2015.
10.
30
糸井氏のブログを紹介してくださったT氏が昨日のブログにコメントくださって、その内容がものすごく面白かったので、ご本人の了承を得て以下に転載させていただきます:
仮説検証型アプローチは、なんというか、稟議が通りやすいんですよね。企業も行政もこのアプローチが基準になっちゃってる。特に日本は。仮説検証型アプローチの方が、わかりやすく金になる。
たとえば線型で説明がわかりやすい経営者・投資候補先は投資の稟議は通しやすい。でもそれで投資しちゃうと、つまらなかったり、場合によっては言葉巧みに騙されたりすることも。
対談の中で「説明できる人のことを頭がいい人っていう時代って、不幸だと思うんですよ。」とおっしゃってますが、今は本当にそうだと思います。特に日本は。震災の時の話も近いかなと思ってるんですが、(論理的な)正しさってのが面白さとか豊かさと直結するとは限らないと思うんですよね〜。
人生通して合理的に正しく生きるのなんてほとんどの人にとっては無理というか、現実的ではないと思います。合理性の極みの人生が、いわゆるエリートなのかなぁ。
ほぼ日の会社は未上場企業ですが、こういうある種説明しがたい円環アプローチ?をやりながらも、説明責任の塊である上場企業になろうとしてるのが、むちゃくちゃ面白いと思ってます。単に非上場企業なら円環アプローチはできると思う。でもそれをやらない。僕がほぼ日を最も好きで注目してるのはそのあたりが理由です。資本主義を揺るがしうる。このアプローチが、吉本隆明さんを「ほぼ日でやってるのは吉本隆明さんから学んだことの応用問題だと思ってます」といろいろなところで言っている糸井さんのアプローチなのです。
資本主義を揺るがす円環アプローチ。
なんて気取ったこと言わなくても、糸井氏は絶対に通りの悪いほんとのことを言ってしまいながらいまの社会の勝ち組になろうと目論んでいる、といえばわかりやすい。これはめちゃくちゃ無理で、だからものすごい試みだと思います。
糸井氏の試みは仮説検証型、合理的、直線といういまの社会にたいするアンチテーゼ、みたいに響きますが、なんてことはない糸井氏のほうがうんと当たり前。実感を生きてはいけないという建前社会の方がそもそもどうかしていないか???T氏のいうことはいちいちもっともです。
T氏のいう正しさ、というのは、これも大きなトピックなのでまた改めて。
吉本隆明は、考えることを仕事にするというのはこういうことか、とつくづく感じさせる人でした。どこまでも実感。実感と現実から目をそらさない。本質を捉えきるまで考えて、考えて、考え抜く。考えるってこういうことかと思う。ぺらぺらの言葉だけをつらねることと、そこに魂を入れ込むことの違いを、教えてもらった気がします。河合隼雄氏と吉本隆明氏が亡くなった時は本当に寂しかった。これくらい考え方に魂を揺すぶられ、すごいと感動した人が他にすぐに思いつかないので。
私はブログよりは著者がそれなりの準備と時間をあてて書いた書籍の方を読みたいのですが、この吉本隆明「ほんとうの考え」のシリーズはすごいと思います。まだ読み始めたばかりですが、こんな内容のものが、無料で公開されているなんて。一言一言涙が溢れる。
実感をそのまま言葉にしてしまうと、矛盾するし通りが悪い。でもその実感で生きるんだ!という態度を透徹すれば、それがそれで筋になる。こういう徹底した自由もありかもしれません。
仮説検証型アプローチは、なんというか、稟議が通りやすいんですよね。企業も行政もこのアプローチが基準になっちゃってる。特に日本は。仮説検証型アプローチの方が、わかりやすく金になる。
たとえば線型で説明がわかりやすい経営者・投資候補先は投資の稟議は通しやすい。でもそれで投資しちゃうと、つまらなかったり、場合によっては言葉巧みに騙されたりすることも。
対談の中で「説明できる人のことを頭がいい人っていう時代って、不幸だと思うんですよ。」とおっしゃってますが、今は本当にそうだと思います。特に日本は。震災の時の話も近いかなと思ってるんですが、(論理的な)正しさってのが面白さとか豊かさと直結するとは限らないと思うんですよね〜。
人生通して合理的に正しく生きるのなんてほとんどの人にとっては無理というか、現実的ではないと思います。合理性の極みの人生が、いわゆるエリートなのかなぁ。
ほぼ日の会社は未上場企業ですが、こういうある種説明しがたい円環アプローチ?をやりながらも、説明責任の塊である上場企業になろうとしてるのが、むちゃくちゃ面白いと思ってます。単に非上場企業なら円環アプローチはできると思う。でもそれをやらない。僕がほぼ日を最も好きで注目してるのはそのあたりが理由です。資本主義を揺るがしうる。このアプローチが、吉本隆明さんを「ほぼ日でやってるのは吉本隆明さんから学んだことの応用問題だと思ってます」といろいろなところで言っている糸井さんのアプローチなのです。
資本主義を揺るがす円環アプローチ。
なんて気取ったこと言わなくても、糸井氏は絶対に通りの悪いほんとのことを言ってしまいながらいまの社会の勝ち組になろうと目論んでいる、といえばわかりやすい。これはめちゃくちゃ無理で、だからものすごい試みだと思います。
糸井氏の試みは仮説検証型、合理的、直線といういまの社会にたいするアンチテーゼ、みたいに響きますが、なんてことはない糸井氏のほうがうんと当たり前。実感を生きてはいけないという建前社会の方がそもそもどうかしていないか???T氏のいうことはいちいちもっともです。
T氏のいう正しさ、というのは、これも大きなトピックなのでまた改めて。
吉本隆明は、考えることを仕事にするというのはこういうことか、とつくづく感じさせる人でした。どこまでも実感。実感と現実から目をそらさない。本質を捉えきるまで考えて、考えて、考え抜く。考えるってこういうことかと思う。ぺらぺらの言葉だけをつらねることと、そこに魂を入れ込むことの違いを、教えてもらった気がします。河合隼雄氏と吉本隆明氏が亡くなった時は本当に寂しかった。これくらい考え方に魂を揺すぶられ、すごいと感動した人が他にすぐに思いつかないので。
私はブログよりは著者がそれなりの準備と時間をあてて書いた書籍の方を読みたいのですが、この吉本隆明「ほんとうの考え」のシリーズはすごいと思います。まだ読み始めたばかりですが、こんな内容のものが、無料で公開されているなんて。一言一言涙が溢れる。
実感をそのまま言葉にしてしまうと、矛盾するし通りが悪い。でもその実感で生きるんだ!という態度を透徹すれば、それがそれで筋になる。こういう徹底した自由もありかもしれません。
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2015.
10.
