2017.
02.
03
連日の雨。朝シャッターを開けてどんよりした雨雲を見るとそれだけで憂鬱になる。友達が昨日「放っておくと1日閉じこもって机に張り付いてるんでしょ!」と有無を言わさず私を連れ出し、まだぐしょぐしょの雪が積もるタウナス山を「ちょっと」登ってきました。1時間コースだと自信満々の彼女を信じてちょっとついて行ったつもりが雪で凍った獣道を這いつくばりお尻ですべる羽目に陥り、気がつくと汗だくの2時間コース。今年の決意ちゃんと宣言してなかった、とお互いが証人になって改めて決意表明。節入りが2月4日の明日だから、まだギリギリ間に合いました。
今年の丁酉がどういう意味を持つのかよくわからないのですが、安全をとって規定路線を行くか、腹をくくってそれを捨てて清水の舞台から飛び降りるかを選ぶ年のような気がします。今年は今までのやり方を変えざるをえない、いや、変えると決める勇気を持つ年。
2月 Somatic Experiencing Advanced I
3月-4月 Sharon Wheeler Art of Rolfing
Sharon Wheeler Bone Work
7月−8月 Rolfing Advanced Training
8月 Somatic Experiencing Advanced II
そして、この間School of Homeopathyを卒業する。もう臨床も終え、あとは出すものを出すだけ。
日本では知られていない処方に対して、私を信じて体を預けてくださった方、本当にありがとうございました。いまはまだ全員が卒業していない状況なので詳しくは言えませんが、ここまでやってきたことは全部無駄になってなかったんだな、無駄はひとつもなかった・・と感じたのがしみじみ嬉しかったです。いまのこの知識とあの経験がなければこのケースは扱えなかった、もっというとあの経験をした私でないと扱えなかった、と感じた瞬間がいくつかあって、なんだかセラピスト冥利につきる、こういうことやりたかったんだなと思いました。30年選手のホメオパスであり教鞭にたつスーパバイザーをもってして私の経験でも最も難しいケースの一つだった、と言わせたケースが治癒したケースは最も嬉しかった。報告を聞きながら、レメディが働いて自己治癒力が渾身の仕事をしはじめたのを手に汗を握りながら見守るときの感動は、もう感無量としか言いようがないです。ロルフィングで見守っている様子とはスケールの違うものが動く。
今年は、有無を言わさずという形で、私のセッションのスタイルはだいぶ変わると思います。なんとなく感じてはいましたが、たぶんロルフィングや直傳靈氣やホメオパシーやSEやヨガが全部フュージョンになったものみたいです。お互いが相補的なので、ロルフィングのセッションに他のエッセンスも必ず入っている。そして、いままではやらなかった形でのアウトプットをする機会が増えると思います。
気の重いSEのトレーニングのあとにシャロンと8日間一緒にいられるというのはいま一番気持ちが浮き立っていること。とくにArt of Rolfingというのは参加者6人限定で彼女を独占する3日間で、彼女にロルフィングの真髄を教えてもらえる期待に胸が膨らみます。ボディリーディングを人に教えられなかったというアイダ。そうか、あなたも要するに自分のやってることを人に説明できなかったのか。そのアイダのもっとも近い弟子として、彼女の息吹をもっとも感じさせるシャロンからどれだけ引き出せるだろう、と期待ばかり膨らむ。
今年の夏は日本には行かないつもりだったのですが、現在ホメオパシーや10シリーズ途中の方とやっぱりどうしてもお会いする必要があるとわかり、6月下旬から2週間ほど帰る方向で進めています。アナウンスはまた改めてさせていただきますね。
あ、肝心の今年の決意表明。
感情を生きる「私」をあえてもう一度体験してみる
そこで「私」がどう生きてきたかをもう一度見てみる
そして、もういちどつながる
そして本当は離れていなかったことを体験する
書こうとするとやっぱりよくわからない表現。
具体的に言ってみます。
また傷つくのはいやだから、心を開かないでおこう、
期待するとまた失望させられるから、
期待をしないでおこう、
なにも望まないでおこう
不安に思うのはいけないことだ
怒るのはいけないことだ
だからいつも前向きで、おおらかでいよう
というパターンの中の
傷つく、失望、不安、怒り
から、いい悪いをとりのぞいてみる。
本来こういう感情にいい悪いはなかった。
感情や、私たちが目を背けたいネガティブな想いは
ただそこにあるだけだった。
こうやって、「私」がどうやって形成されて、
どうやって維持しているか
をまじまじ観察する、というもの。
ホメオパシーを扱っていると、私たちに共通する「私」の思い込みが見えてきます。
本来、毒虫や猛獣や毒草は、自分のやったことに罪の意識や恥の意識、善悪をつけない。
たとえばハイエナは餌を横取りすることを下劣だと思ってもいないし、罪悪感をもたない。
兄弟から押しのけられていちばん出の悪いおっぱいしかもらえないこぶたは、このポジションにいる自分はみんなより劣っていると卑下したり、こんなことをしている自分は無価値だとか思わない。
毒草は自分の外見が下品だとは思っていないし、毒が悪いものだとも思っていない。
これらの現象は起こるだけ。ただそこにあるだけ。
彼らの歌をうたう私たちは、でも、起こるに任せるということができないのです。感情を「私」のものとして体験するから。
「私の」悲しみ、「私の」怒り。怒りそのものに意味はない。いい悪いはない。それなのに、「私」のフィルターを通すととたんに刷り込みと思い込みのパターンがごっそりくっついた「私」の解釈になります。
レメディの奏でる歌を聴きながら、自分の人生を振り返りながら、ああ、私おめでたい舞台にいたな、としみじみ感じました。でもスクリーンの中に入ってみたかったんだな、感情になってみたかったんだな、とわかります。本当は演じている「私」は見ている私でもあったのだけど。
