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2015. 03. 30  
今日から夏時間になりました。時計が一時間早まって、明日からは1時間早く一日が始まります。今年の冬は、とくに雨ばかりで日照時間の少なかった2月は本当に重くて、春分でも皆既日食でも今ひとつエネルギーがクリアになりきれないのを感じていて、今日の夏時間の始まりとともに、やっと一つの区切りが来たなと実感できました。

今日は同僚と月例Skype。もう忙しさで疲れきっていて休養が必要、という彼女の様子をみて、1時間半で切り上げました。毎度9割以上はセッションの話。彼女の創造力と進化には毎度本当に驚かされます。もう浮き沈みやジタバタかげんは私とどっこいで、要領の悪さも良く似ているのだけど、彼女はもう本当に最初に会ったときとは別人になりました。彼女は天性のヒーラーだ、と出会ってすぐ直感して、何があっても彼女に金魚の糞みたいにくっついてい回っていた私の直感はやっぱり正しかった。花開きはじめた彼女は、私が心から信じられる数少ないヒーラー。

改めて私は彼女から受け取るばっかりだと思っていたら、彼女からその後短いメールを貰いました。まるで私の心を見透かすみたいに。私はあなたからからたくさん学んで来たのよ、孝美、と。泣いてしまった。解剖学用語はさっぱり覚えられないし、先生の言ったこともデモの内容もまあ理解していないかすぐ忘れるかで、彼女の理解力の100分の1もなくて、未だにとんちんかんなことしか言えない私から学ぶって???

でも本当かもしれない。私たちは深いレベルで理解し合えるところがある、と言ってくれた彼女に共感しています。たぶん彼女の信じているものと私の信じているもの、見ている層が似ている。これは言葉にできない部分。たぶん直感。

エソテリック=インチキと捉えるドイツ人の間でやって行くため、専門用語や解剖用語を使って一生懸命カモフラージュしてはいますが、私がセッションで頼っているのは直感以外の何者でもない。身も蓋もない話ですが。一応勉強はしていて、知識は常に仕入れようとしています。でも私のセッションについて話す人たちは、私のセッションは直感だ、エネルギーワークだ、と言っているようです。拍子抜け。なんだバレてたのか。なんだか言葉を尽くしてそれらしく装飾してきたのがバカみたい。でも、そうなのです、彼女は、直感に戻っていい、といつも言ってくれる。私の持つ資源を信じていい、と。


今日彼女から教えてもらったマントラ。
-There has been an alarming increase in the number of things I know nothing about.
-I am divinely protected and supported by the universe.

これ思い切り直傳靈氣の五戒と似てるなと思ったのですが、私たちは本当にいつもいらぬ心配ばかりしている。私は天から守られています、というのは素晴らしいマントラ。天に任せる、天に守られてる、てすごく神道的。

これを見てやっぱり思い出したのが武者小路実篤の:

神様に守られていると思う時
俺は強いぞ

原本が手元にないので言い回しが間違っているかもしれませんが、この破壊力は、これを一度読んだきり20年たっても忘れないインパクトが証明しています。こんな風にシンプルにベタでいていいのかもしれない。

私が心うたれる瞬間、心うたれる言葉、心うたれる人、というのは、それらが天から降りている、天とつながっている、と感じられるときです。詩や音楽や踊りや絵、芸術といわれるものが絶対に私たちからなくならないのは、これらがとても天と直接繋がりやすいからだろうなと感じています。たぶん、感性、と表現される領域。だから私はやっぱり、これだけ一生懸命に勉強しているつもりでもはなから知識を得ることに全然興味がないのかもしれなくて、だからいつまでたっても覚えられないことが多くて、それは専門書や学術論文にみようとしているのも感性だからなのかも、と思ったりしています。


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2015. 03. 24  
考えない力について考える、ってバカみたいですが。

一昔前までは若者といったら憂国の士で、寄ると触ると議論に明け暮れていたものですが、最近はなんだかこう理論武装して熱く語り合うみたいなことは流行らないのかもしれません。発散したいエネルギーのやり場がなくて抑え込んでるうちに、エネルギー量そのものが減って行っている感じ。あるいは人に向かって放つエネルギーは省エネモードにして、どんどん内向きになった結果、本当は人にぶつければいろいろダイナミックに変わって行ったであろう思考が、出口のない妄想に変わっているのかもしれない。

相手がいないから一人だけで考えるに至った私たちにあっては、頭を使う、ということが最近は即ネガティブなニュアンスを持つようになった気がしています。頭を使う=考え過ぎ=思考(エゴ)に捕われる。思考の奴隷にならずに論理明快でいるってもう大変な努力。

というのも、痛みを感じる・感じないの違いはどこから来るんだろう、とずっと思って来た私が昨日ふと、普通だったらこれは痛いだろう、という状態にもかかわらず痛みを感じないという方に何故痛みを感じないのかを訪ねたら、即「考えない、忘れる」という単純明快な人生指針を頂いたからです。

考えない力。
忘却力。

なんだかものすごく強い意志を感じます。我々の考えのほとんどが思い込み、エゴの堂々巡りなのだから、考えなければいい。That's all. 過去の嫌な経験にいつまでもいつまでも捕われるトラウマスパイラルに陥らない。忘れればいいから。

てね〜、いやそれが出来れば苦労ないんですけど〜、と思わず弱気に反論したくなりましたが、いや実際そのチョイスの結果、痛みに縛られない生活を送っているその方を前には何も言えません。