29
「やりはじめないと、やる気は出ません。
脳の側坐核が活動すると
やる気が出るのですが、側坐核は、
何かをやりはじめないと活動しないので。」
糸井氏のブログ「ほぼ日刊イトイ新聞 - 脳の気持ちになって考えてみてください。」で糸井氏と対談している池谷氏の言葉です。笑った。自分で積極的に動いた時の反応は10倍。で紹介されています。
以前大塚さんが大前研一氏を引用して笑ったことを思い出しました。「もっとも無意味なのは、「決意を新たにする」ことだ。かつて決意して何か変わっただろうか。行動を具体的に変えない限り、決意だけでは何も変わらない。」
大塚さんが以前ブログで紹介していた一節はここ
人間が変わる方法は三つしかない。一つは時間配分を変える、二番目は住む場所を変える、三番目は付き合う人を変える、この三つの要素でしか人間は変わらない。
もっとも無意味なのは、「決意を新たにする」ことだ。かつて決意して何か変わっただろうか。行動を具体的に変えない限り、決意だけでは何も変わらない。
そして時間、場所、友人の中でどれか一つだけ選ぶとしたら、時間配分を変えることがもっとも効果的なのだ。
他の記事も紹介していただきました。
自由は後付け。
大きな海流に乗って。
まさに河合隼雄氏のいう現代の円環構造を映し出しているみたいな会話。
科学でも経済でも仮説検証型をスタンダードとするのに無理がある、目標を立ててそれを一直線に追求し到着すべきなどという前提が間違っている、と我々薄々は気づいているのだけど、これも脳は変化を嫌うのでなかなか変えられない。さまよったり迷ったりすることに価値を置かない世界がもたらしたものがいまの私たちの心の病です。迷うことはそのまま大事な人生で、人間矛盾や間違いなく一直線に生きるものという前提がありえない。
自分が本当は何をしたいのかわからない
将来の目標が立てられない
顕在意識で、直線的にまとめようとするから無理がある。現代は河合隼雄氏のいう円環構造ととらえるとすこし気が楽になりませんか。うねうね迷路のようで、循環していて迷うようにできているのが、そのままこの人生の醍醐味です。
迷いこそ人生!
脳の側坐核が活動すると
やる気が出るのですが、側坐核は、
何かをやりはじめないと活動しないので。」
糸井氏のブログ「ほぼ日刊イトイ新聞 - 脳の気持ちになって考えてみてください。」で糸井氏と対談している池谷氏の言葉です。笑った。自分で積極的に動いた時の反応は10倍。で紹介されています。
以前大塚さんが大前研一氏を引用して笑ったことを思い出しました。「もっとも無意味なのは、「決意を新たにする」ことだ。かつて決意して何か変わっただろうか。行動を具体的に変えない限り、決意だけでは何も変わらない。」
大塚さんが以前ブログで紹介していた一節はここ
人間が変わる方法は三つしかない。一つは時間配分を変える、二番目は住む場所を変える、三番目は付き合う人を変える、この三つの要素でしか人間は変わらない。
もっとも無意味なのは、「決意を新たにする」ことだ。かつて決意して何か変わっただろうか。行動を具体的に変えない限り、決意だけでは何も変わらない。
そして時間、場所、友人の中でどれか一つだけ選ぶとしたら、時間配分を変えることがもっとも効果的なのだ。
他の記事も紹介していただきました。
自由は後付け。
大きな海流に乗って。
まさに河合隼雄氏のいう現代の円環構造を映し出しているみたいな会話。
科学でも経済でも仮説検証型をスタンダードとするのに無理がある、目標を立ててそれを一直線に追求し到着すべきなどという前提が間違っている、と我々薄々は気づいているのだけど、これも脳は変化を嫌うのでなかなか変えられない。さまよったり迷ったりすることに価値を置かない世界がもたらしたものがいまの私たちの心の病です。迷うことはそのまま大事な人生で、人間矛盾や間違いなく一直線に生きるものという前提がありえない。
自分が本当は何をしたいのかわからない
将来の目標が立てられない
顕在意識で、直線的にまとめようとするから無理がある。現代は河合隼雄氏のいう円環構造ととらえるとすこし気が楽になりませんか。うねうね迷路のようで、循環していて迷うようにできているのが、そのままこの人生の醍醐味です。
迷いこそ人生!
2015.
10.
29
たぶん私は無意識の領域にどれだけ働きかけられるか、ということをずっと追求している気がします。どれだけ直接、早く、効率的に、安全に働きかけられるか。
そんなことを思っていたから、「ケルトを巡る旅ー神話と伝説の地」における故河合隼雄氏と「魔女」の対談は面白かったです。
ー河合:あなたにとって「魔術」とはなんですか。
ー魔女:相談者は問題や悪循環を抱えてここにやってきます。その問題は無意識の中にあります。意識を通じて無意識に働きかけることは困難ですが、記号や儀式では直接無意識に働きかけることができます。それが「魔術」だと考えています。
ー河合:儀式やおまじないはしないのですか。
ー魔女:必要に応じて行います。(中略)ただし適切な時間を見極めることが重要です。儀式は直接的で、すぐ効果が現れます。
ー河合:精神分析は意識を通じて無意識に働きかけるので時間がかかりますが、あなたの方法は直接的ですね。
私はタロットもロルフィングも無意識への儀式的介入だと思ってます。ためしに魔術をロルフィングに置き換えても意味が通じる。
河合隼雄は儀式というものを深く考察してきた人です。ロジェ・カイヨワを引き合いに出して、カイヨワは「儀式こそが絶対者につながる唯一の方法であり、次に仕事、遊びは一番下だ、絶対者に近づくことは困難なことだから、そのために行われる「儀式」は細部まで決められているのだ」と言っているがそうではない、現代社会は本来的な意味における宗教体験がほとんど不可能で、儀式を通じて絶対者に至る道が閉ざされている、という難しい時代だから、カイヨワのいう儀式、仕事、遊びという順列はおかしい、そうではなくその3つは円環構造だ、ぐるぐる回っている、この3つのどこからでも絶対者につながることができるし、転落することができる、と言っています。
私にとって、仕事と遊びの境界は限りなくグレーで、分けられない。それより儀式というものを改めて意識してみました。
ご法座のまえに座って毎朝行う儀式。
ヨガ。最初の15年はそれこそいろいろなものに手を出したけれど、ここ10年はずっと同じシークエンス。
よほどのことがない限り例外はつくらない。
よけいな思考が挟まる余地がないようにするための、自分に対する儀式。その他がもうどうしようもなく曖昧で自由なので、これ以上だらしなく転落しないための訓練。
見渡すと儀式にこだわっている人結構います。クリエーターに多いのが面白い。有名な人だと;
毎日午後になると、同じ時間に同じコースを散歩したエマニュエル・カント。すれ違う人が彼を見て時計の針を合わせたというのは有名な話です。
毎朝きっちり60粒のコーヒー豆をひいてコーヒーを飲んだベートーベン。
ものすごく規則正しいタイムスケジュールで仕事をし、走り続ける村上春樹。
無意識の領域に、雑音なく自分をつなげるとても具体的な方法が、儀式。あなたもご自分の儀式を見直してみませんか?
