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2017. 02. 28  
トラウマを見つめるのは、
「私」の現実を作り上げるシステムを知る作業。
トラウマ(とらわれ、the other song)を作るのは

エゴ
小我
チッタ
マインド
インナーチャイルド
ウニヒビリ・・

なんでもいいのですが、
ストーリーの中にて、
ストーリーを演じている私が主人公で
その私が自由意志を持って動いていると信じている存在。
本当はその外側には脚本を書いた偉大な作家がいて
私は動かされているだけなのだけど。

泣いたり怒ったり忙しいこの一瞬一瞬は、私のものではない
本当はいくつもあるシネマのスクリーンのひとつにすぎなくて
私もその断片にすぎなくて、
ただ現れて消えていくエネルギーの一形態なのだけど。

そして演じる私はこの感情を私のものと思っているけれど
これはホログラムのように形を変えるエネルギーのひとつで
そのうつろいやすさを楽しめばいい。
演技で罵声、号泣したあと、
ストーリーの天敵と仲良くお弁当を食べ始める役者たちみたいに。

システムがわかってしまっても、
そこにダイブインする楽しみは残ります。
そう、これを繰り返し体験したいのであった。


直接の知り合いではないのですが超ブローのきいた名言を教えてもらいました。

「恋愛の傷は恋愛でしか癒せない。
ダンスの傷はダンスでしか癒せない」


(ダンスの代わりにご自分のトラウマをそこに入れてください)

昔荻野アンナがどこかで書いていたのですが、彼女の友人は新しい彼ができると「仕切り直し」と称して同じ温泉宿に旅行に行くのだそうです。当時、へぇ〜〜と思ったことを覚えています。恋愛って「仕切り直し」するものなんだ。古傷が痛むとか、ジンクスを作るとか、再トラウマ化させる恐怖なんて持たないんだ。

「目には目を、歯には歯を」

コンテキスト違うけれど結局同じこと。

トラウマは同種で上書きする
トラウマは同種で書き換える

へぇぇ〜〜


これうまく成功すればいいのですが、そこに扱いにくい感情と神経組織が関わると「再トラウマ化」というややこしいループに入ります。これをうまく制御可能にもっていったのがSomatic Experiencingというテクニック。

これを学びながら、このトレーニングがあくまでもsomatic experiencing(身体での経験)にこだわっている重要さがよくわかってきました。私たちの傷は同種療法でしか癒えない。これはホメオパシーと同様、真理だと思えます。トラウマの内包するせめぎ合うエネルギーそのものに切り込むのがホメオパシー。the other songが奏でるストーリーをうまくかわしながら、どこまでもどこまでも沈んでいって、その根底にあるテンションを導き出すのがホメオパシー。SEはもっとソフトでもっと表面的、もっとプラクティカル。(意図と波及効果は深いですが。)神経の制御という別のツールを持ってくると、うまく「かわす」ことができるようになる、これを利用するのです。私たちの現実の人生は、「かわす」しくみに精通したほうがうまくいく場合が多い。目が点になるくらい同じところにこだわっていないで、別のツールを利用するのが生きる知恵。これがSEのしくみ。

SEのサバイバルシナリオが出来上がってそれを昨日一足先に卒業した同僚に見せて、この素晴らしい洞察を披露・・というのは嘘で、ほとんどがゴシップに明け暮れた2時間トークで発散しました。
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2017. 02. 26  
春を祝うカーニバルの歓声を聞きながら、ちょっと春めいた気分で一日を過ごしました。火曜日にケルンから帰ってきて、待ち構えた緊急連絡と6日間空けたつけに追われ、そのまま勢いでベルリンを往復して昨晩遅く帰ってきて、まだ荷ほどきも終わらず台所も緊急事態仕様ですが。

今日から事務仕事。辛抱強く待つことを学ばせられる国ですが、自分の利益に関してだけは自分から働きかけないと待っていてもだれも助けてくれないのがこの国。言ってなんぼ。それも厚かましいことを理路整然と主張してなんぼ。議論となるとドイツ人はめっぽう強い。日本人やイギリス人の前だとどうしようもなく失礼な正直さでずけずけものを言うドイツ人に影響受けてると自分の言動に青くなるのに、学習成果を発揮すべき本場では急に気弱な日本人です。限りなく半端な浮遊感・・。

今年はタイトル関係で一旦カタをつけよう、と一挙にトレーニングモードに入り、日本行きは見送るつもりでいたのですが、この間やっぱり間を空けられないと思える方が多くなり、夏も帰ることに決めました。フォローアップの方優先ですが、新規や体験の方も受けつけます。しばらく帰らないよ〜と言った先からいつもより頻繁に帰る運びになり、たぶんこのままいくと今後も定期的にせっせと帰るんだろうなと思えてきました・・・。やっぱり生の声を聞きたいな、やっぱり実際に会いたいな、と思う・・というのは口実で、やっぱり私は日本人で、ますます日本が恋しいんだな、というのがたぶん本音。

外人の語る日本てどうしてこんなに魅力的なんだろう。そしてそこに住む私たち日本人はどうしてこんなに辛いんだろう。いつもこのギャップに戸惑います。辛くならない世界は垣間見ました。でも私はやっぱりまだここを行ったり来たりしたいんだなと思っています。これそのものを楽しみたいんだなと。

セッション期間は6月27日から7月9日まで。

9時半
11時
14時半
16時
17時半
19時


セッション費:15,000円 所要時間約75分

また直傳靈氣講習会を下記日程で行いたいと思います。
今回の滞在期間中には連休がないので、初日は平日金曜日となり、いまさしあたって18時から21時を予定していますが、通常の14:30〜17:30で整いそうであればそちらに戻します。ご希望をお聞かせください。

2017年 直傳靈氣講習会(東京):

前期
6月30日(金)18:00〜21:00(日中への変更可)
7月1日(土) 9:30〜12:30
         14:00〜17:00 
後期
7月2日(日)9:30〜12:30
       14:00〜17:00 
      
受講料 91,800円(税込、テキスト費込み)
再受講 5,400円(税込、一コマ。講習会は前期3コマ後期2コマの5コマから成ります。)


またお顔見せていただけるのを楽しみにしています。
そしてこれからの新しいご縁もとても楽しみにしています。

ひとまずは春の訪れとともに皆様にも新しい風が吹きますように、ドイツから愛を込めて。
2017. 02. 23  
帰ってまいりました。今回は達成感とともに。私は追いつめられると強い。

この1週間、複数の人と普通ではありえないスピードで深く関係し、ありえない展開の目白押しに何かシネマの中にいたような気分です。改めて体感したのが、この世は私の幻想で成り立っている、ということ。