実際娘がそうなのです。彼女は、過ぎてしまったことをいつまでもくよくよ思い返しては何度でも落ちられる私が理解できません。3歳の彼女に言われたことがあるのです。「お母さんて気にするよね。私気にしないの。心が重くなるから。」娘語録の中で、これが破壊力ナンバーワンでした。これ本人見ていて解るのですが、本当にそのとおりの生き方しているのです。過去の失敗や嫌な出来事は、反芻しない。そういうことに興味が向かない。即切り捨てる。過去の後悔というのは自動的に起こるもの、トラウマというのは自然に育ってしまうもの、と当時思っていた私は、そういう生き方ありか・・と呆然としました。

もうどうにもならない痛みを抱えてドクターのところに駆け込んで診断を仰いだところ、検査結果異常なし、ストレスから来てるからストレスなくしなさい、と言われてこのドクターの存在理由を疑ったという冗談みたいな実話がありますが、娘はこれを言い放つタイプの人間。考えない力と忘却力を教えてくださった方は、天然の娘とは違ってもっと努力で築き上げた技術という気がしますが。

神経質、という単語がありますが、これよく言ったもので、神経質というのは神経がハイパーになりやすい性質を持った人のことを指します。神経がハイパーになるということは、もちろん痛みも感じやすくなる。痛みを感じやすい人は、やっぱり神経質。あとは一点集中型。目標達成型。これが悪いとは言いたくないのです、この性質を持つ人はやっぱり痛みに苦しみやすい特徴があるので、痛みが現れたら、自分の中に過剰なものがある、スローダウンしよう、と捉えるといいかと。

武者小路実篤の人生論に、痛みについての考察があります。「神経は肉体の苦痛を引き起こす。痛みが起こるのは身体が悪いからだ(=神経が悪いんじゃない)。だから(痛みを取りたかったら)健康になればいい。」ざくっというとこういう内容です。武者小路実篤はこういう身も蓋もないことを自信満々に堂々と言い放ってしまえる人で、膨大な著書で「考えない力」を見せつけてくれる。この人の破壊力には本当に楽しませていただきましたが、このおめでたさに救われる病んだ現代人て案外多いかも、と思います。

2015. 03. 22  
なにも横文字使わなくても、私たちには本来当たり前の感覚です。間を置く、場を整える、という感覚。ロルフィングトレーニングではhold the spaceはless is moreと共にそれこそ身体に叩き込まれて、いまさら日本語にするのはぎこちないのですが。

ミュンヘンで間もなくロルファーに認定される大塚英文さんが【RolfingコラムVol.83】Training Phase III〜Hold the spaceで取り上げてくださったので、これを機に私も改めて捉え直してみようかと思いました。

英語は定義がうまくて、概念の定義は英語に任せます。MindBodyGreenの’Holding Space: What Does It Mean & How Do We Do It?と大塚さんの訳を私もそのまま引用させていただきます。

It means when someone is going through something, you hold down the ground for them to have their own time and space to work out whatever they’re going through

You provide stable, solid ground for them to be completely where they’re at without judgement, criticism, or blame. A neutral territory for the other to just… be. You have faith in their intelligence to figure out of their own.

人が何かを経験する際、その人が安心できるような環境を整えるために、時間やスペース(間)を与えること。

大切なのは安心できる、安定した環境を与えることで、判断しない、批判しない、非難しないこと。いわば、その人が「あるがまま」になれる中立状態。そして、彼らの知性を信じ、自分で答えを導き出すことができるようにすること。


教育現場は個性を伸ばす場であってほしい、それぞれが安心して自分で羽ばたける場になってほしい。誰でも望むことなのに、これがしつこく説かれるのは、この前提が守られていないからなのです。出来る子と出来ない子・気に入った子と気に入らない子を振り分け、批判と非難で萎縮させ、教育を矯正・調教にすりかえている。ひとえに教育者の未熟さによるものなのですが。

面白かったのが、この概念を習ったのが他でもないドイツだったというところ。犬と子供のしつけはドイツ人にまかせろ、とよく言われますが、とくに戦前は、子供の自我は2歳までに目覚める、自我が目覚めない2歳までの間に徹底的にしつけるのが秘訣と言われ、子どもたちは自由闊達に振る舞う機会を奪われ、権力者に従順するように教育されました。ヒトラーは象徴的です。あの狂気の時代は、なにも大方のドイツ人の支持によるものではなかった。単にノーを言えなかったのです。人々は萎縮して、保身に精一杯だった。

薄々この教育は変だ、この教育者は変だ、と、しつけられている側は感じています。でもそれを感じるのはいけないこと、と、わき起こる自然で健全な意識は、また押し込められる。自分を信じることを奪われているのです。そのうち、心に従うこと、身体を感じることを止めてしまう。まるでなにか今の日本を象徴しているみたいですが。

龍安寺の石庭を見て息をのむことができる人は、いまどれくらいいるでしょうか。これでもかと壁一面をタペストリーや絵画で埋め尽くし、装飾で埋め尽くした建物で「権力」を見せつけられてきた人々は、この石庭を見て愕然としました。この石庭は、自分たちのゴテゴテの建物と真逆。手を加えることを最小限にし(less is more)あるがままを最大限に尊重した姿。そうすると、そこにもともとあった美がおのずと現れてくる。これは脅威です。「教育」者の出番がなくなる。