そんなことを思っていたから、「ケルトを巡る旅ー神話と伝説の地」における故河合隼雄氏と「魔女」の対談は面白かったです。
ー河合:あなたにとって「魔術」とはなんですか。
ー魔女:相談者は問題や悪循環を抱えてここにやってきます。その問題は無意識の中にあります。意識を通じて無意識に働きかけることは困難ですが、記号や儀式では直接無意識に働きかけることができます。それが「魔術」だと考えています。
ー河合:儀式やおまじないはしないのですか。
ー魔女:必要に応じて行います。(中略)ただし適切な時間を見極めることが重要です。儀式は直接的で、すぐ効果が現れます。
ー河合:精神分析は意識を通じて無意識に働きかけるので時間がかかりますが、あなたの方法は直接的ですね。
私はタロットもロルフィングも無意識への儀式的介入だと思ってます。ためしに魔術をロルフィングに置き換えても意味が通じる。
河合隼雄は儀式というものを深く考察してきた人です。ロジェ・カイヨワを引き合いに出して、カイヨワは「儀式こそが絶対者につながる唯一の方法であり、次に仕事、遊びは一番下だ、絶対者に近づくことは困難なことだから、そのために行われる「儀式」は細部まで決められているのだ」と言っているがそうではない、現代社会は本来的な意味における宗教体験がほとんど不可能で、儀式を通じて絶対者に至る道が閉ざされている、という難しい時代だから、カイヨワのいう儀式、仕事、遊びという順列はおかしい、そうではなくその3つは円環構造だ、ぐるぐる回っている、この3つのどこからでも絶対者につながることができるし、転落することができる、と言っています。
私にとって、仕事と遊びの境界は限りなくグレーで、分けられない。それより儀式というものを改めて意識してみました。
ご法座のまえに座って毎朝行う儀式。
ヨガ。最初の15年はそれこそいろいろなものに手を出したけれど、ここ10年はずっと同じシークエンス。
よほどのことがない限り例外はつくらない。
よけいな思考が挟まる余地がないようにするための、自分に対する儀式。その他がもうどうしようもなく曖昧で自由なので、これ以上だらしなく転落しないための訓練。
見渡すと儀式にこだわっている人結構います。クリエーターに多いのが面白い。有名な人だと;
毎日午後になると、同じ時間に同じコースを散歩したエマニュエル・カント。すれ違う人が彼を見て時計の針を合わせたというのは有名な話です。
毎朝きっちり60粒のコーヒー豆をひいてコーヒーを飲んだベートーベン。
ものすごく規則正しいタイムスケジュールで仕事をし、走り続ける村上春樹。
無意識の領域に、雑音なく自分をつなげるとても具体的な方法が、儀式。あなたもご自分の儀式を見直してみませんか?
2015.
10.
28
やっとホメオパシー1単元書き終わって一息。
外は満月。
真実を語るときには人は詩を書くのかな。
本当に言いたいことをいうときには言葉が出ない。
満月の夜はボルテックスを感じやすい。
ソースポイントや、
靈氣や
セッションで
懐かしい感覚に身を任せて
これを言葉にしようとするとおかしなことになって
そんなときはただそっと口をつぐむ。
ソースポイントのトレーニングのときに
あるビジョンを見てしまって
帰りたいと泣き出して
そのときボブが、
自分が行くんじゃなくて、持っておいで
と言ってくれて蘇生した。
そうか持って来ればいいんだと。
パワースポットはいまここに作れる。
セドナも、屋久島も、キリマンジャロも
いまここに。
このちっぽけな自分が空を見上げるんじゃなくて
宇宙から自分を見てごらん。
外は満月。
真実を語るときには人は詩を書くのかな。
本当に言いたいことをいうときには言葉が出ない。
満月の夜はボルテックスを感じやすい。
ソースポイントや、
靈氣や
セッションで
懐かしい感覚に身を任せて
これを言葉にしようとするとおかしなことになって
そんなときはただそっと口をつぐむ。
ソースポイントのトレーニングのときに
あるビジョンを見てしまって
帰りたいと泣き出して
そのときボブが、
自分が行くんじゃなくて、持っておいで
と言ってくれて蘇生した。
そうか持って来ればいいんだと。
パワースポットはいまここに作れる。
セドナも、屋久島も、キリマンジャロも
いまここに。
このちっぽけな自分が空を見上げるんじゃなくて
宇宙から自分を見てごらん。
2015.
10.
11
大塚さんがロルフィングと対照的なトレーニングを受けて感じたことをブログに書いていて、とても似た体験をしてきたものとして私もすこし書いてみたくなりました。
ある意味ロルフィングの方が特殊な教育かもしれません。その中でもとりわけ大塚さんと私が強く影響を受けたGiovanniは南アフリカで生まれたイタリア人で母国語が英語という環境で育ったせいもあるのか、自分のありかた、人との距離の取り方について常に自問自答しながら生きてきた人なんだろうと感じさせるものがあります。ロルフィングで強調するLess is more, hold the spaceというものは、彼の一挙一動から学んだのです。いつも笑ってふざけて、脱力とゆるみを誘って人を素に戻す。そのうちいつのまにか自分でも全く知らなかったもう一人の私が引き出されている。人を自由にすることにかけては名人です。彼自身はこんな野暮な種明かしをしないので、彼のどこがすごいのか、何がいいのか、長い間うまく説明できなかったし、いまでもよくわかっていません。
私がそれまで受けた教育の多くはそれとは逆でした。悪い部分を指摘し、それを矯正させる、というもの。良い悪いの判断基準は指導者が持っていて、そのメガネに叶わなければ否定される。指導者の方針に疑問を持ったりなにか批判的な考えを持ったりすることは許されない。だから当然自分がどうありたいかより、どうやったら気に入ってもらえるかというのを一生懸命追求することになる。もっともこれも、指導者に力があってはじめて機能するのですが。
私の個性とか、可能性とか、こういうものに価値があって、追求していいものだと初めて知ったのがロルフィングを通してでした。それまでは自分の悪いところを見つめ、苦手を克服するのが進化への道と思っていたから。自分のやり方があっていいなどということは思いもよらなかったので、正しいやり方というものを提示してくれず、解を示してくれない、教義のないクラスの進め方には最初は面食らいました。
でも放ったらかしにされているかといったらそうでもなくて、わからない、ついていけない、などと落ち込むとまず100パーセント、見つかる。いつ見てたんだろうと思うくらい。私だけでなく11人のクラスメートそれぞれが、個人的なプロセスに入ったと見えた時にはだいたいアシスタントがフォローに入って、授業は滞りなく進みながらも各自のプライベートな問題は平行して丁寧にケアされている。生徒11人に先生2人は贅沢に思えますが、それでも2人指導者がそれぞれ3人分くらいこなしていました。まるで千手千眼観音様に囲まれているようでした。
まあロルフィングトレーニングは特殊空間だとは思いますが、私はロルフィングトレーニング以降何千時間というトレーニングを通してだいたい同じ傾向の学びをしています。これらを通して私自身がセッションや講習会をリードする上で気をつけていることを列挙してみます。
指導者においてもっとも障害となる要素:
prejudice 思い込み・先入観
私の尊敬する先生たちはみな口を揃えてニュートラルでいることの大切さをいいます。これは人間がどれだけ思い込みにとらわれやすいかの反映。脳は常にパターンを求めるので、経験を重ねれば重ねるほど、過去のパターンをまたここに持って来たくなる。毎回毎回まっさらになるのは至難の技。そして、脳は常にストーリーを求めるので、自分の頭で納得しやすいストーリーを作り上げて、それを相手に当てはめます。相手を観察するのではなくて、自分のストーリーの投影をしています。
judgement 断定
