで農業が出来るのかもしれません。

マルタから離れたけれど、あそこの神殿に最初にいた方々の気配を今でも感じるのです。しかも複数。とてもありがたい方々とつながったのかもしれない。光に満ち溢れていて限りなく暖かい存在。思い過ごしにしては妙に質感があってリアルです。無尽蔵のエネルギー供給源を得た感じがして、ありがたくてただただ感謝しています。

今回観光はたったのこの2箇所だけ、それも家族の手前長居できなかったので、もしご縁があったらきちんと準備してもう一度行ってみたいと思いました。遺跡巡りなど家族の反対に会うのは必至なので、どうまたうまいことそそのかして連れ出すか、あるいは一人で決死の覚悟(時間感覚&地理感覚皆無)で出かけるか、さらにはもっと弱気に日本語ガイダンステープつきの観光バスにおまかせしてしまおうか、などとない知恵を絞りまくっています。古代遺跡に詳しい方、アドバイスくださいませんか?遺跡巡りにご興味のある方、今度一緒に行きませんか?
2012. 08. 13  
マルタ島から帰ってきました。
連日スキューバに行く主人と娘を見送ってホテルでぼーっと過ごしてしまうところだったのを、最後の2日を残すところとなって、いいかげん目を覚ませいっとばかり導かれて、古代遺跡を見に行くことになりました。タルシーンは以前行ったことがあるので今回はイムナイドラ神殿とゴゾ島のジュガンティーヤ神殿。

5日間閉じこもっていたホテルを出てわかったのは、この島はものすごいパワースポットだったということ。全然知りませんでした・・出かけてみるまで。実は今回(直前に主人が安いからと決めた)マルタ島に行くと知らせたときFさんは、私がマルタ島に行くのには意味があり、「遺跡に行かなくてはならない、そこには何かとっても重要なものがあり、そこから展開していくとっても大切なことがある」と強く感じていたそうなのです。Fさんはそれでも私に、そこには古代遺跡があったはずだけど、とさらっとおっしゃっただけでした。でもそれは確かに通じていて、私は残す2日を前に、突如と遺跡に行かなきゃいけないと思い始め、気の進まない主人と嫌がる娘をむりやり連れ出して訪れたのがハーガーキムとイムナイドラ神殿。IMG_1249.jpg
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実はめざすものが何だかも知らずそれが神殿かも知らなかったのですが(笑)1箇所目の遺跡群をぬけて歩き出したときに突如として場が変わったのがわかり、みると目の前に第2の遺跡群が。あ、呼んでいるのはこっちか、と思ったのがイムナイドラ神殿でした。ここはものすごいエネルギーの降りている場所で、めまいがするほどでした。ここだと思ったスポットで、いつもは絶対に人に見られないように一人でやるリチュアルを、今回は家族を含めないといけないと脅迫めいた確信があったため、不気味がる2人を目の前に立たせてやってみました。瞬時に場がクリアになって、これでよし、といったとたん、それまであった風とどんよりした雲が一瞬にしてなくなり、直射日光が照りつけました。大地と空と海が出会った瞬間。マザーガイアが応答してくれた??テントから出たら別世界が広がっていたのです。ときどき妙なことをやってるし変なことを口走るので母はイカレていると思い込んでいる娘も、非科学は信じない主人も、この体験は共通だったはずです。急に笑顔になったあとの2人と一緒に↓
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翌日今度はさらにここでは最古といわれるゴゾ島のジュガンティーヤ遺跡に行きたくなって、城塞都市である首都ヴァレッタに行きたいという夫とサウナで交渉していて劣勢に陥りつつあったとき、今度はどこから降って湧いたか(!)なんとおなじサウナに日本人男性がいて、「・・ヴァレッタよりゴゾ島がいいですよ」(!!)ここに長く住むマグロ養殖業に携わる方で、このホテルのスポーツジムに会員登録されていて、たまたまここにいらしたのでした。あちらもこんなところで日本語を聞いたと驚いてらっしゃいました。この方がゴゾ島への行き方を詳しく具体的に完璧に教えてくださって、全く興味をもたなかった主人の背中を押してくださいました。今でもあの方は神様からのお遣いの方だったと思えてなりません。後で主人と名刺を交換してらしたので生身の人間のはずですが、気配がわからなかった。。。。