自分たちのゴッテゴテの建物が権力欲以外の何者でもない、ということを知って白けてしまったガイジンたちが、失った個人の尊厳を取り戻そうと、今はこぞって日本の禅やら神道を熱心に学んでいます。今や日本人がほとんど手に取らない古典を熱心に読み込んでいるのはガイジンの方ではないでしょうか。直傳靈氣もガイジンの方に受けがいいし。

大きな話をしているようですが、ロルフィングは身体の再教育なので、これがセッションにそのまま応用できます。私ができるのは、その人があるがままの、中立になれる場所を用意すること。その場所に連れて行かれると、そこからは起こるべきことが勝手に起こる。

私自身が身をもって体験しています。場の大切さ。本当は言葉で言いたくなかった。日本人には言葉で説明するのがあまりにも野暮だと解っているので。日本人はこういう概念を一瞬で身体で掴める。頭の発達した西洋人は、説明が必要なのです。でも最近、大事な心がむしろ逆輸入みたいな形で再発見されることもあるようで。

もう本当に結局これだけしか言っていないのですが、私たちはそれぞれが本来自分を良くすることができるのです。自分自身に繋がれば。雑音のない、しんとした真ん中にたつと、それが起こります。ただ今は雑音があまりにも多すぎて、雑音のない中立の状態というのが全く何のことだか解らなくなってしまっているのが問題。

わたし自身は、自分でやろうとするとまるで出来ません。瞑想でも、ヨガでも、ロルフィングでも、こんなに静かで美しい自然に囲まれた素晴らしい所で生活していても、どうしてこれだけ雑音を拾ってしまうんだろうと思います。すべての思想や哲学、宗教、これらが求めている境地が、雑音のない、そこからすべてが始まる、初めの瞬間。たぶん何度もなんども生まれ変わって、それを探してきたんだと思います。

ホメオパシーの世界でも、自分では自分に決して処方できない、というのが知られています。どんな大家でも、自分で自分に処方できない。わたし自身はバイアスの塊なのです。他者の力を借りて、はじめて自分の中立に連れて行ってもらえる。だから私たちは他者が必要で、他者と関係しているのかなと思います。



ロルフィングセッションを紹介するマティアスのビデオを翻訳し紹介していますが、あれを見た人からあなたのセッションはまるで違うじゃないと後から言われることがあります。確かに、彼のスタイルとはかなり違う。私が自分のセッションで一番心がけているのは、場のホールドです。そこであなたに「それ」が起こるのが許される場を作ること。

人によっては言葉が必要ですが、言葉が一切必要でない、むしろ手だけに頼った方がいい人もいるし、クラニアルワークやエネルギーワークにした方がいい人もいる。様式はなんでもいい、その人が開けば。どこを触られていても一番辛いところが刺激されているのを感じて不思議だった、とよく言われますが、何されてるのかわからないセッション、というのはむしろ褒め言葉と受け取るようにしています。私が消えて、意図がまるでないかのようなセッションになると、うまくそれが起こる。その人の完全に影になったときに、その人を照らすことができる。先日の皆既日食の映像をみて、ああそうか、私はこの月になりたいんだな、と思いました。







2015. 03. 13  
やっとこれについて書くことができます。大塚さんがブログ【RolfingコラムVol.74】Training Phase III〜身体地図と幻肢で取り上げてくださった身体地図の概念。ロルフィング、とくにムーブメントを語る上で欠かせない概念なのですが、耳慣れない専門用語の説明に終始してしまいそうで躊躇していました。大塚さんがとても完結にまとめてくださったので、この説明にとりかかる億劫さが解消されて、はじめてここから先を書くことが出来ます。大塚さんには本当に感謝です。

Sandra Blakeslee著「Body Has a Mind of Its Own(邦訳:脳の中の身体地図)」で語られるボディスキーマ(Body Schema)とボディイメージ(Body Image)という2つの概念がキーワードです。概念の説明は全部大塚さんにしていただきます:

ボディスキーマは脳によって無意識に作られる身体地図だ。主に五感(視覚、聴覚、触覚等)、固有感覚(Proprioceptive)(固有感覚とは、手足等の身体情報に基づいて制御される知覚、もしくは身体位置の知覚のことをいう)や平衡感覚(Vestibular)等により無意識に地図が作られる。ボディスキーマは皮膚、関節や筋肉の感覚によって絶えず情報を更新している。ロルフィングに限らず、太極拳やヨガを含めたボディワークはボディスキーマという無意識に働かせている身体感覚を意識化させることにある。

一方で、ボディイメージは、育った環境、文化等の主観的なイメージによって身体が主観的に、意識的に知覚することで作られた身体地図だ。個人的な経験や態度、自分に対する期待や思い込みによって作られるといってもいい。痩せているのに太っていると感じることは、一つのボディイメージである。


ボディイメージは、心理学では重要なテーマで、ご存知の方も多いのでこれ以上の説明はいらないと思います。ロルフィングで重要なのは実はもう一方のボディスキーマの方です。

ボディスキーマについては、高田圭二さんが以前ちゃんとブログに書いてくださっていました。圭二さんによればボディスキーマとは、体の感覚器が自然に知っている純粋な感覚、等身大の感覚、ということです。