このグループでのトレーニングは今回で3回目ですが、この3回がそのまま、わたしの人生におけるトラウマの成り立ちとその正体の謎解きでした。トラウマは妄想。トラウマは事実とは関係なくて、その事実を私がどう解釈したかの問題。

トラウマは事実とは関係ない。
トラウマを作りやすい人は繊細な人。
そしてトラウマには必ず感情が絡む。

ポージェスのポリヴェーガル理論については項を改めますが、ざっというとポージェスはトラウマの形成と解決に大きく関わっている副交感神経の1つである腹側神経系(ventral nervous system)が人間特有のsocial engagementを司ることに注目し、人間の自律神経系は交感神経、副交感神経という2つだけでなく、交感神経、背側神経系、腹側神経系の3つで成り立つと言った人です。Social engagementをざっと一言でいうと、社交。代表はアイコンタクト。会った時にニコッと笑い、友好関係を築こうとする人間の自然な情動です。

わたしたちには感情があります。この感情がなければトラウマは形成されない。(サイコパスはトラウマを持たない。トラウマによりサイコパスになることはあるかもしれませんが。)social engagementを人格形成時にきちんと結べなかったり、social engagementをしようと差し出した手を払われたり裏切られたりすると、そこで感情が動きます。傷つき、そして、悲しみ、怒り・・・。

この世は私の幻想で成り立っている。トラウマが妄想であるとはわかっているけれど、その妄想を抱くにいたった環境はやっぱりきちんと用意されているのです。これはたぶんわたしが生まれる前に望んだ今世での課題。



私のトラウマ形成はこんな感じでした。

ある思いがけない体験をします。それはとてもとても自分の大事にしている思いを壊される体験。

一回目はショック。

息が止まる、頭が真っ白になる、凍りつく・・etc。

2回目になるとそれに感情が加わります。
失望、怒り、悲しみ。
同時に脳はパターン化を試みます。

「学習」するために。

ああ、こういうことか、と以前の自分の反応を引っ張り出してきてオーバーカプリングします。最初は意味不明だったショックに、色付け、意味付けを行います。

この感情が自分のキャパでは抱えられないものと感じると、体は別の方向のリアクション、つまりディソシエーション、アンダーカプリング、というプロセスに入ります。シャットダウン、記憶喪失。

3回目でしっかりトラウマ。

どうせ私は・・・だ。
何をやっても・・・だ。
やっぱり私は・・・・だ。



人間関係というのは他者によってショックを与えてもらうために築くものなのですが、そしてその他者だとおもっているのも結局は私の投影なのですが、このショックが何度か続くとトラウマは強化されます。

このパターンにはまり込むと、その後起こることを全部どうせ・・何をやっても・・・やっぱり・・から始まる解釈に持っていきます。パターン化は人間の生きる知恵でもあるのですが、この副次物がトラウマボルテックス。人間てめんどくさい。

人の反応を観察していると、だいたい表面に現れる反応というのは2次作用なのです。一次反応は、だいたいにおいてトラウマになっているので封じている。封じて、そしてその真逆にあたる反応で自分を守ります(compensation).

一次作用、2次作用、というのはホメオパシー用語で、要するに個体特有の反応のことで、これはホメオパシーで長く訓練してよくわかるようになったのですが、個人の本来の1次作用が多くの場合トラウマとなっているとわかったのはSEを通してでした。理論ではわかっていたのですが、自分のパターンを人によって見事に暴いてもらい、他の人にそのパターンを繰り返し見るうちに、なんだこういうしくみだったのか、と。

やっぱりきついけれど、わたしは他人と関わりたいんだなとわかりました。関わりたいのは哺乳類の宿命。何かに愛着を持ち、誰かから愛されたいと望むのも哺乳類の宿命。人と関わると、みんな同じところでぐるぐるとやってるなとわかります。個人的だと思っていた問題はたいていの場合、表に出すとああなんだこれね、という感じの簡単さでくくれてしまう。

愛されたい
受け入れてもらいたい

という一次衝動があるとします。
それが裏切られた時

ひとによっては例えば

私は十分じゃない
私は劣っている
私は価値がない
この世から消えたい

あるいは

反社会的衝動(殺人、暴力)
行き場のない衝動(当り散らしたい)


いい悪いじゃないのです。わたしたちが本来もっている衝動をいい悪いという倫理で封じ込めていると、封じ込められた衝動の奥にあるものは泣き続き叫び続けます。

この衝動の奥にあるものは?
この感情の奥にあるものは?

一つ一つ皮をむいていくと、そこに佇むのは、傷ついたちいさな私。愛と承認を求め、無邪気に差し伸べた手を振り払われた(と思い込んだ)泣いている私。


今回、われながら見事だったなと思いました。臆病で引っ込み思案で言語が下手でたぶん何が何だか全然わかってないんだろうなと思われていた日本人が、ぼーっとオブザーブしていたセッションでおもむろに周囲が凍りつくようなコメントを放ち、ブラジリアンミュージックがかかったとたんにいきなりラテンに変貌し、最後には50人近くの前でデモのモデルになる・・ここまで極端に振れる必要はないとおもいつつ、私にとってはこれくらいの分かりやすさが必要だったんだろうとも感じています。スーパーバイザーからあなたはユニークなセッションをすると言われ、ベテランアシスタントリーダーが孝美は素晴らしいセッションをしたと言っていたよ、と後から聞き、クラスメートから君はセラピストになると別人になるんだねと言われ、自分が何を渇望し、なににトリガーされ、どうアクティベートし、どう収束するかを身をもって知った。

前回2回のトレーニングをトラウマの形成に費やしてきて、今回そのからくりと、私の経験はあなたの経験とは違うということ、私の現実は私の妄想からできている、それに気づくと瞬く間に現実が真逆に動き始める、ということを体験しました。こっぱずかしい、というのが正直な感想。私っておめでたい。

本当に追い詰められると人間は変わる。どうせ私は・・・のループで苦しんでいる時は、実は本当は私が悪いとは思っていない。私以外の誰かが悪いと思っている。かわいそうな私を守りたい。そこにいたい私。

この私はむりやり表に出されると、もうどうしようもないパニックになります。泣く、笑う、すがる、思いつくありとあらゆる手段で「私」を守ろうとする。

でもそれでもさらにその「私」を明るみに出す。


結果は

あー、これか。



・・続きはまた。











2017. 02. 14  
気の重いことを控えると逃避行動がはなはだしくなる。

あさってに迫ったSomatic Experiencing Advanced Iのトレーニングを理由に、本来とっくに済んでいなければいけない課題や事務作業を放り出し、すでにアクティベート120パーセントの世界に浸っています。昨年は嘔吐絶食、今年は感情の大波にさらわれ、他のことが全く手につかない状態。理屈はわかっているけれど・・・わかっちゃいるが・・・こういうボルテックスに入り込んだ時というのは、眼が覚めるとバカバカしさに一瞬で眼が醒めるものですが、渦中にいるときには自分ではもう本当に制御がきかない。思えば私たちだれもが多かれ少なかれ妄想のなかで生きています。