なぜ腰痛になったんですか、と訊かれたら、「椎間板5/4のヘルニア」「腰椎4番すべり症」などと即答できるのが腕のいいドクターの証のようになっていて、とくにドイツ人には根が深い問題。自分で自分が信じられなくて、判断を権威に丸投げしてしまうのです。未熟な指導者はこれを利用します。相手を批判否定し小さくし、判断力を失わせ、そして判断を自分に求めるように持っていき、コントロール下に置く。相互依存関係に持って行きます。ジョヴァンニが質問を質問で返すのに対してイライラしている生徒を見ていたのは本当に勉強になりました。答えは本当は本人が持っている。それを、指導者のジャッジで制限してしまうのは生徒の可能性の扉を閉めてしまう。ホメオパシーでも、どんなオープンクエッションに持っていくかがコンサルタントの力量。・・でもこれは相当洗練された関係です。私たちは本当は禅でお馴染みなのですが、本来すごく高度。
私が受けた教育の中でたぶん一番嫌だったのが日本の義務教育で、prejudice+judgementをこれでもかというくらい浴び続けました。担任教授が当時の親友に電話をかけて「あいつは今後クラスの統率のためにいじめるから友達をやめるように」と言ってきた、とその後親友から泣きながら告白されて、頭が真っ白になったのを覚えています。今でも信じたくないです。クラスで一番をとっても、全国模試では学校の5本指にはいる結果をとっても、教師陣が申し合わせたように絶対にくれなかった主要教科の5。マヌケな言動が多くいわゆる優等生キャラでないので信用がなかったからというのが理由だったと今ならわかるのですが、自分の何がいけなくて努力が成績表に反映しないかさっぱりわかりませんでした。海外に出た途端ありえない成績をとって、成績表というのは事実の反映というより教師のprejudice+judgementの結集なんだなと知りました。
ちなみに夫は優等生タイプで、お互い人生でかすることのなかった人種なので、結婚して多くを学ばせていただいています。娘は残念ながら私以上に思い切った成績をとるタイプで、おかげさまで数回特別監視下に置かれ学校に呼び出されるといった珍しい体験をさせていただきました。
indifference 無関心
いわゆるネグレクトですが、無視ではなくて無関心。指導者から受けるもののなかで魂が一番傷つくのが無関心だと、私は自分の体験を通して感じています。ホメオパシーではこの無関心は病気のエンドステージに持ってきます。保護者から、指導者から、愛する人から、無関心をうけた体験をインナーチャイルドとして持っている人は、魂の救済に時間がかかっても自分を責めなくていい。
だから否定でも怒りでも、自分にエネルギーを注いでくれる指導者がいる人はまだ幸せです。もっとも辛いのは見放された魂。
私は人生においてこれらをされるのが本当に本当に嫌だったので、私とご縁を持つ方には決してしたくない。最初の2つは本当にすぐに陥る罠なのです。いつもいつも反省します。
スカイプで話し込んでいた娘とその友達の会話に割り込んで、こういう魂の世界のこと、これからの君たちの生き方みたいなものについて語り出したところ
しもやけ
え?
しもやけ
膝の上に隠し持っていたDSの鶏のキャラクターしもやけを呼び出す娘でした。
ある意味ロルフィングの方が特殊な教育かもしれません。その中でもとりわけ大塚さんと私が強く影響を受けたGiovanniは南アフリカで生まれたイタリア人で母国語が英語という環境で育ったせいもあるのか、自分のありかた、人との距離の取り方について常に自問自答しながら生きてきた人なんだろうと感じさせるものがあります。ロルフィングで強調するLess is more, hold the spaceというものは、彼の一挙一動から学んだのです。いつも笑ってふざけて、脱力とゆるみを誘って人を素に戻す。そのうちいつのまにか自分でも全く知らなかったもう一人の私が引き出されている。人を自由にすることにかけては名人です。彼自身はこんな野暮な種明かしをしないので、彼のどこがすごいのか、何がいいのか、長い間うまく説明できなかったし、いまでもよくわかっていません。
私がそれまで受けた教育の多くはそれとは逆でした。悪い部分を指摘し、それを矯正させる、というもの。良い悪いの判断基準は指導者が持っていて、そのメガネに叶わなければ否定される。指導者の方針に疑問を持ったりなにか批判的な考えを持ったりすることは許されない。だから当然自分がどうありたいかより、どうやったら気に入ってもらえるかというのを一生懸命追求することになる。もっともこれも、指導者に力があってはじめて機能するのですが。
私の個性とか、可能性とか、こういうものに価値があって、追求していいものだと初めて知ったのがロルフィングを通してでした。それまでは自分の悪いところを見つめ、苦手を克服するのが進化への道と思っていたから。自分のやり方があっていいなどということは思いもよらなかったので、正しいやり方というものを提示してくれず、解を示してくれない、教義のないクラスの進め方には最初は面食らいました。
でも放ったらかしにされているかといったらそうでもなくて、わからない、ついていけない、などと落ち込むとまず100パーセント、見つかる。いつ見てたんだろうと思うくらい。私だけでなく11人のクラスメートそれぞれが、個人的なプロセスに入ったと見えた時にはだいたいアシスタントがフォローに入って、授業は滞りなく進みながらも各自のプライベートな問題は平行して丁寧にケアされている。生徒11人に先生2人は贅沢に思えますが、それでも2人指導者がそれぞれ3人分くらいこなしていました。まるで千手千眼観音様に囲まれているようでした。
まあロルフィングトレーニングは特殊空間だとは思いますが、私はロルフィングトレーニング以降何千時間というトレーニングを通してだいたい同じ傾向の学びをしています。これらを通して私自身がセッションや講習会をリードする上で気をつけていることを列挙してみます。
指導者においてもっとも障害となる要素:
prejudice 思い込み・先入観
私の尊敬する先生たちはみな口を揃えてニュートラルでいることの大切さをいいます。これは人間がどれだけ思い込みにとらわれやすいかの反映。脳は常にパターンを求めるので、経験を重ねれば重ねるほど、過去のパターンをまたここに持って来たくなる。毎回毎回まっさらになるのは至難の技。そして、脳は常にストーリーを求めるので、自分の頭で納得しやすいストーリーを作り上げて、それを相手に当てはめます。相手を観察するのではなくて、自分のストーリーの投影をしています。
judgement 断定
なぜ腰痛になったんですか、と訊かれたら、「椎間板5/4のヘルニア」「腰椎4番すべり症」などと即答できるのが腕のいいドクターの証のようになっていて、とくにドイツ人には根が深い問題。自分で自分が信じられなくて、判断を権威に丸投げしてしまうのです。未熟な指導者はこれを利用します。相手を批判否定し小さくし、判断力を失わせ、そして判断を自分に求めるように持っていき、コントロール下に置く。相互依存関係に持って行きます。ジョヴァンニが質問を質問で返すのに対してイライラしている生徒を見ていたのは本当に勉強になりました。答えは本当は本人が持っている。それを、指導者のジャッジで制限してしまうのは生徒の可能性の扉を閉めてしまう。ホメオパシーでも、どんなオープンクエッションに持っていくかがコンサルタントの力量。・・でもこれは相当洗練された関係です。私たちは本当は禅でお馴染みなのですが、本来すごく高度。