Proprioception(固有感覚)をもうすこし補足します。私たちの身体には、自分の身体を自分のものとして感じることができるセンサーがあります。このセンサーはおもにsensory motor neurons(感覚ー運動神経)で、このセンサーを通せば、たとえば目をつぶっていても、暗闇でも、自分の腕が肩からぶらさがっている、頭が首の上に乗っている、という感覚を身体の内側から感じることが出来ます。その腕を5度挙上してみる。これも、鏡に自分を映して視覚で確かめなくても、内側からのイメージで行うことが出来る。そして重要なのがこの一連が無意識に行われている、ということです。

ロルフィング、とくにロルフムーブメントは、身体の無意識を意識化する作業です。無意識に働いているsensory motor neuronsを意識化して、無意識の反応を意識化する。

これがなぜ重要かというと、できない動きができるようになるからです。ロルフムーブメントではイメージを多用します。イメージングにより、未開だった、あるいは事故などにより断絶した感覚ー運動神経を蘇らせるということが可能になるからです。たとえば脳卒中や事故の後遺症に対するリハビリに使えるし、あるいは今の動きをさらに洗練されたさらなる高みに持って行きたいプロの運動家などに応用出来ます。

ロルフムーブメントは、なにも超絶技巧を教えるものではありません。本当に動いているか動いていないか外側からはわからない、あなたの内側の微細な意識を扱うものです。あなたの意識がめざめるように手伝う、という作業です。

だからこれはこういう風にやるんだ、と手本をやってみせるものではないし、指導する側がそれを出来るかどうかは問題になりません。主眼は、いかにうまくやるか、にはないからです。正解にむかって導くのでなくて、あなたの内側をいかに花開かせるか、というところにあるからです。もっと言うと、ムーブメント指導者に求められるのは、そこにいたる個々の意識の変化をどうやって導きだすか、その人に合うようカスタマイズできるか、そして意識の変化をどれだけ読み取り、その微細な変化をいかに定着させるか、というところです。

ロルフムーブメントは、行うお前ががちゃんとそれを出来ないんだからインチキと言われてきたのですが、そもそも主眼が違うのです.我々は手本を見せる人ではない。意識をどうやって目覚めさせるか、そのツールをどれだけ提示出来るか、ということ。

そして大塚さんもおっしゃっているように、ロルフムーブメントで追求しているテーマは、一言で言うとこの身体地図の塗り替えなのです。
2015. 03. 11  
これも大塚さんのブログでとりあげているテーマをそのまま頂きました。自己肯定感と自己受容感

大塚さんによると、自己肯定感を持てる人と持てない人の割合はご経験で1:10くらいとのこと。自己肯定感の基礎があった上で初めて自信がもてる、その自信には「根拠のない自信」と「有能感からくる自信」があるとのことです。出典になる松本正著の「あるがままの自分を生きていく」は、面白そうですね。

これも常々向き合っているテーマです。なにもホメオパシーやロルフィングに限らず、なかなか治癒に向かわないケースは、深い自己否定感が根底にあるからです。これは人生がそれを思うに至る苦難をどれだけたくさん抱えているか(どれだけひどい目にあったか)という事実とは関係ありません。この感覚は、事実とは関係のない、自分の解釈による、自分の評価。

私は松本正氏の本を読んでいないので見当違いかもしれませんが、自信はいつも根拠がない、と思っています。同様に、自信のなさにもいつも根拠はない。

もちろん大きな達成をしたり称賛を浴びたりしたら「有能感から来る自信」は育つでしょう。でも、常にそんな状態に自分がいられる訳がない。人生むしろ逆が多い。有能感を持てなければ自信がもてないということになったら悲劇です。いわれっぱなし、やられっぱなし、という状況が続いたらそんなもの持てる訳がない。

有能感の育つ条件がからきしなくても自信を持てる、要するになんの条件も必要としない、根拠のない自信をいかに持てるかがキーになってきます。この状態を自分で作り出せるようになって初めて生命力が発動する。

経験でいうと、私は思い切り否定する教育を受けて育ちました。自己否定を教育されるのだから、自己肯定感を育てるには現実の逆を追求しないといけない。だから私は自己否定を否定するというところから始めなければいけませんでした。これがいわゆる反骨精神を育ませる「厳しさ」なのかもしれませんが、私はこの効果についてはよくわかりません。

効果がある教育を考えるとしたら、厳しくても優しくてもいいし形態もどうあってもいいとは思いますが、絶対になければならないと思っているのが、愛。私はいつも教育者に探します。この人は愛を知っているか。

我々いつも人格者でいられるわけないし、虫の居所が悪ければ感情的にどなったりします。いじめまがいのこともします。でもそういう嵐の水面に惑わされずに、必ず探し出したいのが、根底にある愛。この人は愛を知っているか。

最近は人々は関係を築いた後に傷つくことを避けるために正面でぶつかり合うことを避け、愛を「持たない」教育者がネグレクトや無関心に走るようになりました。与える側がここまで閉じてしまっても、それでも受け取る側は彼らに愛を探します。彼らを通して知ろうとする。それが人生のテーマだから。

私たち一人一人の根底に愛があって、私たちは人生をかけてそれに再び出会う旅をしている訳ですが、築き上げた関係でことごとくそれを否定され、人から受け取り損ね続けたら、この存在を信じることからどんどん遠ざかります。

でもそれでも探し続けるのです。再び出会うまで。最初からそこにある、与えられなくても、否定されても、それでも変わらずそこにありつづける愛。これが自分を愛すること。これが自信。