思えばセッションに有効だろうと気軽に始めたSEトレーニング。初年度は参加者のアクティベーションに対し、みんな大変だな〜と他人事のように捉えていたのですが、まさか自分がその大変な人になるとは。泣いて泣いて、死にかけて、それらのために大金を払って、なんだかバカみたい。なんのためにやってるの、やめちゃえばいいのに、とよく言われます。やりかけたからあとに引けない意地?資格マニア?いやでもこのトレーニングはセッションにどうしてもやっぱり必要だと知っています。SEの知識と技術がなければ対応できなかったケースがいくつも頭をよぎる。体験主義者です、あくまでも。やっぱりここは腹をくくって飛び込むべし。

つとめて「前向き」な発言をしたら、娘に「お母さんそれ死亡フラグだよ」と言われました。

注)死亡フラグ=アニメなどで、脇役がその言葉を発することにより死亡を予見させるセリフ

例)
  • 俺に任せて、お前らは先に行け
  • 必ず生きて帰ってくるよ
  • 帰ったら結婚しよう
  • 俺、この戦争が終わったら結婚するんだ
  • いつも忙しくて構ってあげられなくてごめんね。帰ったら今度こそ君と一緒にすごすよ

次の投稿では私何書くんでしょう。行って参ります。

「かならず生きて帰ってくるよ。」



2017. 02. 12  
マザーテレサの言葉に感じ入るところがあって
もういちど引用します。
彼女の声を聞きたい・・


人はしばしば
不合理で、非論理的で、自己中心的です。
それでも許しなさい。
 
人にやさしくすると、
人はあなたに何か隠された動機があるはずだ、
と非難するかもしれません。
それでも人にやさしくしなさい。
 
成功をすると、
不実な友と、
本当の敵を得てしまうことでしょう。
それでも成功しなさい。
 
正直で誠実であれば、
人はあなたをだますかもしれません。
それでも正直に誠実でいなさい。
 
歳月を費やして作り上げたものが、
一晩で壊されてしまうことになるかもしれません。
それでも作り続けなさい。
 
心を穏やかにし幸福を見つけると、
妬まれるかもしれません。
それでも幸福でいなさい。
 
今日善い行いをしても、
次の日には忘れられるでしょう。
それでも善を行いを続けなさい。
 
持っている一番いいものを分け与えても、
決して十分ではないでしょう。
それでも一番いいものを分け与えなさい。

・・・・・・・

導いてくれる人を待っていてはいけません。
あなたが人々を導いていくのです。

・・・・・・・・

いかにいい仕事をしたかよりも
どれだけ心を込めたかです。

・・・・・・・

愛されることより
愛することを。
理解されることよりは
理解することを。
私たちは、
成功するために
ここにいるのではありません。
誠実であるために
ここにいるのです。

・・・・・・・

どれだけ多くをほどこしたかではなく、
それをするのに、
どれだけ多くの愛をこめたかです。
大切なのは、
どれだけ多くを与えたかではなく、
それを与えることに、
どれだけ愛をこめたかです。

・・・・・・・

もし貧しい人々が飢え死にするとしたら、
それは神がその人たちを
愛していないからではなく、
あなたが、そして私が
与えなかったからです。

・・・・・・

飽くことなく与え続けてください。
残り物ではいけません。
痛みを感じるまでに、
自分が傷つく程に
与え尽くしてください。

・・・・・

神との契約によって厳しく生き抜いた人。

以下は英語。


God doesn’t require us to succeed; he only requires that you try.

It is not how much we do, but how much love we put in the doing. It is not how much we give, but how much love we put in the giving.

Love is doing small things with great love.

People are often unreasonable and self-centered.
Forgive them anyway.
 
If you are kind, people may accuse you of ulterior motives.
Be kind anyway.
 
If you are successful, you will win some unfaithful friends and some genuine enemies.
Succeed anyway.
 
If you are honest, people may cheat you.
Be honest anyway.
 
What you spend years creating, others could destroy overnight.
Create anyway.
 
If you find serenity and happiness, some may be jealous.
Be happy anyway.
 
The good you do today may be forgotten tomorrow.
Do good anyway.
 
Give the best you have, and it will never be enough.
Give your best anyway.

The hunger for love is much more difficult to remove than the hunger for bread.

The most terrible poverty is loneliness, and the feeling of being unloved.

Do not wait for leaders; do it alone, person to person.

Intense love does not measure, it just gives.

Be faithful in small things because it is in them that your strength lies.

If you judge people, you have no time to love them.

God has not called me to be successful. He has called me to be faithful.

If we have no peace, it is because we have forgotten that we belong to each other.

I have come to realize more and more that the greatest disease and the greatest suffering is to be unwanted, unloved, uncared for, to be shunned by everybody, to be just nobody [to no one].

We can do no great things, only small things with great love.
2017. 02. 10  
いま突然目に飛び込んでいきたこのばおくんの言葉:

01
僕の最大の長所は、
1人では何も出来ないこと。
それを知っていること。
助けてっていえること。

04.

僕は、かまってほしくて泣く。
でも周りに壁を作る。
親に壁を登って来てほしいから。

けど「くるな」って言う。
それは、来てほしいと言うと来てくれないかもしれない、
そう思っているから。

でも、本当は来てくれる。
そういうプライドを捨ててみるとかまってくれる。

壁の向こうから、声をかけてくれる人がいる。
その人達は、ここまで来てくれないけど、
向こうから話しかけてくれる。
親を呼んできてくれる。
そういう人がいると、嬉しい。

「人が泣く理由はかまってほしいから」

あるレメディ状態のことを言っている。あまりにもビビッド。
このリンクを送ってくださって私にばおくんの存在を教えてくれたKさん、本当にありがとうございます。
2017. 02. 06  
私の2月3日の投稿を見てくださった方が、私の一年の計に似た言葉がある、とマザーテレサの言葉を送ってくださいました。こんなに立派じゃない。しかも実は半分寝ながら読み返している途中でフリーズ+投稿、めんどくさいからそのまま寝てしまった、あれ。意味不明な内容なのをこんなに好意的に解釈してくださったさった上に、これが彼女の言葉と合わせて今の心情のドツボにはまった内容だったので、これはきいた・・。

私がセッションの時にいつも眺めている直傳靈氣の五戒の最後の言葉
「人に親切に」

「人に親切に」は信念なのでやりますが、
傷つくのはどうしても繰り返す。
期待しない、依存しない、
これは自分がしたいからだ、
宇宙との契約だ、
と理性で説き伏せますが
毎回毎回見事に丸腰なので
思いがけないブローを食った時の打撃には
毎回耐えられない思いをします。
学びたくないんだろうな・・
学ばないでいたいな・・
と思っていたところだったので
このタイミングにびっくりしました。