私が受けた教育の中でたぶん一番嫌だったのが日本の義務教育で、prejudice+judgementをこれでもかというくらい浴び続けました。担任教授が当時の親友に電話をかけて「あいつは今後クラスの統率のためにいじめるから友達をやめるように」と言ってきた、とその後親友から泣きながら告白されて、頭が真っ白になったのを覚えています。今でも信じたくないです。クラスで一番をとっても、全国模試では学校の5本指にはいる結果をとっても、教師陣が申し合わせたように絶対にくれなかった主要教科の5。マヌケな言動が多くいわゆる優等生キャラでないので信用がなかったからというのが理由だったと今ならわかるのですが、自分の何がいけなくて努力が成績表に反映しないかさっぱりわかりませんでした。海外に出た途端ありえない成績をとって、成績表というのは事実の反映というより教師のprejudice+judgementの結集なんだなと知りました。
ちなみに夫は優等生タイプで、お互い人生でかすることのなかった人種なので、結婚して多くを学ばせていただいています。娘は残念ながら私以上に思い切った成績をとるタイプで、おかげさまで数回特別監視下に置かれ学校に呼び出されるといった珍しい体験をさせていただきました。
indifference 無関心
いわゆるネグレクトですが、無視ではなくて無関心。指導者から受けるもののなかで魂が一番傷つくのが無関心だと、私は自分の体験を通して感じています。ホメオパシーではこの無関心は病気のエンドステージに持ってきます。保護者から、指導者から、愛する人から、無関心をうけた体験をインナーチャイルドとして持っている人は、魂の救済に時間がかかっても自分を責めなくていい。
だから否定でも怒りでも、自分にエネルギーを注いでくれる指導者がいる人はまだ幸せです。もっとも辛いのは見放された魂。
私は人生においてこれらをされるのが本当に本当に嫌だったので、私とご縁を持つ方には決してしたくない。最初の2つは本当にすぐに陥る罠なのです。いつもいつも反省します。
スカイプで話し込んでいた娘とその友達の会話に割り込んで、こういう魂の世界のこと、これからの君たちの生き方みたいなものについて語り出したところ
しもやけ
え?
しもやけ
膝の上に隠し持っていたDSの鶏のキャラクターしもやけを呼び出す娘でした。
2015.
10.
08
なにか新カンパニーのダンスがセル画の連続のように見えたので、ふと葛飾北斎と比べてみました。正真正銘の有機体なのにどこか命が通っていない、停止している、と感じさせるものの対局が北斎。
北斎の富嶽三十六景のこの有名な神奈川沖浪裏:

動いている。2次元なのに、森羅万象すべてが生きて動いている。命ってこういうことかと思う。北斎は森羅万象をこよなく愛した人だと思えるのです。描かれたものたちのすべてが、私は生きてる!と叫んでいるみたい。
日本のアニメ・漫画というのは今や日本の最も誇れる文化でしょうが、この原型は北斎にあるのかなと思います。北斎が現代に生きていたらまず漫画家になっただろうな、と感じるところはたくさん。


手塚治虫も北斎に影響をうけてる?

北斎の動きの捉え方とともに、びっくりするのが空間感覚。


似た動きをしながらもそこには自由があって、お互いが気配を感じあって呼吸を合わせているのが見える。そして彼らとともにいる山や木や海や肌触りのいい風や匂い、夕暮れの日差し。これらひとつひとつがあたりまえの存在感でそこにいる。
自然が人と一体化している、と捉えるのは西洋の考え方です。もともと自然vs人と分けているから、一体化などという考え方が生まれる。もともと日本人は人と自然を分けていない。北斎の絵をみると分かります。北斎にとって森羅万象はひとくくり。すべてが同列の生き物。
自我の確立というものは寂しいかもしれない。西洋人は長年、分離というものを一生懸命に追求してきたのかと。
日本人にとって、自我の確立とか自然vs人間などという概念は実は近代に入ってからのものです。実際自然という言葉だって、近代に西洋から輸入された時に訳に苦労した言葉のひとつだったし。つながりを失い、分離の檻に閉じ込められて苦しむ私たちですが、これはつい最近の目くらましで、もともと私たちはこんな戯言に振り回されないくらい強い絆をありとあらゆるものに対して持っていました。
フォーサイスの舞台にあった関係性の断絶、というのを思い出しました。あれは関係性がもともとあったから分離断絶があったのかと。むしろフォーサイスは東洋的だった。もともと関係性のないところには、断絶もない。
この舞台は色々な意味で本当におもしろかったです。西洋というもの。現代というもの。こういうものがすごく鮮やかに浮き彫りになっていて。
近代はマクロを捨ててミクロに向かいました。生命体の生体反応よりラボの顕微鏡に映し出された化学反応、いまここで生身の人間が見せてくれるものより死体解剖や病変組織から取り出したデータを見る世界。西洋がキリスト教とともに普及させてきたこの価値観を、現代人の私たちはまるでそれが「自然」であるかのように信じている。
ガチで向き合うのを避け、いつも媒体の後ろに隠れる現代人は、これもつい最近作り上げられました。どれが自然?どれが進化?舞台の上でこういうものを象徴的に表現されて、改めて私たちの状況というものをまざまざと見せつけられた感じ。彼らは今後どういう方向に進むんだろう。才能に溢れた彼らが今後追求し拾い出してくれるであろうものが本当に楽しみです。
北斎の富嶽三十六景のこの有名な神奈川沖浪裏:

動いている。2次元なのに、森羅万象すべてが生きて動いている。命ってこういうことかと思う。北斎は森羅万象をこよなく愛した人だと思えるのです。描かれたものたちのすべてが、私は生きてる!と叫んでいるみたい。
日本のアニメ・漫画というのは今や日本の最も誇れる文化でしょうが、この原型は北斎にあるのかなと思います。北斎が現代に生きていたらまず漫画家になっただろうな、と感じるところはたくさん。


手塚治虫も北斎に影響をうけてる?

北斎の動きの捉え方とともに、びっくりするのが空間感覚。


似た動きをしながらもそこには自由があって、お互いが気配を感じあって呼吸を合わせているのが見える。そして彼らとともにいる山や木や海や肌触りのいい風や匂い、夕暮れの日差し。これらひとつひとつがあたりまえの存在感でそこにいる。
自然が人と一体化している、と捉えるのは西洋の考え方です。もともと自然vs人と分けているから、一体化などという考え方が生まれる。もともと日本人は人と自然を分けていない。北斎の絵をみると分かります。北斎にとって森羅万象はひとくくり。すべてが同列の生き物。
自我の確立というものは寂しいかもしれない。西洋人は長年、分離というものを一生懸命に追求してきたのかと。
日本人にとって、自我の確立とか自然vs人間などという概念は実は近代に入ってからのものです。実際自然という言葉だって、近代に西洋から輸入された時に訳に苦労した言葉のひとつだったし。つながりを失い、分離の檻に閉じ込められて苦しむ私たちですが、これはつい最近の目くらましで、もともと私たちはこんな戯言に振り回されないくらい強い絆をありとあらゆるものに対して持っていました。
フォーサイスの舞台にあった関係性の断絶、というのを思い出しました。あれは関係性がもともとあったから分離断絶があったのかと。むしろフォーサイスは東洋的だった。もともと関係性のないところには、断絶もない。
この舞台は色々な意味で本当におもしろかったです。西洋というもの。現代というもの。こういうものがすごく鮮やかに浮き彫りになっていて。
近代はマクロを捨ててミクロに向かいました。生命体の生体反応よりラボの顕微鏡に映し出された化学反応、いまここで生身の人間が見せてくれるものより死体解剖や病変組織から取り出したデータを見る世界。西洋がキリスト教とともに普及させてきたこの価値観を、現代人の私たちはまるでそれが「自然」であるかのように信じている。
ガチで向き合うのを避け、いつも媒体の後ろに隠れる現代人は、これもつい最近作り上げられました。どれが自然?どれが進化?舞台の上でこういうものを象徴的に表現されて、改めて私たちの状況というものをまざまざと見せつけられた感じ。彼らは今後どういう方向に進むんだろう。才能に溢れた彼らが今後追求し拾い出してくれるであろうものが本当に楽しみです。
2015.