ということでその方の指示通りレンタカーを予約し、カーナビだけ売り切れだと言われたのですがたまたまどういうわけかスーツケースに主人がトムトム(カーナビ)を入れていたのでそれを頼りにフェリーに乗って(私達の車が45分に1本の巨大なタンカーに乗り込んだ最後の一台)ジュガンティーヤ神殿へ。
Ggaantija Temples
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鳴り物入りでやってきた割には普通の場所でした(笑)IMG_1451.jpg
どうもこの神殿は後から別の用途で使われたのか、エネルギーが当初とはだいぶ変わっている印象を受けたのです。ただここには女性のイメージが強くあって、おそらく神事をしていたのは女性??女性性に満ちあふれた社会で自給自足で平和に暮らしていた人々が、侵略されたイメージが湧いてきました。そして私に、女性の暖かさや優しさ、平和を重んじる大切さと、自給自足で幸せに暮らしていけるのよ、というメッセージをくれた気がしました。私がここを訪れたのは、このメッセージをいただくためだったかもしれません。
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とにかく平和で優しい場所でした。私はいつもだだっ広い草原と石造りの平屋をみると泣きたくなるような郷愁を感じるのです。多分前世の記憶かもしれない。

マルタの歴史には全然不案内なことと、あまり巷に語られているマルタの紹介に興味が持てないこともあって私のマルタ紀行は完全に勝手な個人の憶測ですが、ここは知られていないものがものすごくあるという印象を受けました。まず遺跡群は、たぶん言われている3600BCよりもっとうんと古い気がします。巨石やマルタ十字はエジプトと通じているはず。(マルタ十字はキリスト教のシンボルと言われていますが、滅亡間近のエジプト王国にいたというコプト人のシンボルとそっくり。)つまりおそらくアトランティスとつながっている。このクローバーのような神聖幾何学は私は知らなかったのですが、マルタ島に点在する寺院やパワースポットをつなげるとここでもカバラが浮き上がってくるかもしれない。神事にかかわる大事なものは全部壊れたか持ち去られて(残ったものは博物館)ここにはもう以前のような統合したエネルギーはなかったのですが、ゴゾ島はいま思うと島全体がパワースポットでした。光に包まれた楽園でした。女性性をためらいなく全面に出した場所。私達はああいう風に生きられるんだよと教えてもらった気がしました。
2012. 08. 11  
Fさんはセッション5後に不思議な感覚があったそうです。

自分の身体が火柱となりぼうぼう凄い勢いの炎に包まれて上へ上へと上昇する感じです。なんだかとっても気持ちが良かったです。凄い勢いの炎なのにとってもあたたかくて、あたたかい優しい炎に包まれて幸せな気分でした。不思議です。。。不思議と言えば時折やっぱり頭の鉢巻はあるのですが…あれまだサングラスを頭に乗せていたかしら?と頭に手を伸ばす自分が面白いです。

肝臓の経絡は足から始まって脇腹を抜けて、最後はこめかみから目に抜けるのです。そして肝臓は春の爆発的な上昇するエネルギーを象徴しているのです。怒りのエネルギーの開放を象徴していると思えてなりません。こんなふうに開放できたらすごくいいなあ、と思いました。 
2012. 08. 10  
怒りと向き合うということ。

怒りのエネルギーの開放については、私は浅はかにもに相手に向かってこのエネルギーの爆発を許してしまうことととらえていたのですが、そんなに単純で無責任なことではないと教えてくださったのはFさんです。本人のキャパを尊重し、安全な場を確保し掘り起こし過ぎないことがここでも基本です。一気にゴールをめざしてつんのめったりすると無駄な混乱を招き、結局は遠回りになります。