1日の終わりにこの言葉をかけてくださった彼女に
「五戒に全てが入ってますね」と
いつもは私が偉そうに言っていることを言っていただき
ぽんと肩と叩いていただきました。
こういう時、セレンディピティーの恩恵にあずかった、
ととても嬉しくなります。

つなげてくださってありがとう。
今晩はいい夢が見れそう。


以下がマザーテレサの言葉:
よく知っている言葉ですが、本当にタイムリー。




人は不合理で非論理で利己的です。



気にすることなく人を愛しなさい。



あなたが親切であれば、
人々はよからぬ思いを秘めて
あなたを非難するかもしれません。


気にすることなく、親切であり続けなさい。



あなたが正直で誠実であれば、
あなたを騙そうとする人が現れるでしょう。


気にすることなく正直で誠実であり続けなさい。



あなたが幸せを見つけたら、人々が嫉妬
するかもしれません。


気にすることなく、幸せでいなさい。



あなたが善い行いをしても、おそらく
次の日には忘れられるでしょう。


気にすることなく、善を行いを続けなさい。



あなたの中の最良のものを世に与え続けなさい。



蹴り返されるかもしれませんが、
気にすることなく、最良のものを与え続けなさい。


なぜなら、結局のところそれはあなたと神様の間だけのことなのです。



あなたと周りの人の間とは全く無関係なのです。


ジャコメッティの素描の、巨人の前に佇む人のポスターを壁にかけてこれも毎日見てるのですが、これも同じ。

周りの人間とじゃなくて、神と比べなさい、
神との契約を思い出しなさい、
というメッセージ。

一瞬一瞬思い出さないと、すぐまた見失いますね。
2017. 02. 05  
先日Sebastian Matthiasが博士課程の一環として作ったコンテンポラリーダンスの作品groove spaceがフランクフルトのMousontormで3日間だけ公演されて、そこに行ってきました。10代から海外で活躍する寺山春美さんが出演してらっしゃいます。目が印象的な彼女。踊ると妖精みたい。2012年にローザンヌで優勝した菅井円加さんを連想する、踊るのが大好き、楽しい!というオーラを放っていて、なんだか直視するのが眩しいくらいでした。あれは男性にとっては悩殺の目力。ヨーロッパで活躍する日本人は日本人ぽいところが強みになるのですが、彼女はそうではなくて、日本語話さないかぎり日本人とわからないところが印象的でした。

これは面白かった。いや何を観てもいつも面白いのですが、この作品にはなにかとりわけ個人的な反応をしてしまった・・・。

振付家のセバスティアンのこの作品は、いままでのところスイス、ドイツ、日本で上演されてきたのですが、面白いのはこれが観客とダンサーの間に境界線を設けない、観客参加型の作品だということ。いまこういう形態の作品が多いようで、私たちの共通の関心が照らし出されているよう。おもむろにストリートでパフォーマンスを始めたら、群衆がだんだん集まってなにか大きな盛り上がり方をすることがありますが、それを毎回インプロでやっているみたいな感じです。群集心理、対人間関係での境界線の問題、人とつながり、関わり、離れる、というプロセス、こういった心理的テーマがクリアにあぶり出されていて、みごとだなと思いました。

8時開演のチケットを持ってドアの前に待っていたら、8時を過ぎてもドアが開かない。だんだん時計が気になりだし、腕時計をチラチラみながら、泳ぐ目でまわりを見渡す。以前ダルムシュタットまで2時間かけて行った公演で、入り口がよくわからず間違った入り口の前で待っていてしまい、開演後違ったとわかっても正しい入り口がわからず劇場を走り回った挙句、やっと辿り着いたドアの前で警察官みたいな係員に事情を説明し泣き落としをかけたのに絶対ダメ!と門前払いを食わされ、惨めに帰った悪夢が蘇る。15分経ったところでもう不安がピークに達し、2階から人がだーっと降りてきた時、あっちだったかと人の波に逆らい心拍数危険区域のスピードで階段を駆け上がり、いつまでも階段の中盤でたむろしている人にイライラと目線を送って別の入り口にたどり着くと、中ががらんどう。一体全体どうなっているんだろう????

とぼとぼ階段を下りながら、不安で不安で、ふと隣の目立つ感じの女性にチケットみせながら声をかける。「このチケットの公演を待ってらっしゃいます??」「ええ」「もう時間過ぎてますよね」「ええ、たぶんこれもその舞台の一つなんでしょうね」「はあ?」

観客参加型とは聞いてけれど、ダンサーがいないじゃないの。

他の人たちは連れ立って来ているから楽しそうに団欒していて、私のような浮いた感じがない。ぽつねんと立つわたし。身寄りがない。心細くて惨め。周りをチラチラみていたら、となりに立っていた見栄えのいい男性が笑いかけてきた。その視線が場にそぐわず妙に親密に感じてとっさにガンメで返し、目をそらす。

みると、入り口の前の床に、2人の男性が裏紙を一枚一枚丁寧に並べ始めている。シュレッダーにかける前の、事務的な資料。これ読めってこと?でも裏返しだから読めないし。覗きこみに行って意味がないとわかり、しばらくそのふたりの注意深くてでも無意味な作業をぼーっと眺める。この2人の作業によって床に3m x 4mくらいの白い長方形ができたところでやっとドアがあいて、ホッとして中に入る。

ホッとしてなかに入ったら、暗い部屋に白色蛍光灯が不安な色を灯す無機質な空間。

え、ダンサーは?

展示場なんだろうか。椅子もないし、舞台もない。しかたなくうろうろ歩き回って探索して、私どこに立てばいいの、どこにいればいいの、と自分のコージーコーナーが決めきれずうろうろしていたら、変なぶっぶっという音がするのでふと顔を向けると、なにか座って蛍光灯をいじって音を出している人がいる。ああ、スタッフか。機材の調整?それにしてもいつになったら始まるんだろう。

暗いから自分の最高に不機嫌な顔を人に見られる心配もないのをいいことに、ムッとした顔のままその人をじっと見つめる。片付ける様子もない。なにかだんだん演奏をしているような気がしてきた。定期的なリズム。あ、この人演奏しているのか。それにしても地味で変わった音源。

展示場を見て回る人たちがうろうろと動き回るなか、ある一定の動きをしている人がだんだん目に入ってきた。あ、群衆のなかに紛れていたのね!と今更わかった。

最初トラウマ的記憶や苦手な状況で心理状態マックス悪かった私としては、席もなく、妙にダンサーが近いところに来て笑いかけられたりしてしまったりすると居心地の悪さが増し、身の置き所がなくてもう逃げ出したい衝動にかられました。でも出口が閉まっている。