10.
03
山茶というものをいただいて飲んでみました。

100度のお湯で10分以上浸出させてから飲みます。
地中海、バルカン、イベリア半島を中心に標高1000メートル以上の高地に植生するミント科のIronwartの花と葉と茎を乾燥させたもので、旬は今から。ギリシャでは特に冬の間の免疫強化に欠かせない万能茶として古くから知られ、ヨーロッパ地方ではmountain teaとして有名です。山に登って手摘みしないといけないのでかなり高価で、下界の汚染を受けていない、空気のきれいなところに自生しているこのIronwortは、文字通り鉄分を多く含みますが、有効化学成分は60種類を超えます。確かに万能茶。
このサイトにすごく詳しく薬効成分や背景が書かれています。そこを以下抜粋翻訳します。
このIronwortはギリシャ語のSideritis=σίδηρος (SEE-thee-ros) の英訳です。医者であり薬草学者でもあったPedanius Dioscorides(40−90AD)によって命名されました。Discoridesは有名なDe Materia Medicaを書いた人です。険しい山地に自生する小さな黄色い花をつける種類は150種類以上あり、Discoridesはこの薬草をLabiaceae(ミント科)に分類しました。
黄色い小さな花をつける植物はたくさんあって、このサイトでは、菩提樹の花、ワイルドオレガノ、カモミールなどもこの分類になるそう。
この名前の由来は、鉄器の武器のトラウマからの解放から来ています。鉄器時代に兵士が戦いで傷を負った時、この薬草で傷が癒えるのを早めたから。クレタ島ではmalotira(つまりイタリア語のmale(病気)とtirare(引っこ抜く)の組み合わせ)の別名で呼ばれ、それが今日でも一般によく使われます。
効能はその病気一掃の名の通りで:
抗菌
抗炎症
抗酸化
抗癌
鉄を多く含むことから、血流促進
免疫強化
適応は
貧血、疲労
高血圧、低血圧
低体温
だいたいこういうものは決まってホメオパシーレメディにもなっています。レメディ名はSideritis syriaca.
こういう薬効植物は、膨大な化学成分や薬効に振り回されると本来の性格が掴みきれないのですが、こういうときにとても頼りになるのがサンカランとマッシモ。マッシモの分類によるとミント科の性格は:
ミント科:
ナルシシズム
野望
効率
義務
ものすごい痛み
冷え
いかにも鉄器時代以降戦いを繰り返してきたヨーロッパの戦士にぴったり。そして中でもとりわけ野蛮なヨーロッパ人が渡って作り上げたアメリカ人にも。
ちなみに名前の由来になっている鉄ですが、サンカランは鉄Ferrumのもつセンセーションを
”I must protect and defend. I have to resist the pressure and opposition. ” The person is compelled to do something against his/her wishes and he/she has to fight against it..
と表現しています。
まるで、鎧で身を固め、意思に反した戦いをさせられている戦士のイメージ。Dioscoridesが鉄分を多く含むIronwartを戦士に処方したのは偶然の一致とは思えない。
かつてFerrum Phos(リン酸鉄)をプルービングしたインドの人たちが、こぞってこれを取ったときに結婚と言ったそうです。インドではいまでもほとんどが親の決めたお見合い、いわば政略結婚。文化の違いが際立って面白いですが、ここに表現される本質的なテーマはやっぱり:
我慢
やりたくないことを無理やりやらされる
鉄仮面とか鉄の女とか、実は私たちもすでに鉄の持つ本質をつかんだ表現をしていることに気づきます。
ここでは日本人の経営するオーガニックショップのディステルで買えます。店舗で量り売りしてくれるようですが、通販でも買えます。
味は、サイトからは薬臭いとか飲みにくいというイメージを持ちますが、実際飲んでみると芳香があってかなり美味しい。何か馴染みのある香り。リキュール?精油?
12の聖書のオイルの一つ、ヒソップ?
あ、カモミールワイルド!!

100度のお湯で10分以上浸出させてから飲みます。
地中海、バルカン、イベリア半島を中心に標高1000メートル以上の高地に植生するミント科のIronwartの花と葉と茎を乾燥させたもので、旬は今から。ギリシャでは特に冬の間の免疫強化に欠かせない万能茶として古くから知られ、ヨーロッパ地方ではmountain teaとして有名です。山に登って手摘みしないといけないのでかなり高価で、下界の汚染を受けていない、空気のきれいなところに自生しているこのIronwortは、文字通り鉄分を多く含みますが、有効化学成分は60種類を超えます。確かに万能茶。
このサイトにすごく詳しく薬効成分や背景が書かれています。そこを以下抜粋翻訳します。
このIronwortはギリシャ語のSideritis=σίδηρος (SEE-thee-ros) の英訳です。医者であり薬草学者でもあったPedanius Dioscorides(40−90AD)によって命名されました。Discoridesは有名なDe Materia Medicaを書いた人です。険しい山地に自生する小さな黄色い花をつける種類は150種類以上あり、Discoridesはこの薬草をLabiaceae(ミント科)に分類しました。
黄色い小さな花をつける植物はたくさんあって、このサイトでは、菩提樹の花、ワイルドオレガノ、カモミールなどもこの分類になるそう。
この名前の由来は、鉄器の武器のトラウマからの解放から来ています。鉄器時代に兵士が戦いで傷を負った時、この薬草で傷が癒えるのを早めたから。クレタ島ではmalotira(つまりイタリア語のmale(病気)とtirare(引っこ抜く)の組み合わせ)の別名で呼ばれ、それが今日でも一般によく使われます。
効能はその病気一掃の名の通りで:
抗菌
抗炎症
抗酸化
抗癌
鉄を多く含むことから、血流促進
免疫強化
適応は
貧血、疲労
高血圧、低血圧
低体温
だいたいこういうものは決まってホメオパシーレメディにもなっています。レメディ名はSideritis syriaca.