「いい人」であるFさんが怒りのエネルギーの開放をどうするのか注視していたところ、果たして炸裂して豹変、などということにはなりませんでした。頭の鉢巻と火柱の立ち上がりのあと、「大きな大きな大木の中に入れていただき抱かれている感じがし」て収束に向かっているように思えます。まだわかりませんが。大事なことは開放は常に劇的とは限らないということ。私には何も起こらない、とおっしゃる方は、ドラマを期待しすぎているかもしれません。ドラマは必要ないのです。それより、些細な、微妙なことに目を向け、耳を澄ませることが大事です。

Fさんは怒りとは向き合わないそうです。怒りのエネルギーは大抵ネガティブなエネルギーです。それをえぐることが開放に必ずしも必要とは言えない。Fさんはここでも長年培った許しと感謝のテクニックで包み込むことを選びました。

私はもう長いこと「怒り」を封印しています。消しているのではなく封印しているのです。幸いにも今は使い道がないために。。。「怒り」は大きなエネルギーを持ち変化を望む時には絶大な力を発揮すると思います。真剣に全力で誰かに何かに向き合ったときに最後の最後に奥の手として使えるのが「怒り」のパワーだと思っています。奥底、地底には「愛」がある愛の泉から湧き出る「怒り」は人を動かす、人の心を変える大きなパワーがあると思います。だから大切なエネルギー、大切にしたいエネルギーです。

肝臓のエネルギーが5行でいう木、春の爆発的に芽吹くエネルギーであることを考えると全くその通りで、なるほどこういうふうに使うのかと思いました。

毒されてしまった子供たちに私は本当に久しぶりに怒り、怒鳴りました。自分でもびっくりしたくらいです。でも真剣だったのです。いつもニコニコ大人しくしている私が怒り怒鳴るのは子供たちもびっくりしたようです。他の子供たちに怖がられないかしら?とも思ったのですが全く問題ありませんでした。真剣勝負の真剣さを伝えるとってもよい手段でした。子供たちは怒りの後の笑顔と優しさの心地よさを知り、いつも笑顔と優しさに包まれたいと思ったのかだんだんにかわいらしい良い子になり私の笑顔の時間は増えていきました。

「怒り」の私の方向というか対象は人間ではありません。私の怒りの方向は「その人をそうさせてしまった理由、原因」に向かいます。人間は白いたねから生まれてきているからその人は本当は白いのです。でも何かの理由でそうなっている、そうなってしまったのは仕方がないこと、つまり許せることなのです。相手ではなくその理由に怒りをぶつけるのです。その理由が憎いのです。きちんとそれを相手に理解してもらえば相手は傷つかないと思います。


罪を憎んで人を憎まず、というのは指導者の常識ですが、こうおっしゃる指導者の言葉が胸に響いたことはいままでありませんでした。実感がなくどこか嘘くさい。私は人の口から出る言葉を信じず、本に真実を探しました。私の問題は、実地で学べず本に頼るので頭でっかちなところ。知識としてはあるが身になっていない。この根本的弱点を最近武道で日野先生にバシっと指摘されて倒れました。そうか、私は逃げていたんだ、と気づきました。

日野先生には生き方を全否定されるようなことを言われたのですが、それでも私が感謝で涙が溢れたのは、日野先生が全存在で私に向き合っていると感じたから。そこに愛を感じたのです。あれは強烈な体験でした。あれが人と正面から向かい合うということ?序の口の体験で今も何も分かっていないのは重々承知ですが、でもあそこには確かに何かがあった。

真正面から直球で来るのが日野先生だとしたら、Fさんは傍らにそっと丁寧に寄り添うタイプで、一見全然違うように見えてお2人に共通しているところがあります。それは、向かい合うことを真摯に真剣にするということ。省エネで接すると相手は動かない。言葉は届かない。自分が省エネしているのに相手が動かないとムカついてムキになって相手を動かそうとするのが普通の人がやることで、自分から相手に向かうベクトルだけに頼る小我の小競り合いになります。私達の人間関係の軋轢なんて家庭内のいざこざから始まり、いじめや国際問題に至るまで、こればっかりじゃないかと思えます。

私はここにいて、あなたに向き合っている。私はあなたの存在を認めている。障害児の指導の経験のあるFさんがこのスタンスで人と向き合うということを具体的に教えてくださいました。