一見無秩序ななかで、だんだんと揃った動きが起こり始める。観客の私はどこまで参加していいのか途方にくれる。下手に動いたら他の観客の邪魔になるし。同じくダンサーたちにインプロを仕掛けられる観客たちが照れたような笑いとぎこちない動きを返している。ダンサーたちが「西巣鴨」を連呼しながらラップをし始める。え、西巣鴨???明らかに日本語。彼ら日本に何度も行って、日本のものをかなり作品に取り入れている。

地味だと思っていた蛍光灯の音が、いつの間にか大音量になっていて、アフリカの太鼓を彷彿させる地響きのするリズムを刻んでいる。私この音好き!!!五臓六腑に響いて、ガンガンに動き出したい。しかしここで踊っていいのはダンサーだけのはず。本来だったらめちゃくちゃ身体を動かしたいはずのリズムで踊れないくやしさを小刻みな足踏みでがまんして、でもなんだか顔は笑顔になっている。今日は笑わないと決めたのに。

そうこうしているうちに観客も巻き込んだ紙吹雪での雪合戦が始まり、最初は離れて立って紙吹雪をうけないようにしていた私も、後ろからざーっとかけられて鎧を下ろしました。もういっか。

しまっていたドアがあいて、待っているときに失礼な感じで私の足元の床ぶきをしていた掃除夫(いや彼もスタッフ・・)が入ってきて紙吹雪をモップで掃除し出す。それに続いて、たくさんのモップとちりとり参上。え、これで掃除しろって?床を掃除しないと次のステージ始められないわよね。もしこれで終わりだとしても、掃除は必要だろう。

日本人の性で、労働となるといきなり参加を始める私。タスクオリエンテッドなんだなー、居場所がないとき、労働の機会があるのは救い、と自分の性格を分析しつつ勤勉にモップを動かしながらふと横を見ると、器用にちりとりを扱っているのも日本人女性だった。あとで聞いたのですが、日本でこの掃除場面では女性しか参加しなかった回があって、めちゃくちゃダンサーの不評を買ったとのこと。

そうこうしていたら、ダンサーがひとり、またひとりと観客を誘って外に出る。私も仕事を終えてついていったら、私たちを上から写していた映像が、最初に床に作った裏紙のスクリーンに映し出されていた。私が必死に床を掃除している様子もばっちり・・・もう嫌・・・

さらに驚いたのが、入り口で私に笑いかけた人が振付家のセバスティアンで、私が話しかけたのもスタッフだったということ。最後に彼らとのトークがあってそこで知りました。

彼らによると、この着想は渋谷交差点から来たということ。日本人があの一瞬無秩序に見える交差点で、どうやって優雅に身を交わし合って短時間に目的地にたどり着くかをずいぶん研究したとのこと。

思わず返してしまいました。渋谷交差点って、最も人がアグレッシブになる場所の一つだと思うんですけど。日本人てお行儀いいし人に気を使うけれど、匿名になった途端に嫌な人になる民族。駅、電車、渋谷交差点というのは私にとっては匿名の場所。こういう親密な作品の題材に使うなんて全く似つかわしくないから、面白い。

ヨーロッパにいてよく思うのが、レディファーストが徹底しているところ。人と人がかちあった時、かならず譲る動作をするくせがついているところ。ドイツ人の車の運転のマナーの良さとも通じる。日本人は違う。かちあった時、かならず自分が優位な場所をより早く取りに行く。ディフェンスを抜く作業が日本人得意なのは人ごみで練習してきているからかも。


ということで、笑えるくらい見事に短時間で心理操作されました。娘にもよく言われますがばかみたいに簡単に機嫌が変わる。私はどういう状況でアクティベートされ、どうやってグループから疎外され、どうやってグループに入り、どうやって人と繋がり、どうやって離れようとするか。大金を払って何年もアカデミックな形で関わってきたけれど、こうやって一瞬で気づかせてしまう技術がダンスにはある。すごい。

面白かったのは、こうやって観客とダンサーの間に境界がないことで、毎回完全にインプロになるということ。だって観客が毎回どこに立つか全く予想できない。私が行った時はたまたま部屋の真ん中に立つ観客が多く、ダンサーたちが踊る十分なスペースがなかった状態で、いきおいあちこちに分かれて踊る羽目に。こうなると息を合わせるのはこれもインプロの蛍光灯の音と、観客という障害物を越えた、それぞれのコネクトの意識。これはすごいなーと思いました。人間を間に挟んだ状態でのコネクト。こんな風に観客がばりばり障害物になるときや、逆にすべての人が壁にはりついて全くパフォーマンスを傍観しているだけのときもあり、毎回のダイナミズムがダンサーたちにとってもとても面白いものなのだそうです。

ところで、特記事項。あの独特のリズム感で躍動させてもらい、めちゃくちゃファンになったあの蛍光灯(OPTRONという)の人、最後にお話しすることができたのですが、なんと日本人でした!!!!存じ上げなかったのですがこの形態の演奏の生みの親でいまや世界中で活躍中の伊東篤宏さん。勝手にアメリカ人と思いこんでいたので、日本語を喋り出した時には卒倒しそうになりました。地味な操作をしてるなと思ってるうちにいつのまにか観客とダンサーを根こそぎ抱えてもっていくような場を作り出してしまった彼、この音のセンスとリズム感てすごい。しかも彼がまとめているのに本人ご自身は最後まで俺は放っておいてくれ的オーラを醸し出し続けるあの徹底した感じがいい。いや日本人のこういうところ、いいですね。ホームページいただいて拝見させて頂いたら、肩書きはOPTRON プレイヤー、美術家。ってミュージシャンじゃなかったの!

ご本人は、ミュージシャンと呼ばれることに抵抗があり、ダンスとのコラボレーションでしっくりきたのは数回しかないとのこと。じゃああれは本領発揮の舞台ではなかったのか。OPTRONプレイヤーという、一般人にはまずすぐに思い浮かばない肩書きで通し、(でそれで通るようになった)もしそれを説明するとしても自分はミュージシャンではなく美術家である、というなにか頑とした美意識がやっぱり非凡だと思いました。私自身もどこにも収まりきらない自覚があるのですが、こんな風に貫けるか・・・考えさせられました。いまでも十分ご活躍ですが、これからのますますのご活躍をお祈りします。

とても面白い体験だったので思わず微に入り細に渡り描写してしまいました。ネタバレ・・・・?一抹の不安・・・
2017. 02. 04  
最近のヨーロッパトレーニングには毎回日本人参加者が混じるようになってきて、その中には私のところで10シリーズを終えた方やミュンヘンから足を伸ばしてここまで会いに来てくださる方がいらして、私も何かつい子供を小学校に送り込んだ親みたいな気持ちになってしまい(子離れが課題)、トレーニングが始まるとプロセスを一緒に体験しているかのようにいちいち一喜一憂してしまっています。大丈夫だってば!!と300万回くらい繰り返しながら励ましている自分をはっと振り返ると、ああわたしもこうやってジタバタしてたなぁ、そのたびにいらんことを心配してどうするみたいなことを散々いわれ、散々慰められてきたなぁ、と遠い目になります。こんなに上から目線でいろいろ言うようになった、と感無量。