よく口にする人の多い「ポジティブ思考」ですが、私はそれを聞くたびに胡散臭さを感じてしまいます。薄っぺらい。問題を直視しないで、ふわふわと逃げてるだけに見えてしまう。自己肯定をちゃんと意識してやっているか〜?と。


大塚さんの紹介しているアドラー博士は私も少し読んだことがありますが

自己肯定は、「できもしないのに「わたしはできる」「わたしは強い」と、自らの自己暗示をかけること」なのに対して、

自己受容は「仮にできなかったとしたら、その「できない自分」をありのままに受け入れ、できるようになるべく、前に進むこと」。


ここで言うように、ポジティブ思考(自己肯定)は自己暗示。イメージトレーニングです。事実に即している必要はない。ファンタジーでいい。それがサバイバルにつながればいいのだから。現実逃避ではなくて、これはイメージトレーニングだと自覚している必要があるとは思いますが。

自己受容も同様に必要です。仮に出来なくてもいい。できない自分をありのままに受け入れてあげる愛。

臭いものに蓋をして現実逃避するんじゃなくて、自己否定のループに逃げ込むのでもなくて、自己肯定の暗示をうまく使って、できない自分をありのままに受け止める。条件付きでない自信、根拠のない自信を育てる。これは自分でもやってきたし、セッションを通して向き合う方にもぜひつかんでいただきたいことです。






2015. 03. 08  
彼ロルファーなのですがあえて声の専門家としてご紹介させていただきます。吉祥寺の菊池威二郎さん。

お会いした回数はそれほどないのに、妙に一度が濃い彼との付き合いはまだ2年です。人の良さそうな、人を脱力させる天然の雰囲気を持つ彼の横顔に妙に親近感を覚え、私からお友達申請しました。たまたま今日ぽかっと二人とも時間が合ってSkype始めたらなんと3時間半、日本時間の4時半まで話し込んでしまった。彼の明日オフだというお言葉に甘え、娘を餓死寸前まで放置して、2人で思いの丈発散しました。

彼との共通項はかぎりなくニッチな仕事を生業にしているということです。一応人様に紹介できる肩書きを使わせては頂いていますが、自分のやっていることは正直既成のカテゴリーに収まりきらず、説明がとてもしにくいという悩みがあります。自分ではとっても大事なことをやっていると思っている、でも自分で宣伝すると胡散臭さ極まりない、と開きかけた口を閉じ、その代わり人の事になると妙におせっかいになって人の宣伝ばかりしているうちにいつのまにか自分だけ取り残されている、という情けなさも共通。

2人とも蟹座だからかなあ。蟹座って惨めですよね。黄道12星座のなかで最も存在感が薄く、最も明るいβ星でも3.8等、他は4等星以下から成る地味さ、加えて神話伝説も惨めで、ヘラクレスの足をはさんでみたら逆に踏みつぶされてしまったという、それだけの話。取り柄のない、やられっぱなしの人生。

なんだか彼の前になると素になってつい泣き言や愚痴ばかり言ってしまうのですが、彼の前では弱い部分をさらけ出していい、それを拒絶しないで明るく励ましてくれる、と安心していられる。今日も彼のこんばんは〜の声を聞いただけで、一瞬で気持ちが軽くなりました。そう、たけさんの声ってすごくいいのです。

声優のようないやらしさも、アランリックマンのような悩殺力があるというわけでもなく、とりたてて特徴はないのですがなんだか腑にしみいる声とでもいうのでしょうか。この声また聞きたい、と思わせる声。たけさん曰く、意識して声を身体に響かせているからだそうですが、彼は後ろを向いても正面を向いても、声量が変わらない。体全体が楽器になっているから。

もちろんヴォイストレーニングが目的で彼の元を訪れる人が多いようですが、言語障害の方、かなりシリアスな病名の方の治療も手がけていて、でも何よりも、一般の人にもっと声を出す魅力を知ってほしい、というのが彼の願いです。彼はボディワーカーなのでもちろんティシューワークやテーブルワークもできますが、彼の得意とするところは、本人が最も気にしていてどうにかしようともがいている部分を直すというのでなくて、盲点になっているところを意識やムーブメントを使って目覚めさせて、いつのまにか本人も気づかないうちに本題が解決していた、という風に持って行くアプローチ。

もちろん声は心理状況と密接にかかわっています。よく聞き返されるので、喉が閉じてる、変な発声してると自覚している私が彼のセッションを受けた時も、自分の羞恥心が本当にブロッケージになっていると改めてはっとしました。臆してるな、とわかります。声届けたくないんだ、内にこもってたいんだ、と自分の心を覗き見るよう。

音痴だけどカラオケ大好きだから音痴を治してほしい、と娘が彼の元を訪れた時も、声を出すことを楽しませるようにうまく誘導してくださいました。よろこんで帰って来た娘とその後2人でカラオケ行ったら、確かに出なかった高音がちゃんと出てるのに驚きました。ブロッケージが外れて楽に声が出るようになると自信がつく。

私が、日本語って喉閉じるわよね、と言ったら、いやそうじゃない、昔の日本人はもっと喉開いていたと感じてる。現代日本人に足りないのがハラの感覚。ほとんどの人がグラウンディングできていない。だから喉が閉じている。日本語のせいじゃない、とのこと。びっくりしました。なるほど・・・