怒りの対象を子供たちにどう理解してもらったを具体的に書きますと、悪い行動に出た子供を大声で静止してまず危険な行為等を止めさせます。そして静かな場所に誰もいない場所に移動して(周囲に友達等がいると気にして素直になれないので)静かにどうして怒ったのかを説明します。「いつもの君は好きだよ。とってもいい子で好きだけど今の××している君は好きではないんだよ。だから怒るんだよ。。。」と。君のこと大好きだよと言う目で見つめてあげながら。。。私の気持ちとしてはその子に対しては「悲しい」が本当のところです。そうなってしまうことが悲しいのです。憎むべき原因には怒りがありますがその子に対しては悲しいのです。自己中心的で我欲が強く人を犠牲にしてまで人を踏みつけてまで自分の欲望を満たしたい人は分け会える喜び心の繋がる喜びを知らない心の乏しい可哀想な人だと思いませんか?本当の幸せ、他の人と心の繋がる、つまり自分の存在を100%認められて求められる幸せを知らない人のことを私は悲しいと思っています。感情のある人間に生まれてきたのならこの幸せを知らせてあげたいし、知るべきなのだと思っています。

人間には「存在感」が必要だと私は考えています。自分以外の誰かに認められて自分の存在を肯定されること「存在感」がとても重要だと思うのです。肯定された「存在感」のある人間は他の人から愛され大切にされると思います。それは喜びであり幸せであると思います。自分以外の人間に認められない人はその代わりに自分で自分を認めて良しとしようとしていると思います。そう我欲に従って全て自分の物にしたり…そしてそれが手段を選ばない為他の人を傷つけたり悲しいことです。

人は無視されると精神的に大きなダメージを受けると思います。自分の存在を大きくアピールしたいがために他の子と違った悪いことをして先生の気を引いている子供がたくさんいました。その子達の悪いことを無視するともうしなくなるのですが逆に叱りつけたりすると喜んで何度もしていました。授業を抜け出して廊下を走り去り悪態をつく子に「○○もう帰って来なくていいよ。バイバイ。」と言ったらくるりを向き直り教室に戻り大人しく授業を受けたのはお腹の中で(本人に気がつかれてはいけないので)大笑いでした。自分を認めるために悪いことに手を染めてしまう人間、そしてそれを自分の成功として自分を認め更に大きな成功をして更に自分を認めたいと渇望する人間、人に認められ分かち合う喜びを得られないのでどこかに虚しさが残り更に更にと求めて行く姿は悲しい姿だと思えるのですが…


愛の反対は憎しみではない、無関心だ、というのは有名なマザーテレサの言葉ですが、私はこの言葉に出会った時に涙が止まりませんでした。実感でその通りだと思ったからです。マザーテレサは厳しい人だったようですが、やっぱり彼女は人に真剣に向かい合っていた人だったのだろうと思います。
2012. 08. 10  
セッション5を終えたFさんの様子です。

身体の様子は

身体の中心部にあったさなぎの様なぎっしり詰まった濃いものの中身が明るくまばゆく光り輝き外に流れ出てきた感じです。キラキラ輝く光の粒がどんどん溢れ出てきて、指先、足の指までどんどん転がって行く感じがします。美しく輝きながら光を反射させて転がる丸い球はとても綺麗です。そして指先、足の指、つまり身体の末端までの神経が再び通り初め自分の意志が末端まで渡くようになった気がします。今はまだその過程なので充分ではありませんが一昨日までとは雲泥の差で末端まで感覚が戻ってきたのは、自分の体がここまで全部自分と認識できて嬉しいです。「これが私。背伸びもしていなければ飾ってもいない私。」とフワフワ幸せ気分をたくさん感じていた一昨日までとは違って気分はとても落ち着いています。足先に神経が通ったためか?地に足が着く状態となり幸せな自分をどっしり落ちついた気持ちで認識しています。掌から足の裏からパワーが出て来そうな感じです。充実していく身体を感じています。。。