まもなくミュンヘンでのトレーニングフェイズ3に進むマイコさんが、基本ご自分のための忘備録、としてブログを始められたので紹介させていただきます。わたしのことを書いてくださった記事もありますのでどうぞ訪れてみてください。

それにしても、わたしいい加減なこというなぁと、後から青くなる。何が怖いって、孝美さんにこういうこといわれたと誰かから後で言われること。血の気が引く。基本セッション中の言葉は、ほとんどの場合において本人覚えていないのです。(したがって責任を負いかねる、みたいな無責任・・)私ができることというのは、とにかくその空間を共有すること、これから起こることを見守れるように100パーセントそこにいる、ということだけで、起こしているのは私じゃない、つまり話しているのは私じゃない、みたいな感覚があり。

まもなくミュンヘン入りするマイコさん。私も同時期にSEでケルンに赴き、きっとお互いズタボロになりながらもなんだかんだと泳ぎきるでしょうから、励まし合うのを楽しみにしています。マイコさん、お互い頑張りましょうね!!
2017. 02. 04  
Session 10

<セッション前>
前夜は思った通りS10へ向けての緊張(?)で、目が冴える。パッキングもせず、逃げまくりで、夜中2時頃ベッドへもぐる。もぐった 瞬間に、あ、もっと早くもぐればよかった(笑)と思う。ベッドのあったかさは最高。 そして4時にアラームが鳴る。ね、ねむい。雀も鳩も烏もまだ寝てるのに、、、。 暗い、雨降り、寒い、大荷物、超走る、身体も重い、 あ"あ"あ"。電車に乗り込み、座ったまま、フテ寝。パンをかじる、またフテ寝。

オーバーウアゼルに着く。お気に入りのタイ料理屋さんで、期待通り(超えの)の激辛とりそぼろ料理炒めを食べ、その他もろもろ どーでも良くなる。嗚呼、カプサイシン。唐辛子っていいね。辛いし塩っぱいしタンは絡むし、ジンジャーティーは熱いし辛いし(な んでラッシーにしなかったのか私)、おなかパンパンで、タイ人のママさん達とニコニコミラーし合いながら、いつものカフェへ。

カフェに着くなり、荷物が邪魔してドアを開けるだけの事にどたばたしていると、忙しく豆を炒っている店長(?)がささっとドアを開 けてくれる。日替わりコーヒーのUgandaにすっかり癒される。苦みと酸味が丁度良く調和されている。メモ帳にセッション前の状態 をちまちまと書き始める。文字が前よりととのってきたかなと思う。しかし、書きながらふとしたキッカケで、たちまちぐにゃりとし てくる。これがトラウマにアクセスするという事なのかしら??なるべく読みにくいようにしたいのかしら私??ほんと、書きながら 5分前と文字が違うからビックリする。情緒不安定とはちょっと違う気がするが、不安定な状態で感じている事だから、これこそ情緒 不安定の醍醐味なのか??スケジュール詰め込みすぎで、気をはっているだけか??

ふと気がつくと、近くにいるフランス人のおばさま2人が微笑んでいる。目線の先は、忙しくコーヒー豆を炒る店長と炒られてゆく豆 たち。ふと私も微笑みに"帰る"。なんとなくそれもおばさま2人に伝わったらしい。で、2人も2人のあいだで、微笑む。ふむふ む、ここに来る人達は、店内で淡々と豆が炒られてゆく日常が、何とも素敵な非日常でもあり、ここが好きなのかしら~と思う。

<セッション中>
ラストセッションだ、という意識が強いせいか、始めのS1からの身体感覚の記憶とそれに伴った心の記憶が逐一蘇ってくる。 あ、S1では霊化して(その後"霊化"と名付け)、カーテンと同じくらい半透明の気分だったな、とか、脇の下がピザ生地のように伸 びた事もあったな、とか、まるで掃除機のような手におなかを吸い上げられた事もあったな、とか、(注:あくまでも、これらは私の 身体感覚を表すための個人的な表現である。) 走馬灯のように蘇ってくる。 右肩はさいごまで"最後の砦"として存在しているらしい。4回脱臼したしね。 色々あった道のりがいよいよ終わっちゃうのかぁ、と思う。が、不安な感じはしない。

おじぎについて。以前、セッション2の際に、バフバフと何回もおじぎをするという行為は、相手への敬意、畏怖、自己テリトリーの 確保が転じて、無意識に押し相撲をしているのではないだろうか、と書いたが、では、有難すぎてどうしようもなくて、頭を垂れざる を得ない時はどうなのか?エネルギーは高い所から低い所へと落ちる。もしや、"私めをお清め下さいませ"なのか??御利益下さ い?どうか外から別のエネルギーで洗い流してくださいという感じか?滝効果?!ばくぜんとした敬意と畏怖を感じさせる相手、その 相手からのエネルギーを自分にも流してみよう=流してもらったら、自分も相手と同じにレベルになれる=じゃあ、もう怖くないじゃ ん。という事なのか??若干、想像膨らまし過ぎだとは思うが。(笑) ただ、"おじぎ"という行為は日本人特有の事ではないような気もする。普段おじぎをするような間柄ではない外国人の知り合いに、 何となしにおじぎしたくなって、しっかりとおじぎしたことがあるのだが、何となしに向こうもそれがしっくりきたようで、ほぼ同時 にしっかりとおじぎを返してくれた。そしてそれは、見よう見まねの「ドウモアリガット~」では全くなかった。単なるミラーという 感じでもなかった。 結局のところ、お互いが通じ合う、という事がみそなのか。通じ合わないもんだから半永久的にバフバフしてしまうのか。

<セッション直後>
胸が開く。肩関節につながる部分の大胸筋がしかるべき所(私自身がそう感じる所)にスタンバイしてくれている。嬉しい。 そう、私は長い間"ここ"に身体をもって行きたかった(在りたかった)、やっとここに来れた、という感覚。 すっきりして、違和感無し。気持ちも心地も良い。心身共に納得。

長い道のりが完結したと同時に、やっとスタート地点に立てた気分。
すがすがしく且つわくわく。とにかく、私の身体が私と共に私で居ることが楽である。しっくりきている。
達成感ハンパなく、ここに来るまでの道のりを見守ってくれた孝美さんには、只ただ感謝の気持ちが湧き出るのと、これからの日々がとても楽しみでしょうがない。