彼のプロ意識はすごくて、専門の話になるとそれだけで一晩軽く話し込めます。これだけのことが出来るしこれだけのことが言えるのにそれこそ何故自己宣伝になると声が小さくなるの、ということでまた私がおせっかい風を吹かせて、ご本人に無断でお尻蹴飛ばさせていただきました。
2015. 03. 08  
いまミュンヘンでロルフィングトレーニング中の大塚英文さんがブログで授業の様子や考察を連日アップしてくださっていますが、これが私が本当に反応してしまう記事の連続で、今日の代替療法と多様性、という記事も本当に核心をついていると思うのでシェアさせていただきます。

ロルフィングセッションの面白いところは、セッションをいま目の前にいるあなたにむけてカスタマイズするところ、だと感じています。マニュアルには従わなくていい、今のあなたに起こっているまさにそれだけが教えてくれる、というダイナミックな世界。

現代の治療のほとんどが暗記力を駆使して行うものだとすると、ロルフィングはそれをまず捨てることから始めます。毎回毎セッション、完全にすっぱり過去の経験や思い込みを捨てて目の前の人に向かい合うことが至上命題。
「さあ、今回のこれは何だ」
と、全神経を集中させてその人の正面にたつ。過去他の人に起こったパターンを安易に当てはめようとする邪心が、油断するとすぐ入ります。初心といういい日本語がありますが、ロルフィング、クラニオセイクラル、さまざまなセラピーで言われるニュートラルというのはこの思い込みの支配を受けない状態をいかに維持するかのことを言っています。

ホメオパシーでもまさにそれをもう何年もかけてやっています。未だに失敗し続けています。ケースを取る、というのは、見た瞬間、キーワードや特徴をつかんだ瞬間ピンときてしまうレメディを選びたい衝動をどれだけ抑え、最後に1つを選ぶまでこのケースは知らないというスタンスでいられるかの勝負。もちろん緊急や一時的緩和なら、一瞬で選んでいい。でも根本に踏み込みたかったら、丁寧にカスタマイズしないと本質が立ち上がって来ない。

ロルフィングに教科書がないのは、大塚さんのおっしゃるとおり示唆的です。こんなにお金払ってるのに教科書一冊さえ用意してくれないの、というクラスメートもいました。でもマニュアルにがっちり従う仕事をいくつか経てロルフィングトレーニングに出会った私は、このマニュアルのない世界の強さにむしろ感動しました。カスタマイズしていい自由。いまや自分のセッションがロルフィングを名乗っていいのかとさえ思えることもありますが、多様性がロルフィングの特徴だ、と言ってもらって改めて胸を撫で下ろします。

同期が続々とアドバンスロルファーになって行く中、私は初めてずっと一緒に訓練を受けて来た友達と離れ、今年のトレーニングを見送ることを決めました。猛烈な数のワークショップに参加して、誰よりも早く必要単位を揃え既に有り余る単位を持つ私が、この展開になるとは。アドバンストレーニングは、私の10シリーズがしっかり確立したときに受けようと思っています。Giovanniはアドバンスロルファーになるまで10年以上かけて彼のやりかたを追求していましたが、そのやり方にもとても共感しています。大塚さんの引用したdevelop individualized treatment strategies(個々に応じた施術の戦略を立てる)というのが、まさに私がロルフィングで追求しているテーマ。

2015. 03. 06  
ロルフィング6回目を終えて2週間たってセッション7にいらしたCさんの件をシェアします。開口一番、いつもセッション直後はすごくすっきりして気分がいいのに、2日3日たつと気分が揺れてどうしようもなくなる、と涙を流されました。今回の2週間はとりわけひどくてとことん落ちた、これは異常反応でしょうか、と。

コアセッション中の4から7は感情的に揺れる方が多い。自律神経系の反応もさかんになります。彼女の場合は、女の子なのに家長のように他の家族を精神的に支える役で、自分は愛を注がれることはなかった、というインナーチャイルドが浮上してきました。

私は女の子ではいけない
私は弱みを見せてはいけない
私は自分の要求を言ってはいけない
私は相手の要求を聞かなければいけない
私はそのままの私を出してしまったら拒絶される
私を受け止める人はいない

子供の脳は経験によって形作られるそうです。幼少期の経験がそのまま思考回路になるので、それが成人してからの行動パターンになる。彼女にとってはこの幼少期のマインドセットがその後の人間関係のベースになっていました。

でもこの思考回路は変えられます。Trauma is life, but not life sentence(トラウマは人生だけど、死刑宣告じゃない)というSomatic Experiencingのピーターの言葉は、真実です。自律神経系に植え付けられたトラウマの記憶は、効率的に取り除くことが出来る。

セッションにトラウマワークを加え、自律神経系の塗り替え作業をはじめました。

セッション6後まもなく今日に至るまで肩がチリチリしてずっとピクピク動き続けている、という彼女は、この2週間に起こったことをシェアしてくれました。

ー生まれて始めて、自分とは違う「きちんと機能した」家庭で育った男性と心が通い合ったのを経験した。彼が私を好いてくれているのが解った。初めてありのままの自分が受け入れられたのを感じた。生の私が受け入れられたと実感したのは初めてだった。

その他のことはさておき、これは非常に重要な特記事項。今はまだまとまらないはずだし、まだ揺れるだろうけど、と、そのときの実感を身体に刻み付けるための宿題を出しました。統合に向かう前に、一度レインドロップテクニックを加えることを提案して、終えました。この後2週間の彼女の旅を見守りたいと思います。