こういう薬効植物は、膨大な化学成分や薬効に振り回されると本来の性格が掴みきれないのですが、こういうときにとても頼りになるのがサンカランとマッシモ。マッシモの分類によるとミント科の性格は:
ミント科:
ナルシシズム
野望
効率
義務
ものすごい痛み
冷え
いかにも鉄器時代以降戦いを繰り返してきたヨーロッパの戦士にぴったり。そして中でもとりわけ野蛮なヨーロッパ人が渡って作り上げたアメリカ人にも。
ちなみに名前の由来になっている鉄ですが、サンカランは鉄Ferrumのもつセンセーションを
”I must protect and defend. I have to resist the pressure and opposition. ” The person is compelled to do something against his/her wishes and he/she has to fight against it..
と表現しています。
まるで、鎧で身を固め、意思に反した戦いをさせられている戦士のイメージ。Dioscoridesが鉄分を多く含むIronwartを戦士に処方したのは偶然の一致とは思えない。
かつてFerrum Phos(リン酸鉄)をプルービングしたインドの人たちが、こぞってこれを取ったときに結婚と言ったそうです。インドではいまでもほとんどが親の決めたお見合い、いわば政略結婚。文化の違いが際立って面白いですが、ここに表現される本質的なテーマはやっぱり:
我慢
やりたくないことを無理やりやらされる
鉄仮面とか鉄の女とか、実は私たちもすでに鉄の持つ本質をつかんだ表現をしていることに気づきます。
ここでは日本人の経営するオーガニックショップのディステルで買えます。店舗で量り売りしてくれるようですが、通販でも買えます。
味は、サイトからは薬臭いとか飲みにくいというイメージを持ちますが、実際飲んでみると芳香があってかなり美味しい。何か馴染みのある香り。リキュール?精油?
12の聖書のオイルの一つ、ヒソップ?
あ、カモミールワイルド!!
2015.
10.
01
ピカピカに光るスーパームーンの満月と月食が重なり、眠れない夜の続いている人が多いようですね。夜、月の明るさに驚くこの数日ですが、今朝は朝焼けに驚きました。山火事でもあったのかと思ったくらい。紅葉も始まり、空気は冷たく澄み渡り、富士は晴れたり日本晴れではないけれど、タウナス山も見事に晴れ渡った秋晴れが続きます。
週末クライアントさんにケルト遺跡探訪に連れていってもらいました. AltstadtからはU3で9分の終点Hohemarktはバイカーやハイカーがタウナス山に入る起点で、天気のいい週末は人々でごった返します。

そこにベリー類やきのこを摘みに来た人、そして間もなく栗拾いに来る人が混ざり、杖をついた人からフル装備でぶっとばす血の気の多いバイカーまで、老若男女をもれなく収容し満足させてくれるのがタウナス山。偉大です。ところでバイカーのフル装備には日本と違ってちゃんと意味があり、山でのマウンテンバイク事故は後をたたないからで、毎週のように死亡事故の記事が出てます。そしてシリア難民が何人も戦火をくぐりぬけ命をかけてやってきたここドイツで、祖国と似た毒きのこにあたって亡くなったということも。what a life...
Hohemarkは肥沃な土地で、文明の栄える条件がそろったここには城壁の内側に当時1000人くらいが住んでいたと言われ、このあたりでは最大規模のケルト遺跡跡地です。ケルト文化は薬草の知恵の宝庫で、他の多くの文明と同様、統治者はヒーラーでもありました。その後中世になってヒルデガルトフォンビンゲンが独自の研究で薬草学を体系づけ、彼女の生誕900年以上たったいまでもその教えはドイツ人に広く取り入れられています。
私が面白くてしかたないのが、この山に生息する動植物やクオーツたちとの出会い。薬草だけでなく樹木やシダ類、毒草、毒きのこ、何もかもが生きて語りかけてくる。博識のご夫妻が、いかにも私がとびつきそうなメニューを次々考案してはガイドとして連れて行ってくださるのが本当にありがたい。多くはホメオパシーレメディにもなっていて、実物を手にとって人々がどう暮らしに取り入れてきたかを知るのは興奮のひとことにつきる。とても紹介しきれないのですが、この地帯に広がる薬効植物をすこしづつ薬草(Heilpflanzen)のカテゴリーでまとめていこうとおもいます。
今回はSchlehe.英語だとblackthorn、日本語だとスピノサスモモです。

ちょうど今から10月にかけて収穫できるこの野生のプラムは用途が広く、ジュースやエリクシール、ジャム、ドライフルーツにして冬の蓄えにします。それこそ石器時代からこのドライフルーツは冬の間の免疫強化に欠かせないストックでした。紀元前の人々がキャンプファイアしながらこのドライフルーツを食べている様子を想像するのは楽しい。
見た目は硬いブルーベリーのような感じ。食べると渋さが際立っていてあとは酸っぱみが残る。タンニンとビタミンCです。まぁ2、3粒でもう十分と思う味。
ドイツ人は今でも庭や道端、近くの森で狩猟、採取したものを食べる人は珍しくなく、そういうもののレシピも巷にたくさん出回っています。インターネットでもたとえばこのサイトにいろいろ紹介してあるので、ここから一部を紹介します。
Schleheは3月の暖かい日差しを浴びて、アーモンドのような芳香がする白い花をたくさんつけます。民間療法では、この木に咲いた最初の3つの花を食べればその年は病気知らずと言われていました。この免疫を高める物質は現代用語でいうフリーラジカルスカベンジャーで、フラボノイドなどを含みます。熱が出た時発汗を促して、内にこもった熱を放出させて体に新鮮な氣を行き渡らせ、3月から4月にかけて飲む、花びらで作ったお茶は春の血液浄化になります。胃腸、腎臓を活性化し浄化します。セバスティアンクナイプは、Sheleheのことを最も害のない下剤だと書いていたそう。
Schleheの花のお茶
一度沸騰したあと自然に60−70度に冷ましたお湯(でないと有効成分が壊れる)1リットルにたいして、花をひとつかみ入れます。そしてかならず蓋をする。(でないと有効成分が揮発する。)花ごと飲んでしまいます。
薬効:
皮膚病における血液浄化
痛風
リウマチ
腎臓、膀胱のサポート
1日2、3杯を、花が咲いている間じゅう摂り続ける。
tip:
薬局では乾燥したものを売っているので1年じゅう飲める。
長引く風邪などで回復が遅れている場合は、エリクシールをとる。
花のエリクシール
花を2つかみポットにいれ、大さじ2杯のはちみつを加える。3/4リットルのドライホワイトワインを注ぎ、少なくとも1週間日当たりのいいところに置いて毎日振り、はちみつが完全に溶けたら漉す。
1日リキュールグラス一杯とる。
晩夏になった青い実は、石器時代から今日に至るまで免疫系統の保護にあたってきました。タンニン、果酸、ミネラル、ビタミンCを含み、冬の間のビタミン補給になります。(石器時代の集落の焚き火あとで見つかっている。)
ヒルデガルト・フォン・ビンゲン*のPhysica(自然学)から引用:
”温、乾の性質。
胃の不調のある人は、実を炙るか煮るかしてできるだけ食せよ。甘味にははちみつ。痛風持ちはこれで楽になる。種を食べても問題ない。”
*ヒルデガルトについてはいつか取り上げたいと思います。
実はタンニンを多く含みます。アストリンジェントとしての作用があり、出血した歯茎の炎症を鎮めます。この場合は乾燥果実を噛んでしばらく口に含んでいること。
マウスウォッシュ
大さじ2杯の乾燥果実に250mlの熱湯を注ぎ、10分放置。
嘔吐下痢などでひっくりかえった胃腸を乾燥果実が鎮めます。嘔吐下痢などのあとまだ食べられない時、この乾燥果実が食欲を誘導します。
tip:
一度凍らせると渋みが抜け、甘い香りが加わります。
実のジュースとジャムはものすごく薬効がありますが、作るのが面倒くさそうで非現実的とみて翻訳却下。クライアントさんも Reformhausで買ったほうがいいっておっしゃってました。
ホメオパシーのレメディではPunous spinos:です。開花直前のつぼみから作ります。
いかにも収縮作用のありそうな渋さから連想できますが、突き刺すような神経性の痛みにいいようです。
親和性のあるのはやっぱり腎臓膀胱系や神経系で、神経痛に強い。頭痛、目の痛み、耳の痛み、生殖器の痛みなどに。
週末クライアントさんにケルト遺跡探訪に連れていってもらいました. AltstadtからはU3で9分の終点Hohemarktはバイカーやハイカーがタウナス山に入る起点で、天気のいい週末は人々でごった返します。

そこにベリー類やきのこを摘みに来た人、そして間もなく栗拾いに来る人が混ざり、杖をついた人からフル装備でぶっとばす血の気の多いバイカーまで、老若男女をもれなく収容し満足させてくれるのがタウナス山。偉大です。ところでバイカーのフル装備には日本と違ってちゃんと意味があり、山でのマウンテンバイク事故は後をたたないからで、毎週のように死亡事故の記事が出てます。そしてシリア難民が何人も戦火をくぐりぬけ命をかけてやってきたここドイツで、祖国と似た毒きのこにあたって亡くなったということも。what a life...