S10.jpeg
2017. 02. 04  
Session 9
<セッション前> 色々と予定が重なり、セッション8と9の間が約2ヶ月あいた。久々のセッションなので、何となく日記を読み返していると、随分と昔の事の よう。え、自分ってこんな事書いてたんだ?!と少々おどろきつつ当時を思い出す。
今回も前回同様ベルリンでセッションを受ける。

<セッション中>
ダンスパフォーマンス直後だったため、脚、キテますね、という言葉は自分的にもピッタリだ。 脚の容態はさておき、私の雰囲気がいつもと違うらしい。エネルギーは回してなんぼなんです、という孝美さんの言葉を聞き、なるほど、パ フォーマンスが在ったばかりだ、と思う。ちまたで言われる、あの人は存在感がある、オーラがすごい、威厳がない、今日いつもとちがうね、 等というのは、その人のエネルギーがその人の中で回っているのかいないのか、どのように回っているのかいないのか、という事を人は無意識 に感じとる、という事なのだろうか。川は流れているから川なのであって、止まったら淀み名称も変わる。

今日はどこをなぞられても痛い。すね、ふくらはぎ、悶絶。前もも、内もも、外もも、悶絶。右肩奥のスジ、悶絶。肘下の小指側の肉、悶絶。 悶絶だがその後には解放がまってる~と思い頑張る。特に右肩奥のスジを、にゅーっと、ささっと、解体されてる時は、本当に取れそうな感じ がしたが、まあ、そんな事はない、とゆだねてみる。やはり大丈夫(笑)。左肩もたいがい痛かったが取れそうではなかった。

今回のだいこんは(セッション2参照)、噴水のイメージがババッと浮かんだ。命の源の噴水。 仙骨の下に手が来ると、じわじわと仙骨まわりの肉やスジが溶けていくような気がした。

<セッション直後>
上半身(とくに肩)解放で、うっきうっきしながら帰る。とにかく気分爽快。はぁ~ブリーズイン、ブリーズアウト!秋晴れも手伝ってか、るん るん!と口から出てきそう。そんなこと言いながら電車に乗るのも難なので、お家まで我慢する。

<セッション後翌日以降>
とにかく「ポジティブさん」になる。誰が来ようが何が来ようが、さあどうします?どうもしません!俗にいう「私は私、人は人」が、しっか りと行われている。「我関せず」という意味ではない。「私は私」でいることを"分っている自分"を見ている自分がいるので、「我関せられ る」=可能。それは私にとってとても心地よく、いい感じである。とにかくニコニコが内側から顔面を通して湧き出てくる。
このままニコニコでS10に突入かと思っていたのに、そうは問屋が卸さないらしい。ハイテンション、うつ感、パズルゲーム(メディテーション モード)、思い出しニコり、思い出しイカり、どうでもいー、ふふふ、必殺トラウマびらき、駆け込まれ寺、宿題からの逃避、イライラ、はき はき、どろどろ、、、いろんなものを蒸し返す日々。え~もう散々やったじゃん!終えたじゃん!とも思えるのに、何だろう、最後のあがきと いうか、振り幅の再確認?私どうなっちゃうのかしらという感じで、自分がキモチわるい~。やだ~もう~。何これ~?


2017. 02. 04  
卒業からすでにだいぶ経ち、いまやすっかり羽ばたいたYSさんから、のこりの日記を送っていただきました。ちょうど今日も別の連絡いただいて、いま現在のライブ感満載の様子をオンタイムでお伝えできないのがめちゃくちゃ残念!!

セッション8でめちゃくちゃ落ちたYSさん。非公開用の日記に生々しく描かれた落ち込みようは、彼女のプライバシーを尊重して公開用にまとめていただきました。ここまで書いてくださったYSさん、本当にありがとうございました。やっぱり感性の部分で抜きん出ていて、彼女の表現や彼女が気になるところって私にとってもドツボなので、本当に毎回楽しませていただきました。いまもフォローアップに来てくださるのでこれからも長い付き合いになると思いますが、末長く見守っていきたいと思います。ひとまず完結したYSさんと彼女の未来に拍手!!!!

Session 8
<セッション前> セッション7から8にかけては、公私ともに予定が詰め込まれた(アクシデントも含み)怒濤の2,5週間であった。 既に情報処理がパンク状態の自分を感じると同時に、一つ一つ処理して行くしか無いと腰を据えた超冷静な自分を感じていた。 セッションに向かうにしても、ではでは行ってきますか、という感じ。
<セッション中> 私にとって"着地"が現在のテーマであると感じる、と伝えると、ではその方向で行きましょうという事で、それに沿ってセッションは進んだ。 とちゅう途中で、昔の好きな記憶や、嫌な記憶がぽつりぽつりと口を次いだ。どちらの記憶にせよ、今となっては面白おかしく語れるものばか りである。記憶を歩き回るにつれ、自分自身の傾向やパターンが見えてくる。 今回は現在の身体の感覚に集中するというよりかは、過去のメモリーに集中したいらしい自分に気づく。

<セッション直後> 単刀直入に言って、とても気分が良い。

<セッション後翌日以降> 何を行うにおいても、頭がおもい。これは一体何だ、思考?ストレス?長い髪の毛?自己完結すらできず、もんもんとする日々。 この状態で、日本に一時帰省する。いつもの場所、初めての場所、素敵な人々、日本らしい行事に遭遇する。 一つ気がついた事は、普段より若干感情的になっている自分。オリンピック中継をテレビで見る事が、目から水滴が落ちるのには十分すぎる理 由である。 なんとなく、常に気分が落ち込んでいる気がした。落ち込みの中で喜びの瞬間が見受けられるような、喜びの中で落ち込みの瞬間が見受けられ るような、2 in 1 コンディション。私の外側は、天気がよい夏の日々である。
2017. 02. 03  
連日の雨。朝シャッターを開けてどんよりした雨雲を見るとそれだけで憂鬱になる。友達が昨日「放っておくと1日閉じこもって机に張り付いてるんでしょ!」と有無を言わさず私を連れ出し、まだぐしょぐしょの雪が積もるタウナス山を「ちょっと」登ってきました。1時間コースだと自信満々の彼女を信じてちょっとついて行ったつもりが雪で凍った獣道を這いつくばりお尻ですべる羽目に陥り、気がつくと汗だくの2時間コース。今年の決意ちゃんと宣言してなかった、とお互いが証人になって改めて決意表明。節入りが2月4日の明日だから、まだギリギリ間に合いました。

今年の丁酉がどういう意味を持つのかよくわからないのですが、安全をとって規定路線を行くか、腹をくくってそれを捨てて清水の舞台から飛び降りるかを選ぶ年のような気がします。今年は今までのやり方を変えざるをえない、いや、変えると決める勇気を持つ年。