2015. 03. 04  
4月10日から19日まで、解散が6月に迫ったThe Forsythe Companyの最後の作品KAMMER/KAMMERの公演がフランクフルトのボッケンハイマーデポで行われます。これが本当に最後の公演なので、チケット売り出しと共に予約は殺到していて、残席わずかだそうです。私は初日から2日目と最終日に行く予定です。もしご興味がおありの方は、即刻、お申し込みください。売り切れ間近です。

今回日野先生のワークショップで彼らの凄さを身近に生で感じただけに、彼らの舞台を見れるのがこれでおしまいというのが本当に残念でなりません。何度か稽古やクリエーションの現場を覗かせていただく機会もあって、彼らの生の動きというのがこれほど面白いのかと、瞬きする暇も惜しかった。稽古だと個性が際立つ。

ダンスはエネルギーの交換を見せているのかもしれない。エネルギーの関係性が、同じ場にいると鮮明に見える。エネルギーをこんなに鮮明に感じたことも見たことも今までなかった、と彼らと同じ空間にいて強烈に感じました。もう地響きのあるエネルギーで場を一気に包む人、意外に軽いエネルギーの人、閉じてる人。自分がどれだけ彼らと違うかも知ってしまった。実際の視界とエネルギーフィールドは完全に別で、しかもこの二つは完全に制御可能。普段いるのと全然違うフィールドで別の次元の感覚を探りつづける彼らといて、こういう練習が彼らを作り上げて来たんだと感じました。

ワークショプで圧巻の存在感を放っていたJoneは、安藤洋子さんと並んでいつも妖怪っぽい役で観客を釘付けにする主要ダンサーですが、彼女のソロの公演がこの週末四日間、フォーサイスカンパニーのラボで行われます。黒人ダンサージョシュのインスタレーションと、今は脱退したシリルとニコルの2人のダンサーがduoに加わります。チケットはもう完全にソールドアウトだそうです。私は残念ながらこれは見に行けません。

彼女は私より年上ですが、身体も動きも20代としか見えない。彼女はフォーサイスカンパニー解散後は、40歳以上のダンサーだけから成る新しいダンスカンパニーに所属するそうで、今後はそちらでの公演を見に行く機会があるだろうと楽しみにしています。

フォーサイスカンパニーのダンサーたちは、解散後はカンパニーを引き継いだ新振付家の元には誰一人残らず、全員がフリーを選びました。きっと今後は世界中に散らばって、各地で今までの築き上げて来たものをそれぞれが素晴らしく発展させて行くんだろうなと思います。
2015. 03. 03  
他にも頂いたもの:
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素敵なシルクのスカーフ。通りかかったときにこれを見て私を思い出したから、と。こんな感じで人にプレゼントするって、すごい。彼女がこれと目が合った時の目の輝きや購入するまでの一部始終が目の前に見えるようでした。こんな素敵な動機っていうのがあるのか。本当に嬉しかったです。こんな風に人にプレゼント出来る人になりたい。

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スウェーデン土産のリコリスのチョコレート。これは好き嫌いはっきり別れるのですが(娘は大嫌い)この何ともいえない甘さと苦さと渋さの混在したダークチョコレート、ひとかけらが本当に美味しい。

いつもこれをお土産にくださるこの方とは、人に教えるということについて話し合うのです。どうやったら導きだせるか、どうやったら助けられるか。人にはとても言えない、ものすごくチャレンジングな人を持ってしまった時に、どうやって全体をまとめつつ、その人にコミットするか。そもそもどこまでコミットしていいのか。

でもたぶん自分とご縁を持ったということは、自分にきっと助けられるものがあるからなのでしょう。彼の今の状況は未だかつて聞いたこともない(たぶんこれからもないであろう)特別大変そうな状況ですが、たぶんこれもきっとあなただから任されたのよ、とお尻けとばしました。自分のことは棚に上げて人にどうこうするのは得意です。

彼と一致するのが、もうすでに必要なものは手元にある、ということ。教えるためのツールも、目の前にいるその人が成長するためのツールも。

お前はここが足りない、ここがダメだ、という教育に対して、私は本当に落ちこぼれを繰り返し、ドロップアウトを繰り返しました。今の私じゃダメだから、この私じゃないものに変わらないといけない、という考え方にがんじがらめに縛られて、本当にもがいた。私はロルフィングを通して、逆に挑んでいます。自分に対しても、向き合う人に対しても。今の状態を捨てて新たに探しに行く必要はない。あなたのいまの状態で、できる。今持っているもので充分機能する。もしこの機能を失っても、別のところがちゃんと補ってくれて、今の状態を維持出来るばかりか、さらに深いところまで行くことも出来る。人間はそういうシステム。人生もそういうシステム。

奇跡を導きだす機会を与えられるのは、いつもものすごくプレッシャーですが、でもこれが喜び。彼も私も、言葉だけじゃなくて結果で見せられるようになりたい、夢で終わらせたくない、と思っています。









2015. 03. 03  
晴れた日がほとんどなく雨ばかりで極端に滅入った2月が終わり、戻って来たはいいが後悔していた(ように見えた)渡り鳥達も蘇生し、ついにやっと、ああ春が来た!と感じた今日です。