・・といいながら腰痛があるとは思えない動き方を結構されていて、私などはそれは無茶ではと密かに慌てたりしていますが、これも全部Fさんの選択されているプロセスです。Fさんは周りの人(私も含め)に対する隅々まで行き届いた心遣いに比べ、ご自分の不快症状にはあまり神経をお使いにならない(笑)というか・・いえここにいろいろからくりがあって、この部分も是非見つめて紐解いていっていただきたいのですが。

そういえば紐解くといえば、Fさん曰く、人間は紐と似ているとのこと。言われてみれば確かに紐解きはトラウマ開放のプロセスといえなくもない。うまくいかないからイライラ焦ってショートカットを狙ったり別のルートを取ったり切ったりしても結局解決にならずこじれるし、人間関係の軋轢でささくれだっていくのも、紐と似てるなあと思いました。

4,5,6と続く骨盤セッションの中央にあるセッション5は概して平和なセッションで、腸腰筋を酷使するダンサーや内臓疾患のある方にとっては大きなセッションになることもありますが、横隔膜と内臓のリリースによりとてもハッピーになる方の多いセッションです。
2012. 08. 08  
セッション4のテーマの一つに怒りがあります。怒りを司る経絡を刺激するので、その開放が起きやすくなります。

セッション3(体の側面)で訪れる腰方形筋がコアへの最初の架け橋、そしてコア突入となるセッション4のメインとなる骨盤底筋群と内転筋(脚の内側)は、それぞれ経絡で言うと胆嚢と肝臓の経絡にあたり、この経絡の司るのが怒りの感情です。肝臓・胆嚢が悪い=怒りっぽい人と単純に解釈しがちですが、私の知る限り肝臓の弱い人は、大酒飲みでイライラと怒ってばかりいる、という一般的な解釈とはむしろ逆で、お酒もほどほど、怒りとも無縁の「いい人」が多いのです。

物言わぬ臓器である肝臓は抑制のかたまりです。日本人は和合を重んじる民なので怒りとの付き合い方が苦手な方が多く、この怒りの感情は「封印」してしまいます。自分が怒りを抑制しているとは本人は知らず、自覚症状も全くないので自分では何も問題はないと思って楽しく過ごしているのですが、この封印されたエネルギーは驚く程正確に蓄積されています。こうやって無意識に蓄積された怒りのエネルギーは肝臓・胆嚢のつまりになり、腰痛(脇腹に激痛ポイントがある)や肩こり(といいますが実際はむしろ首こりで、日本人の首は特徴的)や頭痛(とくにこめかみ)を引き起こしたりします。

Fさんはセッション4の後に腰痛になり、「頭に鉢巻されたかのような」頭痛が起こりました。まさに肝臓経絡に蓄積した怒りのエネルギー炸裂!と「いい人」であるFさんの豹変をちょっと期待してしまったのですが(笑)怒りの開放は、怒りを相手にぶつけることではない、と逆にやんわりと諭されました。(ここはとても大事なトピックなので、別にまとめます。)

ちなみにFさんはセッションを重ねるごとに症状の逆回し現象がおきています。
どうもセッションを重ねるごとに新しい順に段々と古いトラウマに遡って身体に症状があらわれている気がします。それってどんどん古傷を思い出さないといけないのですよね。うーん。いっぱい出て来そうで怖いんですけど…^^;とおっしゃっているのですが、全くその通りでこれがいわゆる治癒の法則です。どうぞこの玉ねぎのような古傷の蓋があいていくのを楽しんでください(笑)
2012. 08. 04  

セッション4を終えられたFさんからのメッセージです。実はセッション3後に怪我をされて、セッションを一時中断して着地に特化した3+を加えました。セッション3や7は変容の大きな山場の一つなのですが、どういうわけかここで持病が再発したり過去の古傷の蓋があいたりこのようにトラウマ的怪我をされたり、はたまた交通事故に合うなどと、セッションを中断せざるを得ない状況になったりすることがあります。変容が本物であればあるほど、あたかも幸せになることを阻止する邪悪なエネルギーが本気で挑みかかってくるかのようです。普通はこういうことがあるとまず台無しになってしまったと落ち込み、不安と不快症状にからめとられてネガティブなスパイラルに引き戻されるものなのですが、Fさんの場合はそれさえも全部感謝で包み込んでしまいました。