ホメオパシーを通して知ったこと、おいおい書いていきます。
では明日の節入り前に、改めて今年の決意表明でした。
今年の丁酉がどういう意味を持つのかよくわからないのですが、安全をとって規定路線を行くか、腹をくくってそれを捨てて清水の舞台から飛び降りるかを選ぶ年のような気がします。今年は今までのやり方を変えざるをえない、いや、変えると決める勇気を持つ年。
2月 Somatic Experiencing Advanced I
3月-4月 Sharon Wheeler Art of Rolfing
Sharon Wheeler Bone Work
7月−8月 Rolfing Advanced Training
8月 Somatic Experiencing Advanced II
そして、この間School of Homeopathyを卒業する。もう臨床も終え、あとは出すものを出すだけ。
日本では知られていない処方に対して、私を信じて体を預けてくださった方、本当にありがとうございました。いまはまだ全員が卒業していない状況なので詳しくは言えませんが、ここまでやってきたことは全部無駄になってなかったんだな、無駄はひとつもなかった・・と感じたのがしみじみ嬉しかったです。いまのこの知識とあの経験がなければこのケースは扱えなかった、もっというとあの経験をした私でないと扱えなかった、と感じた瞬間がいくつかあって、なんだかセラピスト冥利につきる、こういうことやりたかったんだなと思いました。30年選手のホメオパスであり教鞭にたつスーパバイザーをもってして私の経験でも最も難しいケースの一つだった、と言わせたケースが治癒したケースは最も嬉しかった。報告を聞きながら、レメディが働いて自己治癒力が渾身の仕事をしはじめたのを手に汗を握りながら見守るときの感動は、もう感無量としか言いようがないです。ロルフィングで見守っている様子とはスケールの違うものが動く。
今年は、有無を言わさずという形で、私のセッションのスタイルはだいぶ変わると思います。なんとなく感じてはいましたが、たぶんロルフィングや直傳靈氣やホメオパシーやSEやヨガが全部フュージョンになったものみたいです。お互いが相補的なので、ロルフィングのセッションに他のエッセンスも必ず入っている。そして、いままではやらなかった形でのアウトプットをする機会が増えると思います。
気の重いSEのトレーニングのあとにシャロンと8日間一緒にいられるというのはいま一番気持ちが浮き立っていること。とくにArt of Rolfingというのは参加者6人限定で彼女を独占する3日間で、彼女にロルフィングの真髄を教えてもらえる期待に胸が膨らみます。ボディリーディングを人に教えられなかったというアイダ。そうか、あなたも要するに自分のやってることを人に説明できなかったのか。そのアイダのもっとも近い弟子として、彼女の息吹をもっとも感じさせるシャロンからどれだけ引き出せるだろう、と期待ばかり膨らむ。
今年の夏は日本には行かないつもりだったのですが、現在ホメオパシーや10シリーズ途中の方とやっぱりどうしてもお会いする必要があるとわかり、6月下旬から2週間ほど帰る方向で進めています。アナウンスはまた改めてさせていただきますね。
あ、肝心の今年の決意表明。
感情を生きる「私」をあえてもう一度体験してみる
そこで「私」がどう生きてきたかをもう一度見てみる
そして、もういちどつながる
そして本当は離れていなかったことを体験する
書こうとするとやっぱりよくわからない表現。
具体的に言ってみます。
また傷つくのはいやだから、心を開かないでおこう、
期待するとまた失望させられるから、
期待をしないでおこう、
なにも望まないでおこう
不安に思うのはいけないことだ
怒るのはいけないことだ
だからいつも前向きで、おおらかでいよう
というパターンの中の
傷つく、失望、不安、怒り
から、いい悪いをとりのぞいてみる。
本来こういう感情にいい悪いはなかった。
感情や、私たちが目を背けたいネガティブな想いは
ただそこにあるだけだった。
こうやって、「私」がどうやって形成されて、
どうやって維持しているか
をまじまじ観察する、というもの。
ホメオパシーを扱っていると、私たちに共通する「私」の思い込みが見えてきます。
本来、毒虫や猛獣や毒草は、自分のやったことに罪の意識や恥の意識、善悪をつけない。
たとえばハイエナは餌を横取りすることを下劣だと思ってもいないし、罪悪感をもたない。
兄弟から押しのけられていちばん出の悪いおっぱいしかもらえないこぶたは、このポジションにいる自分はみんなより劣っていると卑下したり、こんなことをしている自分は無価値だとか思わない。
毒草は自分の外見が下品だとは思っていないし、毒が悪いものだとも思っていない。
これらの現象は起こるだけ。ただそこにあるだけ。
彼らの歌をうたう私たちは、でも、起こるに任せるということができないのです。感情を「私」のものとして体験するから。
「私の」悲しみ、「私の」怒り。怒りそのものに意味はない。いい悪いはない。それなのに、「私」のフィルターを通すととたんに刷り込みと思い込みのパターンがごっそりくっついた「私」の解釈になります。
レメディの奏でる歌を聴きながら、自分の人生を振り返りながら、ああ、私おめでたい舞台にいたな、としみじみ感じました。でもスクリーンの中に入ってみたかったんだな、感情になってみたかったんだな、とわかります。本当は演じている「私」は見ている私でもあったのだけど。
ホメオパシーを通して知ったこと、おいおい書いていきます。
では明日の節入り前に、改めて今年の決意表明でした。
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