2016.
03.
12
娘がいよいよ大学受験の準備に入る年齢になって、生まれて初めてお受験ママとしての任務を課されることになりました。大学、専攻、たくさんの選択肢の中からいくつかを絞っていく作業は自分の価値観と向き合う作業。
私自身は女だからということもあり学問を期待されていなかったので親に進路についてどうこう言われたことはなかったし、ましてや受験で世話になったという記憶はさっぱりないので、娘も同様に放っておくつもりでいたらそれはとんでもないらしい。大学の受験会場に親がついていくという話を鼻で笑っていたらそれは全く冗談ではないようで・・・。
自分自身のことを振り返ると、高2で自分が将来どういう方面に進みどんな仕事をしたいかなんて考えなかったし、もし考えてもロルファーなどという職業に行き着かなかったと思います。ロルファーはホメオパス同様、人生における試行錯誤(もっというと挫折)こそが役に立つ職業なので。周りの反対を押し切り見切り発車で飛び出しては見事に穴に落ちて失笑を買いつつも、結果的にたいした傷も受けず生き永らえている、というのが半世紀近く生きた実感です。失敗ってそれほど恐ろしいものではない。
膨大な選択肢のなかで絞っていく作業は、一見気が遠くなるようで実は簡単。二者択一というのを何度かやっていけば自然に答えはクリアになる。
まずは自由か、安全か。
日本で生きるには、間違いなく安全を選ぶ。
より受け入れられやすい
体裁がいい
これがキー。
そこでは、自分が何をしたいのか、ということがあまりポイントにはならない。あなたあっての私、つまり人の評価が自分の価値であり、人にどう見られるか、ということが何よりの関心なので、「xxであれば無難」「とりあえずxx」という、他者の視線を意識した妥協ポイントを無意識に探っている。
社会に出て真っ先に叩き込まれるのが、長いものには巻かれろ、という感覚。
これをずっとずっと訓練しているのが日本の社会。
選択教科では、点数を取れない可能性のある賭けに出るような教科を選択するのは避け、点数をとりやすい教科を選んで高得点をそつなく揃えるのが大事。この点数の影にどんなドラマがあったかというのは選考対象外。結果、自分は本当は何に情熱を感じ何を本当はしたかったのか、というパンドラの箱を、人生の折り返し地点くらいになってふと開けてしまい愕然とする次第。
対する自由(それにまつわる責任)というのが、海外の大学を選ぶときの基準。
海外の大学を選択するなら、それは賭けです。ほとんど孤立無援で、ほとんど前例がなく将来の保証もない世界に行くことになるので、ここから先は日本社会に受け入れてもらえるかわからない人間になってしまう不安を抱えながら、大変な勉強を一人でし続ける強い意志が必要。
我が家は主人も私も日本の大学を卒業後アメリカの大学を卒業した経緯があるので、こういう賭けの恐ろしさも賭け後どうころぶかも実感しました。結果的に、賭けには出るものだと思っています。特に私は典型的日本人のメンタリティをかかえ、不自由な言語含め、負け要素満載で賭けに出ます。周囲に頑張れと言われたことは一度もなく、大抵は常識や前例を掲げて怒られるか反対されるので、萎えるのが嫌で賭けに出ているときは完全に無言で孤立状態を選びます。
結果は、後からついてきます。どう転んでも。最初は信用がないから相手にされませんが、妥協の結果選んだものと、本当にやりたくてやっているものは、アウトプットに次第に歴然とした差が出るものです。私は金銭感覚に欠けていて、こういう話になるとまともな議論ができず精神論に走ってしまうのですが、お金はあとからついてきます。だからこれだけの先行投資をしても生きてこれている。だから私の実感で言えば、金額で何かを断念したことはない。お金が選択肢の一番に来ることも、お金で妥協することもしない。
お金で妥協することはしない、とは言いましたが、無料で奉仕というのは最近とても考えることの一つです。私は今まで学びたいことを学ぶということに自分の貯金のほとんどを費やしてきたので、知識、情報、といった、一般にはタダだと思われるいるものにものすごくお金をつぎ込んできました。だから知識や情報は無料だという一般的感覚で人と接していると、時々ものすごく疲れている自分に気づきます。他の人を助けたいと思ってきたんでしょう、見返りを求めているの、とこのエゴを情けなく思う一方、自分の価値を自分で踏みにじっているようなジレンマ。