2月  Somatic Experiencing Advanced I
3月-4月  Sharon Wheeler Art of Rolfing
      Sharon Wheeler Bone Work
7月−8月 Rolfing Advanced Training
8月 Somatic Experiencing Advanced II

そして、この間School of Homeopathyを卒業する。もう臨床も終え、あとは出すものを出すだけ。

日本では知られていない処方に対して、私を信じて体を預けてくださった方、本当にありがとうございました。いまはまだ全員が卒業していない状況なので詳しくは言えませんが、ここまでやってきたことは全部無駄になってなかったんだな、無駄はひとつもなかった・・と感じたのがしみじみ嬉しかったです。いまのこの知識とあの経験がなければこのケースは扱えなかった、もっというとあの経験をした私でないと扱えなかった、と感じた瞬間がいくつかあって、なんだかセラピスト冥利につきる、こういうことやりたかったんだなと思いました。30年選手のホメオパスであり教鞭にたつスーパバイザーをもってして私の経験でも最も難しいケースの一つだった、と言わせたケースが治癒したケースは最も嬉しかった。報告を聞きながら、レメディが働いて自己治癒力が渾身の仕事をしはじめたのを手に汗を握りながら見守るときの感動は、もう感無量としか言いようがないです。ロルフィングで見守っている様子とはスケールの違うものが動く。

今年は、有無を言わさずという形で、私のセッションのスタイルはだいぶ変わると思います。なんとなく感じてはいましたが、たぶんロルフィングや直傳靈氣やホメオパシーやSEやヨガが全部フュージョンになったものみたいです。お互いが相補的なので、ロルフィングのセッションに他のエッセンスも必ず入っている。そして、いままではやらなかった形でのアウトプットをする機会が増えると思います。

気の重いSEのトレーニングのあとにシャロンと8日間一緒にいられるというのはいま一番気持ちが浮き立っていること。とくにArt of Rolfingというのは参加者6人限定で彼女を独占する3日間で、彼女にロルフィングの真髄を教えてもらえる期待に胸が膨らみます。ボディリーディングを人に教えられなかったというアイダ。そうか、あなたも要するに自分のやってることを人に説明できなかったのか。そのアイダのもっとも近い弟子として、彼女の息吹をもっとも感じさせるシャロンからどれだけ引き出せるだろう、と期待ばかり膨らむ。

今年の夏は日本には行かないつもりだったのですが、現在ホメオパシーや10シリーズ途中の方とやっぱりどうしてもお会いする必要があるとわかり、6月下旬から2週間ほど帰る方向で進めています。アナウンスはまた改めてさせていただきますね。

あ、肝心の今年の決意表明。

感情を生きる「私」をあえてもう一度体験してみる
そこで「私」がどう生きてきたかをもう一度見てみる
そして、もういちどつながる
そして本当は離れていなかったことを体験する

書こうとするとやっぱりよくわからない表現。
具体的に言ってみます。

また傷つくのはいやだから、心を開かないでおこう、
期待するとまた失望させられるから、
期待をしないでおこう、
なにも望まないでおこう
不安に思うのはいけないことだ
怒るのはいけないことだ
だからいつも前向きで、おおらかでいよう

というパターンの中の
傷つく、失望、不安、怒り
から、いい悪いをとりのぞいてみる。

本来こういう感情にいい悪いはなかった。
感情や、私たちが目を背けたいネガティブな想いは
ただそこにあるだけだった。


こうやって、「私」がどうやって形成されて、
どうやって維持しているか
をまじまじ観察する、というもの。



ホメオパシーを扱っていると、私たちに共通する「私」の思い込みが見えてきます。

本来、毒虫や猛獣や毒草は、自分のやったことに罪の意識や恥の意識、善悪をつけない。
たとえばハイエナは餌を横取りすることを下劣だと思ってもいないし、罪悪感をもたない。
兄弟から押しのけられていちばん出の悪いおっぱいしかもらえないこぶたは、このポジションにいる自分はみんなより劣っていると卑下したり、こんなことをしている自分は無価値だとか思わない。
毒草は自分の外見が下品だとは思っていないし、毒が悪いものだとも思っていない。

これらの現象は起こるだけ。ただそこにあるだけ。

彼らの歌をうたう私たちは、でも、起こるに任せるということができないのです。感情を「私」のものとして体験するから。
「私の」悲しみ、「私の」怒り。怒りそのものに意味はない。いい悪いはない。それなのに、「私」のフィルターを通すととたんに刷り込みと思い込みのパターンがごっそりくっついた「私」の解釈になります。

レメディの奏でる歌を聴きながら、自分の人生を振り返りながら、ああ、私おめでたい舞台にいたな、としみじみ感じました。でもスクリーンの中に入ってみたかったんだな、感情になってみたかったんだな、とわかります。本当は演じている「私」は見ている私でもあったのだけど。

ホメオパシーを通して知ったこと、おいおい書いていきます。

では明日の節入り前に、改めて今年の決意表明でした。

プロフィール

rolfertakami

Author:rolfertakami
鎌田孝美(Takami Kamata)

http://www.takamirolfing.com

・・・・・・・・
ヨーロッパロルフィング協会に所属する、
ヨーロッパで第2号の日本人ロルファーです。
英国スクールオブホメオパシー
アドバンスプラクティショナーコースに在籍し
現在臨床を行っています。

・・・・・・・・

内側に深くしまいこんだこだわりを、抱きとめ、見つめ、解放し、
かわりに内側で眠る可能性に光を与える。
身体が目覚め、失ったものを取り戻していく過程を
みなさまと楽しんでいきたいです。

・・・・・・・・

・ヨーロッパロルフィング協会認定
公式ロルファー
・同ロルフムーブメントプラクティショナー
・直傳靈氣師範
・全米ヨガアライアンス認定
ヨガインストラクター
・陰ヨガインストラクター
・ソースポイントセラピー認定施術者

・・・・・・・・

<セッションのお申し込み&お問い合わせ>

rolfertakami@gmail.com


・・・・・・・・・
2017年夏 東京セッション
6月27日(火)〜7月9日(日)


2017年 直傳靈氣講習会(東京):

前期6月30日(金)18:00〜21:00(日中への変更可)
  7月1日(土) 9:30〜12:30
       14:00〜17:00 
後期7月2日(日)9:30〜12:30
       14:00〜17:00 
      

直傳靈氣交流会(フランクフルト)

3月11日(土)16:00〜18:00


直傳靈氣交流会(東京)
7月9日(日) (予定)

参加お申し込みを受け付けております。
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Profile:

Takami Kamata

Certified Rolfer®
Certified Rolf Movement®Practitioner
Jikiden Reiki® Shihan
Registered Yoga Teacher
SourcePoint Therapy® Practitioner

Contact me at:

rolfertakami@gmail.com


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