起こっている事実は実は問題ではない。これをどう受け止めるか、どう解釈してどう血肉にするか、これが影響するのです。これからの生き方、を教えていただいています。この怪我は中断のように見えて、実に大きな飛躍への基盤づくりになっていると、Fさんを見ていて感じます。Fさんの場合は本当にいろいろなことが示唆的です。


身体の様子は

どうやら身体の中心、内臓の部分にさなぎの様なぎっしり詰まった何かが入っている感じがします。ぎっしり、ぎっしり詰まって濃い感じです。それと対照的に手のひらや足の裏といった末端は神経が少ししか通っていない感じになりました。手のひらの感覚は薄く集中できない感じです。怪我をして歩き方に神経を集中しきちんと踵から着地して足のひら全部を出来るだけたくさん地面につけ足の指で地面を掴むように、足の指をパ―の形に開いて出来るだけたくさん地面をしっかり掴むように歩く練習をしておいて良かったと思いました。ちゃんと地面に足をつけて歩けないと「地に足がつかない」状態、重心が心臓近辺にあるのでふわふわと「浮足立つ」感じになったのではないかと思います。怪我をしたこともそれを大きくフォローしてくださった孝美さんにもとても感謝しています。ありがとうございます。一歩一歩地面にいっぱい足をつけて地面のたくさんのエネルギーをいただき木々からも風からも全ての自然からエネルギーをいただき今毎日とてもハッピーです。にこにこしながら「私はとっても幸せだわ~♡」と過ごしています。心はとっても安定して暖かく全てのことに感謝して過ごしています。

痛かった肘も膝も痛みはありませんが、調子に乗って久しぶりだというのにたくさんゴルフの練習をしてしまって筋肉痛と首の筋がちょって痛いです。ゴルフができることにも感謝しています。こんな幸せな時間を運んでくださった孝美さんにとってもとっても感謝しています。ありがとうございます。


Fさんの言葉にはいつも本当に驚いてしまうのですが、今回もご自分の身体に起こっていることに対する正確でリアルな表現に驚いています。さなぎがぎっしりぎっしり詰まって濃い内臓。いやあ、ピンとくるだけに笑えました。笑っているのはこの気持ち悪さはもう笑ってしか表現できないから。第5セッションは奇しくも内臓の開放。Fさんはご自分の身体に今なにが必要なのかいつも少し先取りして教えてくださっているみたいです。

ちなみに、歩き方。実はいま、着地したくない人が急激に増えているのです。おそらくいまの地球のありかたとも大いに関係しているはずです。いまのこの現実を直視したくない。これから起こることに対する耐性を、今のこの現実を現実と受け止めない練習でつけようとしているかのようです。Fさんの言うように、かかとから着地して、足の裏が地面と出会い、足の指で地面を蹴って進むということ。ちゃんと歩くことがこんなに深いことだと分かると、ものすごく勇気づけられるはずです。着地がおぼつかなくなったら木に学ぶ。木は偉大です。

コアセッションに入り、これからいよいよしまい込まれた「不都合な真実」や身体のこじれた結び目にフォーカスが入ります。私はあえてFさんにセッションの目的や起こりうることを事前にお知らせしていません。演出なしの生のプロセスをぜひ体験しきっていただきたいからです。

2012. 08. 04  
Blue Moonの満月も終わり、眠れない夜もおしまい、、のはずが今日も眠れません。さっき窓辺でこの月光と目が合ってしまったからかもしれない。

意図なく触ること。ただ触れること。

ワークにいちばん大切なここがガタガタになったこの焦りはただ事ではなくて、これは考えちゃいかん、身体に聞くんだと言い聞かせても、それをやっぱりまた頭で考えている。ただひたすら胡桃で練習して、肘からの誘導を練習して・・・いられればいいのだけれど修得に1000年くらいかかりそうで気が滅入る。手のひらの痛点や温点、冷点をチクチクやってみたり、とまた余計なことをやり始めて、そしてやっぱりこれは一朝一夕でつかめないとわかるのが悔しくて、速攻ワープの手段を探そうとする誘惑との戦い。ホメオパシーでも、「私いつもレメディ選びに対する手軽なツールへの誘惑にぐらっとしそうになるんですよねー(きちんと分析するんじゃなくて)」と先生に言ったらそれは正直だとしみじみ言われたことを思い出します。正道を地道に行くのが結局は最も早いとはわかっているのだけど。