今日は本当に嬉しい頂きものがたくさんありました。

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以前ご紹介した自然化粧品のMartina Gebhardtのフットクリームとマッサージオイル。もう彼女は本当に私のツボを見事にご存知というか、もう泣きたいほど喜んでしまうものをこのタイミングでくださるのですね。いただきものというのはいつも本当に嬉しいのですが、人に何かをあげるということはこういう風にすることなのか、と背筋を正されることが最近すごく多い。安藤洋子さんに助けてもらった時も、人を助けるって、こういう風にするのか・・と、本当に感動したし。

長女だからかもしれませんが、私は与える方が断然好きで気楽です。頂くって慣れていなくて居心地が悪い。洋子さんから「頂くのには慈悲がいる」と言われて、本当に、と納得しました。しっかり向き合ってしっかり頂く学びをする必要がある。学びの機会を与えてくださる方には本当に感謝です。

え”と思う方が最近目の前で見事に色々なものを見せてくれています。日野先生は、本当に実しかない人。「その場にいない」人は本当に見えないし、声を届けようとしていない人の声は本当に聞こえない。知る、じゃなくて、なる、ということは、こういうことなんだろうな・・と遠目で感じます。動きを頭で解った気になっても身体では全然体現出来ない私は、なりたい、じゃなくて、知りたい、でとどまってるから。実になれない以上はインチキ。

日野先生が最強といわれるのは、人の鏡になってしまうからでしょう。こちらは鏡相手に何やっても、どんどん空回りするだけ。鏡を前に、なにかしようなどとするのがばかばかしい。これで勝負してかなう訳がない。

エゴについて色々言う人が多いし、私もこの問題とは向き合って来たつもりですが、日野先生のあり方を見るとなんだか言葉でのやりとりがまるでお互いの頭の中で別々の幻想をこねくり回しているだけ、という気になります。そこには関係は成立していなくて、なにも影響しあってなくて、だからその後もお互い何も変わらない。

日野先生とは違いますが、このツボ命中のプレゼントをくださった方も、何か私の人間に対する固定観念を覆すようなものをお持ちなのです。え、人間てこういう風に生きられるの??こんなことができちゃうの??解剖生理、病理、精神疾患、トラウマ・・私なにを学んで来たの??これらは共同幻想?

こういう状況では普通は嘆くし、痛みを感じるし、恨み、怒り、悲しみを感じるだろう、と普通なら陥るであろうネガティブなスパイラルに陥らない人というのがいるのです。共通するのが、エゴに縛られてない。

いや日野先生はちゃんと人間だし、この方も人間だし、実体としてむしろ私などよりよっぽど確固とした芯を感じる。でも、ほとんどの現象が、頭で作り上げてる幻想なんだ、ということを当然のこととして知っているのです。だから苦しまない。あがかない。こういう方たちを前にすると、エゴの議論なんてアホ臭く思えてしまう。エゴにまみれてるからこの幻想にこだわってあがいてるんだろうな、と。彼らを前にすると議論の前提が壊れてしまう。

日野先生も、洋子さんも、この方も、なにか突き抜けたものを感じる方って、こういう普通ならあがく部分を軽くスルーしているのですよね。肉体に症状は出るけれど、彼らは「病気」にならない。


プロフィール

rolfertakami

Author:rolfertakami
鎌田孝美(Takami Kamata)

http://www.takamirolfing.com

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ヨーロッパロルフィング協会に所属する、
ヨーロッパで第2号の日本人ロルファーです。
英国スクールオブホメオパシー
アドバンスプラクティショナーコースに在籍し
現在臨床を行っています。

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内側に深くしまいこんだこだわりを、抱きとめ、見つめ、解放し、
かわりに内側で眠る可能性に光を与える。
身体が目覚め、失ったものを取り戻していく過程を
みなさまと楽しんでいきたいです。

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・ヨーロッパロルフィング協会認定
公式アドバンスロルファー
・同ロルフムーブメントプラクティショナー
・直傳靈氣師範
・全米ヨガアライアンス認定
ヨガインストラクター
・陰ヨガインストラクター
・ソースポイントセラピー認定施術者

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<セッションのお申し込み&お問い合わせ>

rolfertakami@gmail.com
+49(0)6171 279 0088

・・・・・・・・・
2017年冬 東京セッション
12月27日(水)〜1月3日(水)


2017年 直傳靈氣講習会(フランクフルト):

前期10月20日(金)14:30〜18:30
  10月21日(土)9:30〜12:30
       14:00〜17:00 
後期10月20日(日)9:30〜16:00
        
      
直傳靈氣交流会(フランクフルト)
10月23日(月)16:00〜18:00

ホメオパシーについて語る会
10月18日(水)14:00-17:00
内容
ホメオパシーとの付き合い方:
ーファーストエイド
ーミニコンサルテーション
Abby Takarabe, Peggy Bideホメオパスを
聖地スワジランド、オーストラリアから
講師にお招きします。

参加費用:
50ユーロ

タロット講座

10月23日(月)
13:00−16:00

講師:大塚英文さん
受講料:60ユーロ


参加お申し込みを受け付けております。
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Profile:

Takami Kamata

Certified Advanced Rolfer®
Certified Rolf Movement®Practitioner
Jikiden Reiki® Shihan
Registered Yoga Teacher
SourcePoint Therapy® Practitioner

Contact me at:

rolfertakami@gmail.com


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