セッション回数はともかくも人に触っている時間だけはざっと計算したら5000時間を超えていて、たぶん時間だけをとれば私はそれなりの経験があると言えるようになりました。最近は自分のスタイルもわかってきたし、人が私のセッションをどう評価しているのかもわかってきた。自分にとって最も効果の出るやり方もわかってきたので、かかる時間も初心者のころと比べると半分か3分の1になりました。だから初期の設定と変わらないセッション時間のうち残りの時間はほとんどがロルフィングのプラスアルファ。ここからは、このプラスアルファ分をどう使うのか考えたほうがいいなと感じています。いずれホメオパス、S E,アドバンスロルファーの資格をとった時点で改めて考えます。
と、仕事にはかなり真面目に取り組んでいて、フィジオやヘルス関係は聞けばだいたい即答でなんでも答えるし、娘の症状は一発で治し、仕事以外はいつも勉強してる母の背中を見て育った娘は、こういう母を尊敬しているに違いないと自信満々だったのですが、今回改めて進学や仕事について話しあったときに、
お母さんのようにだけはなりたくない
ということでした。
ちゃんとお金もらいたい
不安定な収入は嫌だ
きちんと信用される職につきたい
きちんとした人になりたい
見事な回答です。私って反面教師だったのね・・・。
私自身は女だからということもあり学問を期待されていなかったので親に進路についてどうこう言われたことはなかったし、ましてや受験で世話になったという記憶はさっぱりないので、娘も同様に放っておくつもりでいたらそれはとんでもないらしい。大学の受験会場に親がついていくという話を鼻で笑っていたらそれは全く冗談ではないようで・・・。
自分自身のことを振り返ると、高2で自分が将来どういう方面に進みどんな仕事をしたいかなんて考えなかったし、もし考えてもロルファーなどという職業に行き着かなかったと思います。ロルファーはホメオパス同様、人生における試行錯誤(もっというと挫折)こそが役に立つ職業なので。周りの反対を押し切り見切り発車で飛び出しては見事に穴に落ちて失笑を買いつつも、結果的にたいした傷も受けず生き永らえている、というのが半世紀近く生きた実感です。失敗ってそれほど恐ろしいものではない。
膨大な選択肢のなかで絞っていく作業は、一見気が遠くなるようで実は簡単。二者択一というのを何度かやっていけば自然に答えはクリアになる。
まずは自由か、安全か。
日本で生きるには、間違いなく安全を選ぶ。
より受け入れられやすい
体裁がいい
これがキー。
そこでは、自分が何をしたいのか、ということがあまりポイントにはならない。あなたあっての私、つまり人の評価が自分の価値であり、人にどう見られるか、ということが何よりの関心なので、「xxであれば無難」「とりあえずxx」という、他者の視線を意識した妥協ポイントを無意識に探っている。
社会に出て真っ先に叩き込まれるのが、長いものには巻かれろ、という感覚。
これをずっとずっと訓練しているのが日本の社会。
選択教科では、点数を取れない可能性のある賭けに出るような教科を選択するのは避け、点数をとりやすい教科を選んで高得点をそつなく揃えるのが大事。この点数の影にどんなドラマがあったかというのは選考対象外。結果、自分は本当は何に情熱を感じ何を本当はしたかったのか、というパンドラの箱を、人生の折り返し地点くらいになってふと開けてしまい愕然とする次第。
対する自由(それにまつわる責任)というのが、海外の大学を選ぶときの基準。
海外の大学を選択するなら、それは賭けです。ほとんど孤立無援で、ほとんど前例がなく将来の保証もない世界に行くことになるので、ここから先は日本社会に受け入れてもらえるかわからない人間になってしまう不安を抱えながら、大変な勉強を一人でし続ける強い意志が必要。
我が家は主人も私も日本の大学を卒業後アメリカの大学を卒業した経緯があるので、こういう賭けの恐ろしさも賭け後どうころぶかも実感しました。結果的に、賭けには出るものだと思っています。特に私は典型的日本人のメンタリティをかかえ、不自由な言語含め、負け要素満載で賭けに出ます。周囲に頑張れと言われたことは一度もなく、大抵は常識や前例を掲げて怒られるか反対されるので、萎えるのが嫌で賭けに出ているときは完全に無言で孤立状態を選びます。
結果は、後からついてきます。どう転んでも。最初は信用がないから相手にされませんが、妥協の結果選んだものと、本当にやりたくてやっているものは、アウトプットに次第に歴然とした差が出るものです。私は金銭感覚に欠けていて、こういう話になるとまともな議論ができず精神論に走ってしまうのですが、お金はあとからついてきます。だからこれだけの先行投資をしても生きてこれている。だから私の実感で言えば、金額で何かを断念したことはない。お金が選択肢の一番に来ることも、お金で妥協することもしない。