もういろいろ考えるのが嫌になって気分転換に、とRolf Institute®の機関誌Structural Integrationを手にとったら飛び込んできたのが日本を代表するロルファーである田畑浩良さんのYieldingという記事。
田畑浩良さんのブログ

そうか、委ねる!

最近受けたLaelのトラウマワークショップとはかなり近いだろうし、現代ロルファーは多かれ少なかれこの路線なのでまったく新しい概念ではないのですが、Yieldingというキーワードを改めて今いただいたことは本当に大きかった。いろんなことがするするとつながってくる。ほとんどティシューワークなしで、場をつくって誘導するだけでここまで深い変容をもたらすことができるというのは、改めてケースの写真を見てものすごいことだと思いました。変化の下地になる場を作ること。相手が安心して身を委ねられる場を作ること。自分がクライアントになる時には自分の身体がひらくかどうかはここにかかっていると実感しているので、私も何より自分のワークで大事にしていた部分でした。この記事はYieldingの大切さを細胞の着床VSアポトーシス(死)という観点からも補っていて、ものすごく面白かったです。このキーワードについて10年探求して教えてくださっている田畑さんに感謝です。今月のボルダーでのワークショップには行けないけれど、いつか参加させていただきます。

意図なく触ること。相手と会うということ。Yieldingというキーワードをもらって、風穴を見つけた気がします。自分の小さな頭でぐるぐる堂々めぐりをしていてもどうしようもないとき、こういう啓示には本当に感謝です。
プロフィール

rolfertakami

Author:rolfertakami
鎌田孝美(Takami Kamata)

http://www.takamirolfing.com

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ヨーロッパロルフィング協会に所属する、
ヨーロッパで第2号の日本人ロルファーです。
英国スクールオブホメオパシー
アドバンスプラクティショナーコースに在籍し
現在臨床を行っています。

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内側に深くしまいこんだこだわりを、抱きとめ、見つめ、解放し、
かわりに内側で眠る可能性に光を与える。
身体が目覚め、失ったものを取り戻していく過程を
みなさまと楽しんでいきたいです。

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・ヨーロッパロルフィング協会認定
公式アドバンスロルファー
・同ロルフムーブメントプラクティショナー
・直傳靈氣師範
・全米ヨガアライアンス認定
ヨガインストラクター
・陰ヨガインストラクター
・ソースポイントセラピー認定施術者

・・・・・・・・

<セッションのお申し込み&お問い合わせ>

rolfertakami@gmail.com
+49(0)6171 279 0088

・・・・・・・・・
2017年冬 東京セッション
12月27日(水)〜1月3日(水)


2017年 直傳靈氣講習会(フランクフルト):

前期10月20日(金)14:30〜18:30
  10月21日(土)9:30〜12:30
       14:00〜17:00 
後期10月20日(日)9:30〜16:00
        
      
直傳靈氣交流会(フランクフルト)
10月23日(月)16:00〜18:00

ホメオパシーについて語る会
10月18日(水)14:00-17:00
内容
ホメオパシーとの付き合い方:
ーファーストエイド
ーミニコンサルテーション
Abby Takarabe, Peggy Bideホメオパスを
聖地スワジランド、オーストラリアから
講師にお招きします。

参加費用:
50ユーロ

タロット講座

10月23日(月)
13:00−16:00

講師:大塚英文さん
受講料:60ユーロ


参加お申し込みを受け付けております。
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Profile:

Takami Kamata

Certified Advanced Rolfer®
Certified Rolf Movement®Practitioner
Jikiden Reiki® Shihan
Registered Yoga Teacher
SourcePoint Therapy® Practitioner

Contact me at:

rolfertakami@gmail.com


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