Hohemarkは肥沃な土地で、文明の栄える条件がそろったここには城壁の内側に当時1000人くらいが住んでいたと言われ、このあたりでは最大規模のケルト遺跡跡地です。ケルト文化は薬草の知恵の宝庫で、他の多くの文明と同様、統治者はヒーラーでもありました。その後中世になってヒルデガルトフォンビンゲンが独自の研究で薬草学を体系づけ、彼女の生誕900年以上たったいまでもその教えはドイツ人に広く取り入れられています。
私が面白くてしかたないのが、この山に生息する動植物やクオーツたちとの出会い。薬草だけでなく樹木やシダ類、毒草、毒きのこ、何もかもが生きて語りかけてくる。博識のご夫妻が、いかにも私がとびつきそうなメニューを次々考案してはガイドとして連れて行ってくださるのが本当にありがたい。多くはホメオパシーレメディにもなっていて、実物を手にとって人々がどう暮らしに取り入れてきたかを知るのは興奮のひとことにつきる。とても紹介しきれないのですが、この地帯に広がる薬効植物をすこしづつ薬草(Heilpflanzen)のカテゴリーでまとめていこうとおもいます。
今回はSchlehe.英語だとblackthorn、日本語だとスピノサスモモです。

ちょうど今から10月にかけて収穫できるこの野生のプラムは用途が広く、ジュースやエリクシール、ジャム、ドライフルーツにして冬の蓄えにします。それこそ石器時代からこのドライフルーツは冬の間の免疫強化に欠かせないストックでした。紀元前の人々がキャンプファイアしながらこのドライフルーツを食べている様子を想像するのは楽しい。
見た目は硬いブルーベリーのような感じ。食べると渋さが際立っていてあとは酸っぱみが残る。タンニンとビタミンCです。まぁ2、3粒でもう十分と思う味。
ドイツ人は今でも庭や道端、近くの森で狩猟、採取したものを食べる人は珍しくなく、そういうもののレシピも巷にたくさん出回っています。インターネットでもたとえばこのサイトにいろいろ紹介してあるので、ここから一部を紹介します。
Schleheは3月の暖かい日差しを浴びて、アーモンドのような芳香がする白い花をたくさんつけます。民間療法では、この木に咲いた最初の3つの花を食べればその年は病気知らずと言われていました。この免疫を高める物質は現代用語でいうフリーラジカルスカベンジャーで、フラボノイドなどを含みます。熱が出た時発汗を促して、内にこもった熱を放出させて体に新鮮な氣を行き渡らせ、3月から4月にかけて飲む、花びらで作ったお茶は春の血液浄化になります。胃腸、腎臓を活性化し浄化します。セバスティアンクナイプは、Sheleheのことを最も害のない下剤だと書いていたそう。
Schleheの花のお茶
一度沸騰したあと自然に60−70度に冷ましたお湯(でないと有効成分が壊れる)1リットルにたいして、花をひとつかみ入れます。そしてかならず蓋をする。(でないと有効成分が揮発する。)花ごと飲んでしまいます。
薬効:
皮膚病における血液浄化
痛風
リウマチ
腎臓、膀胱のサポート
1日2、3杯を、花が咲いている間じゅう摂り続ける。
tip:
薬局では乾燥したものを売っているので1年じゅう飲める。
長引く風邪などで回復が遅れている場合は、エリクシールをとる。
花のエリクシール
花を2つかみポットにいれ、大さじ2杯のはちみつを加える。3/4リットルのドライホワイトワインを注ぎ、少なくとも1週間日当たりのいいところに置いて毎日振り、はちみつが完全に溶けたら漉す。
1日リキュールグラス一杯とる。
晩夏になった青い実は、石器時代から今日に至るまで免疫系統の保護にあたってきました。タンニン、果酸、ミネラル、ビタミンCを含み、冬の間のビタミン補給になります。(石器時代の集落の焚き火あとで見つかっている。)
ヒルデガルト・フォン・ビンゲン*のPhysica(自然学)から引用:
”温、乾の性質。
胃の不調のある人は、実を炙るか煮るかしてできるだけ食せよ。甘味にははちみつ。痛風持ちはこれで楽になる。種を食べても問題ない。”
*ヒルデガルトについてはいつか取り上げたいと思います。
実はタンニンを多く含みます。アストリンジェントとしての作用があり、出血した歯茎の炎症を鎮めます。この場合は乾燥果実を噛んでしばらく口に含んでいること。
マウスウォッシュ
大さじ2杯の乾燥果実に250mlの熱湯を注ぎ、10分放置。
嘔吐下痢などでひっくりかえった胃腸を乾燥果実が鎮めます。嘔吐下痢などのあとまだ食べられない時、この乾燥果実が食欲を誘導します。
tip:
一度凍らせると渋みが抜け、甘い香りが加わります。
実のジュースとジャムはものすごく薬効がありますが、作るのが面倒くさそうで非現実的とみて翻訳却下。クライアントさんも Reformhausで買ったほうがいいっておっしゃってました。
ホメオパシーのレメディではPunous spinos:です。開花直前のつぼみから作ります。
いかにも収縮作用のありそうな渋さから連想できますが、突き刺すような神経性の痛みにいいようです。
親和性のあるのはやっぱり腎臓膀胱系や神経系で、神経痛に強い。頭痛、目の痛み、耳の痛み、生殖器の痛みなどに。