お金で妥協することはしない、とは言いましたが、無料で奉仕というのは最近とても考えることの一つです。私は今まで学びたいことを学ぶということに自分の貯金のほとんどを費やしてきたので、知識、情報、といった、一般にはタダだと思われるいるものにものすごくお金をつぎ込んできました。だから知識や情報は無料だという一般的感覚で人と接していると、時々ものすごく疲れている自分に気づきます。他の人を助けたいと思ってきたんでしょう、見返りを求めているの、とこのエゴを情けなく思う一方、自分の価値を自分で踏みにじっているようなジレンマ。
セッション回数はともかくも人に触っている時間だけはざっと計算したら5000時間を超えていて、たぶん時間だけをとれば私はそれなりの経験があると言えるようになりました。最近は自分のスタイルもわかってきたし、人が私のセッションをどう評価しているのかもわかってきた。自分にとって最も効果の出るやり方もわかってきたので、かかる時間も初心者のころと比べると半分か3分の1になりました。だから初期の設定と変わらないセッション時間のうち残りの時間はほとんどがロルフィングのプラスアルファ。ここからは、このプラスアルファ分をどう使うのか考えたほうがいいなと感じています。いずれホメオパス、S E,アドバンスロルファーの資格をとった時点で改めて考えます。
と、仕事にはかなり真面目に取り組んでいて、フィジオやヘルス関係は聞けばだいたい即答でなんでも答えるし、娘の症状は一発で治し、仕事以外はいつも勉強してる母の背中を見て育った娘は、こういう母を尊敬しているに違いないと自信満々だったのですが、今回改めて進学や仕事について話しあったときに、
お母さんのようにだけはなりたくない
ということでした。
ちゃんとお金もらいたい
不安定な収入は嫌だ
きちんと信用される職につきたい
きちんとした人になりたい
見事な回答です。私って反面教師だったのね・・・。
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2016.
03.
06
先日ロルフィングシリーズ7回目を終えられたAさんが今の様子をさらっとシェアしてくださったのですが、7回目後の様子が臨場感に溢れてとても面白かったので、ご本人の了承を得て転載させていただきます。
初回と7回目がすごかった、というのはよくいただく感想で、7回目の後に妙に鼻が利くようになってしまって困ったというのもよくいただく感想なのですが、まずは先入観なしで実感していただきたいです。シリーズのハイライトである7回目のもたらすものは本当に個人差があるので、未知との遭遇をどうぞお楽しみに。
・・・・・・・・・・・・・
孝美さん、こんにちは。
前回、7回目の顔のセッションでは、鼻の中をほじられながら息もしにくいはずなのに、これまでにないくらいの深い呼吸であり得ないくらい気持ちのよい半眠状態を生まれて初めて経験しました!
毎回セッションのあと、孝美さんにどうかと聞かれるのにいつも寝ぼけた状態で反応がイマイチですみません。
毎回、外に出て初めて、そのbefore/ afterに気づくのですが
7回目は特に、凄かったです。
初回の時と7回目が同じくらい凄かったのですが、とにかく全てがリニューアルされた感じで、体も心も鼻も(笑)、自分だけでなく周りの世界まで、まるっとリニューアルされたような不思議な感覚でした。
外に出た途端、緑の匂い、風の匂い、雨の匂いがすごくて。
さらに帰りのUbahnで、何故か周りの人の匂いにこれまでにないくらい敏感になってしまい、気持ち悪くなるくらいでした(笑)
とにかく、7回目は凄かったです!
初回と7回目がすごかった、というのはよくいただく感想で、7回目の後に妙に鼻が利くようになってしまって困ったというのもよくいただく感想なのですが、まずは先入観なしで実感していただきたいです。シリーズのハイライトである7回目のもたらすものは本当に個人差があるので、未知との遭遇をどうぞお楽しみに。
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孝美さん、こんにちは。
前回、7回目の顔のセッションでは、鼻の中をほじられながら息もしにくいはずなのに、これまでにないくらいの深い呼吸であり得ないくらい気持ちのよい半眠状態を生まれて初めて経験しました!
毎回セッションのあと、孝美さんにどうかと聞かれるのにいつも寝ぼけた状態で反応がイマイチですみません。
毎回、外に出て初めて、そのbefore/ afterに気づくのですが
7回目は特に、凄かったです。
初回の時と7回目が同じくらい凄かったのですが、とにかく全てがリニューアルされた感じで、体も心も鼻も(笑)、自分だけでなく周りの世界まで、まるっとリニューアルされたような不思議な感覚でした。
外に出た途端、緑の匂い、風の匂い、雨の匂いがすごくて。
さらに帰りのUbahnで、何故か周りの人の匂いにこれまでにないくらい敏感になってしまい、気持ち悪くなるくらいでした(笑)
とにかく、7回目は凄かったです!